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安城の未来はあるのか

ムダをなくすこと

 車の製造の効率を求めるのであれば、売ることよりも使うことで効率を求まないのか。24時間のうち2時間も使わない道具を展開するのは中途半端です。

安城で菅野明子さんの講演会

 やっと、安城教育センターに着きました。車の運転はダメですね。ナビが在ったら、よけいにダメでしょう。

 主催は安城市の教育委員会です。合ってないです。市立図書館が教育委員会の配下にあっては動けない。

 あまり、思いが伝わってこない。というよりも、伝えていない。会場の雰囲気の性なんでしょう。よく聞くと図書館よりもコミュニティ論になっている。

 アウトリーチがコミュニティのベースです。そう言えば、ハメリンナの環境施設のDr.ヘリも同じことを言っていた。市民の間に出掛けていく。

 安城に未来はあるのか? ピッツバーグの図書館の話は聞きたかった。安城の未来はピッツバーグかデトロイトか?

 どうしても、箱モノです。市民の参画はあまりやっていない。豊田市と同じで難しいでしょう。ましてや、アウトリーチはかなりのポテンシャルを要求されます。豊田市図書館はリニューアルを掛けないといけない。今のままではダメです。
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モチベーションを上げる

車の運転は危険

 岡崎に車で行くのも、かなり危険になってきました。ろくに見えてはいない。

女性心理分析

 隣の女性の音、これは心の反映です。私はここよ。

パートナーへ告げたいこと

 今の体験は、自分の利益になることです。あなたが中心です。そう、思えば、偶然はあなたの味方になります。

未唯宇宙の感じ方

 どのようにして、未唯宇宙を感じるか。全然、切迫感が足りない。あと6ヶ月です。これまでの6カ月を考えてごらんなさい。本当に、あっという間でしょう。7月までにモチベーションを上げる。

 未唯宇宙の参考文献を分類しようか。まず、記号を決めて、選択から始めよう。
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高齢期の社会関係

『老いとこころ』より 他者との関わり合い

歳をとるにつれ、社会関係はどう変化するのでしょうか。たとえば、高齢期になると配偶者や友人等との死別により、社会関係は小さくなっていくだけなのでしょうか。誰かにサポートを提供することはなくなるのでしょうか。

社会関係は縮小するか増大するか

 理論的には、1960年代に離脱理論が提案され、高齢期に社会関係が縮小していくことが説明されました。

 また、カーステンセンは社会情動的選択性理論から、加齢による社会関係の変化について説明しています。この理論によると、時間展望が狭まり、人生に残された時間を意識するようになると、人はさまざまな情報を獲得したいという動機づけから、情動の満足感を得て人生の意味を感じることに主眼をおく動機づけへと変化するようになります。そのため人間関係も幅広い人間関係から意図的にネットワークを縮小し、満足感やポジティヴな感情を充足させることができる人間関係を選択するようになるのではないかと仮定しています。

 この理論では、高齢期に人間関係のネットワークは縮小することを予想していますが、それは単なる消極的な現象ではなく、むしろ高齢者自身がより質の高い、良好な関係のみを維持するためにとった積極的な行為の結果でもあると捉えています。また、すべての社会関係の側面が一律に年齢とともに変化することは仮定しておらず、たとえば高齢者は自身のソーシャルネットワークの周辺にいた人だちとのつながりや、その人だちからのサポートを失う代わりに、より親密な近しい関係にある人たちとのつながりをいっそう深め、その人たちからより多くのサポートを得ることがあるというように、社会関係の側面によっては減少とともに増大もあることを想定しています。

社会関係の側面によって異なる加齢変化

 実証研究からは、ソーシャルネットワークとソーシャルサポートの加齢による変化はどのように示されているでしょうか。横断法による年齢差の検討、縦断法による加齢曲線の検討、そして最近では、社会関係の変化における、一人ひとりの変化の相違(個人内変化の個人差)の検討もされています。このような研究から、高齢期の社会関係はすべての側面が加齢とともに一律に縮小するのではなく、社会関係の側面によって変化の方向性(増加、低下、安定)が異なること、また集団で捉えると一定の傾向が示される場合でも、個々人の変化に着目すると変動の仕方に多様性があること(個人差)があることがわかってきました。

 ソーシャルネットワークの変化

  ソーシャルネットワークの加齢変化に関しては、大きな傾向として、子どもや配偶者との関係はあまり変化が示されませんが、きょうだいとの関係はやや安定性に欠け、変化する傾向かあります。一方、友人などの非親族との関係は変化しやすく、ネットワークの規模の縮小や交流頻度の減少が起こりやすいことが報告されています。また、ネットワークの成員との交流頻度に関しては、通常は加齢とともに頻度が低減していく傾向が認められます。しかし、病気など何か重要な出来事が発生すると、交流頻度は高まります。

 ソーシャルサポートの変化

  ソーシャルサポートはどうでしょうか。ソーシャルサポートに関しては、概して、高齢になるほど手段的サポートの受領は増加し、自分が他者へ提供するサポートは低下する傾向が示されています。これは高齢期になり、健康状態の変化や身体機能の低下などによって手段的サポートを受け取る必要性が増すとともに、若い頃のようには他者ヘサポートを提供しにくくなることを反映していると考えられます。

  一方、情緒的サポートや知覚されたサポートについては、比較的安定して、変動が少ない傾向にあることが報告されています。

 社会関係の変化における個人差

  しかし、上述したように、集団で捉えると一定の傾向が示される場合でも、個々人の変化に着目すると、社会関係の変化は一人ひとり異なります。この個人差は何を示唆しているのでしょうか。子どもの独立、配偶者や友人等との死別、また自分や家族の身体機能、認知機能、健康状態などの変化によって、社会関係は変化したり(たとえば、ソーシャルネットワークが縮小するなど)、変化を迫られたり(たとえば、これまで必要なかった手段的サポートを必要とするなど)します。そして高齢者はその変化に適応するために、これまでの社会関係を変容させたり、新しい社会関係を築いたりします。子どもの独立や近親者との死別などのライフイベントといつ遭遇するかはライフコースの時期(成人期、高齢期など)とある程度関係しますが、実際に、それがいつ、どのように現れるかは人によって異なります。そうした違いが社会関係の変化における個人差として現れるのです。
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ムスリム社会の発展と安定化への挑戦

『イスラーム世界の挫折と再生』より 中東・イスラーム世界は、なぜここまで堕落したのか

以上のように、ヒズメト運動をはじめとする市民運動や地方の中小企業の成長は、親イスラーム的な次世代エリートや新興の富裕層・中間層の成長に寄与した。彼らの間には、購買力上昇と消費主義の浸透に伴い、現代的ライフスタイルとイスラーム的価値観や習慣を両立した「イスラーム的消費文化」が見られるようになった。購買力上昇とイスラーム復興が進むと、より多くの人々がイスラーム的な商品やサービスを求めるようになり、イスラーム系企業は経営手法や製品のイスラーム性をアピールすることで新たな市場を獲得した。イスラーム系企業が利益を上げるほど、雇用や社会事業を通じて宗教色の強い層が経済的・社会的に上昇し、イスラーム的な商品やサービスヘの需要がさらに拡大するという循環が生まれた。

新たに市場に登場した「イスラーム的」な商品やサービスには、ハラール認証の食品や化粧品、医薬品、ムスリム女性向けのイスラーム・ファッション、礼拝のためのスペースや時間、男女の隔離に配慮したホテルやリゾート、スポーツクラブ、イスラームの教訓的内容を盛り込んだ小説や映画、テレビ番組などがある。また、こうした商品やサービスを提供する企業は、利子取引の禁止、断食月の従業員への食事提供停止、慈善活動への寄付、公正な取引の徹底など、イスラーム的な価値規範に従った経営に取り組んでいる。イスラーム金融だけでなく、ムスリムたちの信仰に基づく価値規範や生活様式が影響を及ぼす全ての部門を含む新たな「イスラーム経済」が拡大している。

イスラーム経済は、トルコだけでなく多くのムスリム諸国に広がり、巨大な市場を形成しつつある。高い経済成長が注目される新興国の中には、ムスリムが人口の多数を占める国々が含まれる。G20にはインドネシア、サウディアラビア、トルコが、NEXT11にはインドネシア、トルコに加えて、イラン、エジプト、パキスタン、バングラデシュ、ナイジェリアが名を連ねる。またアラブ首長国連邦、バハレーン、クウェート、オマーン、カタールなどの湾岸諸国も石油収入による富と金融センターとしての役割によって、世界経済に大きな影響を与えている。

上記のような新興諸国では経済成長と同時に、新たに成長した中開層の間でイスラーム復興が進展している。新たな中間層は消費を中心とした都会的、近代的なライフスタイルや価値観を受け入れる一方で、事業経営や消費において強いイスラーム志向を表明するようになっている。

食品とライフスタイル部門へのムスリム消費者の支出は2012年に1兆6200億米ドルにのぼり、2018年までに2兆4700億米ドルに拡大すると予測されている。イスラーム金融資産は2012年に1兆3500億ドルに達している。イスラーム経済は今後も拡大が期待されており、冒頭で紹介した日本企業だけでなく、欧米などの大企業も次々と参入していか。イスラーム経済の巨大な市場を注視することは、ビジネスチャンスにつながるだけでなく、今後のムスリム社会の発展を担う新しい中開層の特徴を理解する上でも重要である。

以上で見てきたように、イスラーム系の市民運動や企業の成長は、信仰心の篤い社会的・経済的底辺層の底上げに貢献し、新興中間層の問にイスラーム復興を進展させている。これまでイスラーム復興には、欧米的な文化や生活様式を拒絶し、市場経済やグローバル化による変化を頑なに拒むという印象が強かったように思われる。だが社会的・経済的上昇を遂げた中開層の人々のイスラーム志向は、市場経済やグローバリゼーションと手を携えて進行している。

トルコではイスラーム系の企業や市民運動が経済成長やそれに伴う格差の是正に重要な役割を果たし、トルコは中東地域における民主化や経済発展のモデルとしてみなされるまでになった。一方で昨年末、ヒズメト運動が力を入れてきた学習塾の閉鎖を政権が発表したのを発端に、トルコの発展を支えてきた公正・発展党政権とヒズメト運動の間で緊張が高まっている。公正・発展党政権とヒズメト運動の対立は、公正・発展党政権とつながりの強いMUSiADと、ヒズメト運動に属するTUSKONの間にも飛び火しており、今後のトルコ経済への影響を注視する必要がある。

イスラームは社会的公正や相互扶助を重視し、社会のセーフティーネットとなる仕組みを持っている。財産の一部を社会的弱者救済のために使う喜捨の仕組みは、現代のイスラーム系のNGOやイスラーム系企業の活動の中にも見ることができる。新自由主義やグローバリゼーションと共に、政府が財政赤字解消のために福祉予算を縮小するという動きは世界中で広がっている。そんな中、弱者救済を目指しセーフティーネットを提供するイスラーム系市民運動や、そうした活動を支えるイスラーム系企業の役割は注目に値する。

2011年の「アラブの春」以降、中東、北アフリカ地域の広範にわたってイスラーム過激派の活発化が報告されている。これらの地域では経済成長の一方で人々の問の経済的格差が広がっており、過激なイスラーム主義は貧困層や高学歴の若年失業者といった中下層の人々の不満を吸収して台頭していると考えられている。イスラーム系市民運動やイスラーム系企業の活動は、経済的成功者から資金や人材といった資源を再分配する回路として機能しており、経済的格差の是正や社会的公正の実現に向けた取り組みを通じて、今後のイスラーム地域の安定化に貢献することが期待される。
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アイゼンハワーの実践知リーダーシップ

『史上最大の決断』より アイゼンハワーのリーダーシップ--フロネシスの視点-

(1)善い目的をつくる能力

 アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で、「あらゆる行為や選択はすべて何らかの善を希求する」と主張した。この点は、「よりよく生きる」の本質を問い続けた師ソクラテスに通底する。賢慮の実践は、共通善に照らして正当な目的を持つことが前提になる。

 アイゼンハワーは連合軍最初の上陸作戦であり、彼が初めて司令官を務めた北アフリカでのトーチ作戦が終了後、「戦争観が全く変わった」と自著『ヨーロッパ十字軍』で述べている。

 「18世紀まで軍人とは傭兵を指した。戦争はいわばゲームであり、たとえ敵同士であっても憎しみの感情はなかった。軍人が戦ったのは勝利の暁に手に入る報奨金のためだった。結果として、捕虜となった敵方の司令官が賓客としてもてなされることもあっただろうが、今度の戦争は違う」と彼は主張する。「自分たちは、私利私欲を離れ、人類の幸福実現のために立ち上がったのであり、人間の権利を侵害する悪とは絶対に妥協しないと誓ったのだ。私にとってこの戦争は十字軍のように神聖な戦争となった」と述べるのである。アイゼンハワーの共通善の基準は、チャーチル同様に人類というレベルで、ギリシャ・ローマ時代からの「歴史的構想力」に裏打ちされている。

(2)ありのままの現実を直観する能力

 現実をうまく捉えるには、個別具体の微細な経験を総合するプロセスが不可欠となる。それはアリストテレスの共通感覚やポランニーの「暗黙的知り方」に近い。すなわち、部分と全体を常に往還し、名詞形ではなく、動詞形で物事を捉えるプロセスだ。アイゼンハワーはその力に長けていた。

 アイゼンハワーに対しては「戦争に従事した経験が乏しい」という批判もあったが、なかなかどうして、観念論を排し、リアリズムと直接経験を重視する実戦派の軍人であった。なかんずく、空戦も含めた水陸両用作戦に関する幅広い経験知の獲得にこだわっていた。

 アイゼンハワーとパットンはメリーランド州フォート・ミードの歩兵戦車学校で知り合っている。2人は意気投合し、互いに新しい兵器である戦車の可能性に目を開いた。1台の戦車を最後のボルトやナットにまで分解し、再び組み立てた。戦車を使ったさまざまな実験にも取り組んだ。戦車の設計まで研究し、戦車を核にすえた自動化部隊がアメリカ全土を横断できることまで2人で確認している。

(3)場をタイムリーにつくる能力

 場づくりこそ、アイゼンハワーが非常に得意とするところだった。明るい性格の楽観主義者で、人の話を聞くのが大好き、アイク・スマイルと呼ばれた底抜けの笑顔でチームをうまくまとめた。

 ウエストポイントでフットボールに打ち込むものの、2年次に膝に大怪我を負い、選手生命を絶たれてしまうが、のちにコーチとしての才能を開花させた。陸軍入隊後も、多くのチームでコーチを務め、いずれも優秀な成績に導いた。選手たちをやる気にさせる場づくりの能力がそこで磨かれたのではないか。

 43年11月には、カイロ会議出席のため、はるばるアフリカにやってきたルーズベルトをカルタゴの古戦場跡に案内し、歴史談義に花を咲かせた。ルーズベルトも歴史好きで、アイゼンハワーの戦史話に共鳴し、互いの人間関係が多いに深まった。

(4)直観の本質を物語る能力

 アイゼンハワーがアメリカ陸軍参謀本部内に設けられた作戦部の初代部長を務めていた際、ノルマンディー作戦の原型とも言える案を構想していたことは第3章で述べた。

 彼が自著で明かすように、それは「陸空兵力を一体として、双方の効果を倍加するに至らしめるまでに空軍を地上作戦に協力せしめようとするもの」であり、当時としては空前絶後の斬新な戦略思想であった。

 事前に、上陸地点を誤らせる欺隔作戦から始まり、戦略爆撃、空挺活用、艦砲射撃を存分に行う。その後に兵力を一気に陸揚げするとともに港を確保すると、後続部隊を次々に送り込む。続いて戦車を中心とした自動化部隊がドイツ心臓部目がけて突き進む。アメリカ陸軍参謀本部内に設置された作戦部の初代部長となった当時から、優れた直観力により、そういう計画が頭の中に渦巻いていたはずである。

(5)物語りを実現する能力(政治力)

 アイゼンハワーは多くの人を「彼のためなら一肌脱ごう」と思わせる「人たらし」であった。それは構想した物語を実現するための大きな推進力となった。

 リーダーシップはある人の持つパワーや影響力に関連して定義することができる。それを「目標達成に向けて人々に影響を及ぼすプロセス」と広く定義すると、人間が持つ社会的パワーの基盤は次の6つの力で構成される。①合法力(組織から公式に与えられた権限に由来する力)、②報償力(報酬を与える能力に由来する力)、③強制力(処罰できる能力に由来する力)、④専門力(専門的知識や技能に由来する力)、⑤親和力(互いの一体感に由来する力)、⑥情報力(情報の量や質に由来する力)の6つである。前の3つの力をハードパワー、後の3つをソフトパワーと分類することもできる。文脈に応じ、これらをダイナミックに総合したものが個人の持つ政治力であり、それが個々のリーダーシップを成り立たせているのである。

(6)実践知を組織する能力

 アイゼンハワーは自分ですべてを抱え込もうとせず、各組織にいる優れた人材をうまく使った。それは既に指摘したように、アメリカ軍の組織がドイツ軍はもとより、味方のイギリス軍よりも自律分散型、すなわちフラクタル性が高かったことも影響していた。彼の大きな功績の1つは、膠着した戦線を突破させるべく、パットンを投入したことだ。

 アイゼンハワーの組織化能力は239ページで紹介したエピソードによく現れている。ドイツ軍の戦車砲の優秀さに直面し難儀を覚えているという前線からの報告に接したアイゼンハワーは、すぐにマーシャルに連絡し、戦車の専門家をノルマンディーからアメリカに送り返すと、自軍の徹甲弾を改良するための議論を行わせた。モントゴメリーも同じ情報を得ていたが、彼はそれを握りつぶし何の処置もとらなかった。

 アメリカ人ジャーナリストのジョン・ガンサーはこう書く。「彼の一つの著しい特徴は、信用のできる人物には、すべてを任せきってしまう点である。だから、彼の部下は、大ていのことは自分たちの裁量で処理してしまう」。
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岡崎図書館の10冊

明日は菅谷明子さんの講演会でお休み。Iさんに会えないのは残念。

先週はスタバ相談でお休み。2週間ぶりです。

012.9『図書館とともに』キハラ一〇〇年の歩み

N769.9『世界のバレエ学校』誕生から300年の歴史

674『言葉の技術』思いつくものではない。考えるものである。

936『ケネディのいちばん長い日』ある日本人との死闘

304『「全身○活」時代』就活・婚活・保活から見る社会論

318『自治体アウトソーシング』これでいいのか

361.4『日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか』

164.3『ヘラクレスは繰り返し現われる』夢と不安のギリシャ神話

289.3『赤い大公』ハプスブルク家と東欧の20世紀

492.9『脳・神経ビジュアルナーシング』見てできる臨床ケア図鑑
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ギリシアの民主政とローマの共和政の違い

『ローマ史1200年』より

ギリシアのアテナイとローマは、ほぼ同時期に独裁者を倒しています。しかし、アテナイが一世代約三〇年ですぐに民主政を実現させたのに対し、ローマは、身分闘争を繰り返しながら、約二〇〇年の歳月をかけて、共和政を完成させていきました。

ギリシアの民主政では、自由民である民衆の一人ひとりが、平等な立場で政治に参加することができました。自由民は、「アルコン(支配者を意味する最高官職)」をはじめ、さまざまな役人を選ぶ権利を持っていましたし、下級役人は財産の有無にかかわらず、ある程度順番で回ってきました。これほど徹底した民主政を行なったギリシアですが、五〇年も経たないうちに混乱し、民主政が機能しなくなってしまいます。

ギリシアの民主政は確かにすばらしいものだったのですが、システムとしてきちんと機能するためには、有能なリーダーが必要でした。ペリクレスという非常に有能なリーダーがいた時にはアテナイの民主政は良かったのですが、彼のあとに有能なりIダーが出なかったため、アテナイの政治は「デマゴーグ(煽動的民衆指導者)」によって支配され、衆愚政治へと変貌していったのです。

こうした衆愚政治への批判を込めて、紀元前四世紀の思想家プラトンは「本当は独裁政が一番いい」と言っています。もちろん、プラトンの言う独裁とは、傲慢な独裁者によるものではありません。公平で見識を備えた哲学者である「哲人皇帝」が統治する独裁政が一番いいと言っているのです。

確かに、アテナイがもっとも発展したのは、ペイシストラトスが政治のトップの座にいた時でした。彼は僣主になるまではかなり暴力的なことをしていますが、僣主になってからは約三〇年間、安定した政治を行ない、民衆のために尽くしています。借主であっても、公平な政治を行なえば民衆はついてくるし、国は繁栄するということです。

古代ギリシアの歴史家ポリュビオスは、国政にはいくつかの決まった政体があり、歴史のなかでは、それが繰り返されていくにすぎない、という「政体循環論」を述べています。そして、その代表として挙げているのがギリシアです。

ギリシアでは、まず一人の人間が率いる「独裁政」が自然発生的に始まります。やがて「王政」に移行し、さらに集団で指導体制を取る「貴族政」が生まれます。しかし年月が経ち、その貴族たちが対立するようになると、その混乱を収める形で借主が登場し、支配するようになります。この「借主政」は、ペイシストラトスのような良い借主は問題ありませんが、実際には悪い借主のほうが多いので、借主は民衆によって追われ、混乱のなかで「民主政」へと変わっていきます。

しかし、一見理想的に思える民主政も長く続くと、どうしても衆愚政治に変貌してしまいます。これにより、政治は再び混乱。その混乱を収める形で、再び独裁者による支配が行なわれます。ギリシアでは、この二度目の独裁者に相当するのが、マケドニアのフィリッポスニ世とアレクサンドロス大王の親子です。

このように見ていくと、確かにギリシアの政治は循環しているように見えます。ところが、ローマでは「独裁政」「貴族政」「民主政」という三つの政体が循環するのではなく、「共和政」という大きな枠のなかで同時に存在し、絶妙のバランスを取っていた、とポリュビオスは述べています。そして、このことこそがローマが強く、そして巨大になっていった原因だと主張したのです。

ギリシアのポリスは政体が循環するなかで、「スタシス」と言われる政争や混乱をも繰り返したため、国民が内部の争いに疲弊してしまい、ポリスの外へ出て国を拡大していくことにはなりませんでした。もちろん、ローマも内部で権力闘争がありましたが、ギリシアに比べると、その規模も頻度もはるかに小さなものだったので、エネルギーをそこで消耗することなく、国の拡大に向けることができたというのです。

ポリュビオスはもともとギリシアの知識人ですが、のちにローマに二〇年ほど滞在するので、ローマの社会というものを非常によく知っています。

確かに、ローマの共和政は、独裁政的な役割を持つ執政官と、貴族政的な意味を持つ元老院、そして民主政的な働きを持つ民会という三つの組織によって支えられています。ポリュビオスは、これを「混合政体」と言い、そのバランスの良さが、ローマが巨大帝国に成長した大きな要因のひとつだと言ったのです。

ローマでは、何か事が起きて判断と対処を迫られた時、細かいことは執政官だけの判断で行なうこともできましたが、大事なことは必ず元老院で審議されました。元老院で決まったことを実際に執行するのが執政官の仕事です。

その執政官は、民会によって選出され、元老院には選ぶ権限はありません。最高行政執行官である執政官は、あくまでも市民総会的役割を持つ民会において、市民の投票によって選ばれたのです。

このように、三つの権力がたがいの権力基盤となることで、どこかひとつに権力が集中しないしくみが、ポリュビオスの目には、非常にすぐれた国政のありように見えたのだと思います。
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要素還元主義からの脱却

『科学のこれまで、科学のこれから』より 科学のこれから

要素還元主義は科学を推進する上で実に有力な方法であり、三五〇年以上にわたって積み重ねられてきた歴史があるだけに、多大な成果を残してきたことは明らかである。現代の科学・技術文明は要素還元主義の成果の上に成り立っていると言っても過言ではない。また科学の方法として要素還元主義しか確かな方法を見出していないのも事実である。であるから、現実には要素還元主義の方法を基本的な拠り所にして科学を進めるしかなく、要素還元主義を全否定するわけではないことを最初に強調しておきたい。

要は、要素還元主義が通用しない複雑系をどう捉えるかであり、曖昧な科学知しか得られない科学とどう付き合うかである。あるいは、系が多数の要素から成り立っているために統計的な処理をせざるを得ず、確率でしか結果が言えない場合に私たちはどう対応すべきかである。答えが完全にわかっているわけではなく、ある種の可能性が、ある確率で示されるのみということが多いのだ。確率の計算は一般には厳密であり、そこに疑いを差し挟む余地は少ない。しかし、絶対的な答え(っまり一〇〇%の確実さで言える解)ではなく、あくまで可能性の確かさの割合でしか言えないのである。

しかし、人間はシロかクロか、(一〇〇%か○%か)をはっきりさせないと安心できない動物であり、そもそも確率で物事を判断したり考えたりすることに慣れておらず、不得手としか言いようがない。科学に対しても要素還元主義的に明確な答えが得られると期待してしまうので、不確実なことしか言えなかったり、確率でしか言えなかったりすると途端に科学を信用しなくなりかねないのである。

たとえば、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告によって地球温暖化問題は常識化しているかのようだが、それにクレームを付ける研究者もかなりいる。それも、地球が温暖化していることに疑いを持つ人(気温の計測が地上や都会に偏っており完璧ではないことがその根拠)、温暖化は認めるが二酸化炭素などの温室効果ガスが原因ではないとする人(温室効果は水蒸気がほとんどであって二酸化炭素などはあまり効かない、むしろ高エネルギー宇宙線の効果や太陽活動の変化を重視するという立場)、温暖化は一時的なゆらぎに過ぎないと主張する人(いずれ地球寒冷化か訪れると達観している立場)など、多様な意見がまじっている(環境保護を主張する人間が自分たちの存在意義を社会に認知させるためという陰謀説まである)。

そもそもIPCCとして、地球温暖化の原因が人間の活動である確率は九〇%(第五次報告書では九五%)であるとは言っているが、一〇〇%確実とは断言していないのである。気象(気候現象)が複雑系であるためにそうとしか言えないのだ。科学的真実は、多数決で決まるものでも、権威(この場合はIPCC)がそう言うから信じるものでもない。あくまで疑ってかかる懐疑主義が科学者として採るべき態度なら、むしろクレームを付ける方が科学者として健全であるかもしれない。また、集中豪雨の頻発や台風の巨大化や砂漠化の進行などの気候変動すべてを地球温暖化のせいだと言ってしまうと、わかったような気になって思考停止に陥る危険性があり、地球温暖化が原因とは限らないとあえてクレームを付けることによって、より慎重でより多角的に研究する態度につながるかもしれない。というわけで、IPCCの言うことを安易に信じて、オオカミ少年のように地球温暖化を喧伝するのは正しくない(だから何もしなくてもょい)、という立場の人間がいることは事実だろう。

しかし、そのように懐疑主義を徹底して何も対応しないという行動原理は、要素還元主義によってすぐに絶対的な解か得られる見込みがある場合には肯定できるが、複雑系においては簡単にそのような答えにたどり着かないのは明らかであり、だからといって答えがわかるまで何もしないわけにはいかないのである。温室効果ガスが実際に地球温暖化を引き起こしているという主張が正しいなら、このまま温室効果ガスの排出を野放しにしていると、やがて温暖化が暴走するようになり、結果的に手遅れになるかもしれないからだ。つまり、地球温暖化問題に関しては不確実な科学知しか得られないのだけれど、市民の合意の下に何らかの行動を選択することが求められているのである(むろん、積極的に何もしないことも選択肢の一つではあるのだが)。

実は、政府が要素還元主義に固執したために対応を誤った事例はいくつもある。たとえば、オゾン層の破壊がフロンによると推測されてフロンの製造・販売を禁止しようとモントリオール議定書が国連で採択されたとき、日本政府は「科学的証明が不十分である」という理由で反対した。また、水俣病の原因物質として工場排水に含まれている水銀が問題となっても、「科学的根拠が明らかでない」として水銀説を採用せず、結果的に被害者を増やすことになってしまった(水俣病だけでなく、数々の公害や鉱害や薬害の認定でも同様の失敗を繰り返してきた)。これらは、要素還元主義の立場から原因と結果が一対一で完全に符合しない限り認めないという態度に起因しており、何も対策を取らないことへの言い訳として「科学的根拠」が持ち出されたのである。これらの問題は、最初は複雑系の様相を呈していてすぐに明快な答えが得られないことが多かったのだ(よく調べると科学的根拠が明確になった比較的簡単な場合なのだが)。

生態系の危機や地震予知のような問題も典型的な複雑系であり、また微量放射線被曝や環境ホルモンの人体への影響など、現在の実験によって一〇〇%確実な結論が出せない問題も複雑系の一種である。こうして眺めてみると、複雑系は私たちが日常的に接しているマクロなシステムに多い。そして、私たちがどう対応すべきか決定を迫られる問題が多く、要素還元主義に固執していては不可知論のままで止まり、何も決められず無責任ということになってしまうのだ。
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モデルとしてのドイツ史 1つのライヒ、複数のドイツ

『ドイツ史研究入門』より 総説 目的としてのドイツ、方法としてのドイツ

かつてニーチエは「善悪の彼岸」(1886年)において、「ドイツ人を特徴づけるのは、彼らにおいて「ドイツとは何か」という問いが決して消えてなくならない、ということである」と述べた。ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』以来の構築主義の洗礼を受けた現在からみると、それはドイツに限られたものではないのではないか、という反論が返ってくるかもしれない。しかしドイツには、ニーチエが示唆するように、「国民」の自己理解ないしアイデンティティが相対的ににこでの比較対象はやはり英・米・仏となるが)不安定であったことは否定できない。それには、領土の伸縮の激しさに加え、政治体制の変化、宗教改革以来のカトリックとプロテスタントの対抗関係など、さまざまな要因がある。さらにドイツ史を研究する際に基本的前提となるのが連邦制である。この神聖ローマ帝国以来現在まで続く国制は、まさにドイツの伝統ともいってよく、ドイツにおけるナショナリズムのあり方にも大きな影響を与えてきた。前述のドイツ連邦議会の決議にもあげられていた、ドイツにおける国民国家建設とされる1871年のドイツ帝国成立は、日本の場合でいえば廃藩置県ではなく、むしろ雄藩連合に近いものであり、その意味で「モデルとしてのドイツ」からは重要な点において逸脱していた。

ただし、この連邦制という遠心力の一方で、枠組としての「ライヒ」という観念が求心力を発揮したことも否定できない事実である。「ライヒ」は神聖ローマ帝国を出発とし、日本語では一般に「帝国」と訳されることが多い。1806年にこの枠組が崩壊したのち、ドイツのナショナリストたちはその再建を構想し、運動することになる。1866年に成立した北ドイツ連邦議会はすでに「ライヒ議会」を名乗り、71年のドイツ帝国成立とともに文字通り「帝国議会」となる。しかし帝政崩壊後のヴァイマル共和国においても、国会の名称は「ライヒ議会」のままであり、ナチスにも受け継がれた。このように、「ライヒ」という観念は政治体制を超えた「国体」の含意があり、同時にそれは、近代的な意味でのドイツ国民国家としての意味にとどまらず、他民族を包含する「帝国」ともなり、ヨーロッパにおける覇権的地位を正当化する概念ともなった。いずれにしても、こうした「内と外」をめぐる分権的な遠心力と、にもかかわらず「ライヒ」として1っにまとまろうとする求心力とのせめぎあいが、ドイツ史の大きな特徴をなしており、こうした政治的編成の複雑なあり方は、誤解を恐れずにいえば、現在進行中のヨーロッパ統合(あるいはドイツ人がイメージするヨーロッパのあり方)を理解するうえでも参考になるであろう。

しかし、こうしたダイナミックなドイツ史はそれ自体興味をかき立てずにはおかない一方で、いざ入門的概説として「ドイツ史」を書こうとする場合、困難をもたらすことになる。その代表的な例がオーストリアをどう扱うか、という問題である。長らく神聖ローマ帝国の皇帝の座を占めてきたハプスブルク家が支配するオーストリアは、1866年の普襖戦争の結果ドイツから排除され、1938年の併合(アンシュルス)によって再びドイツに加わり、ヒトラーは故郷に錦を飾った。しかし1945年以降再び分離すると、ナチ時代の過去に対する「犠牲者史観」もあり、独自の「オーストリア国民」としての意識が定着することになる。この包摂・排除(分離)はたんにオーストリア自体にとってだけの問題ではなく、ドイツ史にとっては前述のカトリックとプロテスタントの措抗関係においても大きな意味をもっていた。逆にいえば、オーストリアと対抗関係にあったプロイセンについても、近代におけるドイツ統一の中核であったことが強調されるなかで、その非ドイツ的な、あるいは多元的な構成が軽視されてきたという点にも配慮が必要なのである。とはいえ、どのような地理的名称をあてるにせよ、それ自体が歴史のなかで政治的な意味をもち、異なる解釈が対立し、読み替えられていくことは避けがたいといえるだろう。「ドイツ史」の代わりに「中欧史」という枠組を採用しても、「中欧」そのものが政治的なプログラムであり、また制度的な実態をともなわないものであるため、問題はより複雑なものとなろう。むしろ重要なことは、中央集権的な主権国家という近代日本のイメージをそのままあてはめないことであり、ライヒや同君連合、連邦制といった観念・制度を、時代の文脈のなかで理解し、意識しておくことである。

地理的な枠組としてのドイツについて、もうひとっ指摘すべきは、植民地の問題である。植民地宗主国としてのドイツの歴史は英・仏などに比べると極めて短命であり、ビスマルクの植民地政策やヴィルヘルム2世の世界政策など帝国主義の枠組のなかで研究がおこなわれる一方、第一次世界大戦での敗戦による植民地喪失とともにドイツの植民(地主義)史も姿を消すことになった。しかし近年では、ポスト・コロニアル研究の影響を受け、「植民地なき植民地主義」として、帝国建設以前における植民地をめぐるイメージがドイツの国民意識の形成に与えた影響力を指摘する研究や, 20世紀初頭のヘレロ・ナマクア虐殺を20世紀のジェノサイドの最初の例とみなし、それが第二次世界大戦においてヨーロッパに逆流するという植民地からホロコーストヘの連続性を指摘する議論もでてきている。さらには、18世紀後半のポーランド分割以来のプロイセン・ドイツ史を多民族的な「大陸帝国」として、国民国家としての西ヨーロッパ諸国との対比よりも、ロシア、オーストリア、オスマンの諸帝国との比較や関係のなかで考察すべきであるという指摘もある。もちろん海外植民地と大陸の異民族支配(とくにナチ期の「生存圏」)には大きな相違が存在するが,「ドイツ」を国境線の内側だけに狭く限定せず、開いて考察することが今後さらに必要となるであろう。
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未唯宇宙を表現するツール

未唯へ

 月曜日居るかどうか確認したけど、私の方が休みだった。連絡手段がない。

 チップアップブルゾン3000円だったけど、買いました。夏のコートです。バスの冷房対策に使います。

 雑記帳は#777を超えました。#1000までかなり掛かります。

未唯宇宙への旅立ち

 さあ。旅立ちましょう。全てを片付けるために。宇宙論から始まったのは正解かもしれない。-28から+28累乗の世界。

 ローカルからグローバルに上げる恐さは知っているはずです。部品表の時にやりました。品番が属性を持っている。それの集合関係の複雑さ。その意味では、ローカルとグローバルを同時に考える、言葉の極限みたいなものです。

 心の安定装置はIさんだけにします。あと6カ月間の暮らしの仕方です。

パートナーの相談

 一昨日で、パートナーとの関係は終わりました。始まってもいないけど。なにしろ、奇跡の3週間の後です。

 ここまでやる気になってきたのは、パートナーのおかげです。「もう、いやだ」と言いながら、あのやる気を膨大な思い。そして、悩み抜く力。私のエネルギー源です。全てのはじまりです。

 パートナーに一番、知ってもらいたいのは、あなたのために世界は動いている。もう少し、付け加えると、あなたのためだけに世界は動いている。

未唯宇宙を表現

 やはり、未唯宇宙全体を示すためのデータがいります。パソコンを開いていては面倒くさくてしょうがない。紙ではでかすぎる。だから、タブレットを使います。何しろ、コンパクトにします。膨大な文書処理から答えが出るかどうか。

 キンドルペーパーは単機能です。文献と考えることは分けた方がいいです。考えることを紙の方に期待しましょう。文献の方にはインデックスを付けないといけない。キンドルペーパーの機能はかなりあるので、それを使いこなします。

 未唯宇宙の拡がりをどう表現するのか。次元を超えた位相化するしかない。紙とキンドルで空間定義を行えるようにします。キンドル上に未唯宇宙(μ-Space)を作り出す。
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