goo

習近平世代への期待

『習近平時代の中国』 劉暁波の予言-ネット民主革命の芽

「中国変革が起きた時に受け皿のイメージができない」

草の根の人権運動が先行

 だが、中国当局は「金盾工程」と呼ばれるネット監視システムを人海戦術で構築している。共産党・政府にとって不都合な情報を規制する「ネット警察」は3万人以上とも10万人以上ともされる。

 このほか、ネットに当局寄りの見解を書き込む「5毛党」がネット世論づくりに貢献する。1元は10毛で、1本書き込むと5毛(約6円)もらえる手ごろな内職になっており、「5毛党」は合計で30万人以上に達すると言われる。中国では簡易ブログ「ツイッター」や交流サイト「フェイスブック」などのサービスも、特殊ソフトがなければ利用できない。

 共産党・政府の締め付けは強く、民主化運動には大きな壁が立ちはだかる。中国で共産党の一党支配が崩れる民主革命の「Xデー」はいつ訪れるのだろうか。劉暁波氏にこんな質問をしてみた。

 劉氏はまず「予測はとても難しい」と慎重に見極める姿勢を示した。そのうえで「胡錦濤体制での民主化の進展は非常に難しい」と述べ、すぐに民主革命が実現できるわけではないとの見方も明らかにした。ただ、一方で「比較的、楽観的だ」とも語り、今後の政治・社会状況の静かな変化として注目すべき2つの要素を挙げた。

 1つ目は民衆レペルの「下」からの民主化のうねりだ。

 「土地開発を進める中国当局が住民に強制立ち退きを迫っている問題で民衆の反抗は強い。警察が民衆を暴力で鎮圧する事件が相次いでいることも非常に重要だ。民衆の運動は経済権益を守る民間の運動から始まるが、その後に言論の自由や表現の自由、知る権利、環境保護などの問題に広がることになるだろう」

 身近に生じた問題を通じて権利意識に目覚めた民衆が、人権問題を含めた幅広い民主化運動にじわりと参入してくるだろうと予測した。

 2008年5月に会った時も、劉暁波氏は次のように話した。

 「中国共産党の首脳部は政治改革を自らのコントロール下に置こうとするが、こうした考えは愚かだ。メディア界が報道の自由を求めている。言論と報道の自由は中国の制度変化の突破口になる。中国の民主化は民主より自由が先に来るとみている」

 統治機構の民主革命よりも、基本的人権の保障を求める草の根の運動が先行する形で、中国の民主化は進行していく、との見方だった。民主化の歩みは遅々としながらも、ネットなどを通じて「言論の自由」が拡大し、政治改革への突破口を開く可能性があるとの認識を示した。

習近平世代への期待

 劉暁波氏が民主化の行方を左右する2つ目の要素として挙げたのは、共産党指導部の「上」からの民主化の動きだ。注目していたのは胡錦濤世代から「ポスト胡錦濤」世代への最高指導部の交代だった。

 「2012年秋の第18回共産党大会は節目になる。胡錦濤ら『第4世代』の指導者が受けた教育は完全に毛沢束時代のものだ。しかし習近平、李克強、王岐山、薄煕来ら『第5世代』の指導者は胡錦濤と違うところがある。教育を受けた背景は我々の世代と変わらない」

 習近平氏ら「第5世代」のリーダーが中国政界の中核を担う2012年以降の「ポスト胡錦濤時代」に期待をにじませたのは意外だった。中国のリーダーが政治志向を巡って個性的な見解を明らかにすることはめったになく、2007年のころはまだ習近平氏の国政全体に関する発言もほとんど伝えられていなかったからだ。劉暁波氏の見立ては願望のようにも聞こえた。

 劉暁波氏の期待は「第5世代」の教育環境に基づく資質に対してだけではなく、世代交代に伴う政界構図の変化にも向けられていた。

 劉暁波氏は「ポスト胡錦濤」時代では最高指導者の権力が相対的に低下し「共産党幹部の中で権力抗争が起きる」と予測した。権力抗争の結果、最高指導部が分裂することで、「上」から民主化の動きが出ることに期待をにじませた。

 振り返ってみれば、1989年に天安門事件が起きた背景にも、中国共産党の最高指導部内の権力抗争と分裂があった。当時の民主化運動の盛り上がりは、学生や民主活動家の力だけではなく、愛国的運動と評価した趙紫陽共産党総書記(当時)が後押しした結果だった。強硬派の李鵬首相(同)ら保守派と、趙紫陽氏が指導部内で対立した帰結でもあった。

 胡錦濤指導部は権力抗争を繰り広げながらも、一党支配体制の堅持のために結束が必要との認識では一致している。この中南海における鉄則が、天安門事件のような民主化運動の再現をより難しくしている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「ローカルからグローバルヘ」の全体構造

『創造的福祉社会』より

「ローカルとグローバルの関係からアップしました」

地域の重要性が高まるといっても、もちろんローカルな地域はそれだけで孤立して存在するものではない。では、これからの時代において「ローカルからグローバルヘ」の役割分担はどのようなものであるべきだろうか。つまり、どのようなモノやサービスの生産・消費はできる限り地域のローカルな単位で行われ、どのようなものはより広域的な空間単位において生産・消費されるべきなのだろうか。

議論の前提として確認すると、ここ二〇〇~三〇〇年前後の市場化や産業化のプロセスの中で、生産(ないし技術革新)や消費構造において基軸をなしてきたコンセプトは、大きく「物質」→「エネルギー」→「情報」→「時間」という形で変遷してきたと概ねとらえることができるだろう。

すなわち、産業化以前の市場経済の拡大において様々な「物質」の流通が活発化したことに始まり、一九世紀を中心に産業化(ないし工業化)を通じて石油・電力等の「エネルギー」の生産・消費が本格化し、さらに二〇世紀半ば前後からは「情報の消費」が展開していった。ちなみにここでの「情報の消費」とは、ITやインターネット等といったものに限らず、たとえば商品を買うときにそのデザインやブランドに着目して購入するといったより広義の内容を指している。

これらは経済活動の規模を飛躍的に拡大・成長させると同時に、別の角度から見ると、前の段階の生産・消費を次々に「手段化」する形でシステムの展開が図られ、同時にまた、ある地域にローカルに局限された経済活動が(資源の調達においてもまた商品の販売先としても)よりグローバルな方向に空間的に広がっていくプロセス(=世界市場化)でもあった。

ところが、こうした経済システムの進化の帰結として、人々の需要は(少なくとも市場経済で測定できるようなものに関しては)ほとんど飽和しつつあり、「時間の消費」--自然やコミュニテイ、精神的な充足に関する欲求で、そうした「時間」を過ごすこと自体に価値を見出すような志向--とも呼びうる方向や、「市場経済を超える領域」が展開しようとしている。このことは、人々の欲求や需要の方向が、上記のような限りない手段化・効率化から、むしろ現在充足的な方向あるいはローカルな方向へと転化しつつあることを意味している。

このような歴史的展開や構造を踏まえれば、今後の世界ないし地球社会における経済活動は、次のような「生産/消費の重層的な自立と分業」を基調としたものであるべきではないだろうか。すなわち、

(1) 物質的生産、特に食料生産および「ケア」はできる限りローカルな地域単位で。……ローカル~ナショナル

(2) エ業製品やエネルギーについてはより広範囲の地域単位で。……ナショナル~リージョナル(ただしエネルギーも究極的には自然エネルギーを中心にできる限りローカルに。)

(3) 情報の生産/消費ないし流通についてはもっとも広範囲に。……グローバル

(4) 時間の消費(コミュティや自然等に関わる欲求ないし市場経済を超える活動)はローカルに。

私自身のここでの主張は、日本を含め、ポスト産業化あるいは市場経済の成熟化の段階に達した国々は、限りない市場経済の拡大や資源消費の無限化という方向を目指すのではなく、以上に示したように、できる限りローカルなレベルから「地域において循環する経済」を積み上げていくという姿を実現していくべきというものである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

パートナーへのつぶやき

1月・2月のブログを反映をしていて、気づいたのは、パートナーへのつぶやきの多さです。それをまとめてきた。その時に状況をイメージするとなかなか興味深いです。

パートナーがライブラリーに夢が持てない。
パートナーがいると思うから面倒なのです。
パートナーの夢に負けない、まともな見解が出せるかどうか。
パートナーの夢次第です。
とりあえず、パートナーを安定させることに専念します。
パートナーとの分担も含めて、やはり、今年のテーマです。
パートナーには、第2レイアまで上がってほしい。
つまり、パートナーの視点です。
隣にパートナーが居た方が、時間が経つのが早い。
パートナーにも参画してもらい、プロジェクトへの覚悟を決めてもらう。
これもパートナーの「夢」にしてほしい。
パートナーへのプレゼンのシーンを思い浮かべていた。
パートナーの夢があれば、それを全力で支援はします。
パートナーが関係部署に思いを伝えられるような原稿を作って行きたい。
パートナーから「ふわふわした」プロジェクトと言われた。
パートナーが関係者にプレゼンできるものにします。
まあ、パートナーの夢次第です。
パートナーが本音でないことを言っているときはすぐ分かる。
パートナーに弧高を求めるのは無理!
パートナーでイメージを作ろうとしたが、無理強いは出来ない。
パートナーはいつ、自分の大きさに気づくのか!
パートナーのことよりも、この会社の先のことを考えているのは確かです。
仕事でパートナーに強要しているのは何のためですか
パートナーの夢解析の詳細を行います。
これはパートナーが予言していることです。
パートナーと「仕切る」ことを論議していた。
パートナー個人のミッションとして、何をするのか。
パートナーのために「事務局機能」と「ライブラリの拡大」に続けます。
これもパートナーのテーマです。
パートナーの仕切ってもらいます。。
パートナーからは今日はほとんどシカトされていた。
パートナーへの仕事への関与はやめる。
この構図をパートナーと話しかったけど、無視された。
パートナーの反応は意に介さない。
パートナーに確認を行いました。
現実にパートナーが行っていることを項目に入れ込むことを通告しました。
ネットワーク部分についてはパートナーに仕事にしていく。
これらは明日、パートナーにつなげよう。
パートナーの顔には笑いはない。
パートナーも単なる拘りです。
分かる可能性を持っているのは、パートナーしかいない。
パートナーが、この会社の最後の防衛線です。
パートナーとは、2年前の3月からずれてきているのは分かっていた
パートナーへのメールの答が返ってこない。
パートナーに言いたかったことは、このことです。
昨日のパートナーとのやり取りなども考慮した。
明日のパートナーとの進め方検討に生かします。
パートナーと次期ネットの進め方の検討を行った。
理解してほしいよりもパートナーを支援してもらうためです。
パートナーに自然に分かってもらう。
パートナーと話すと頭に来て、後味が悪い。
パートナーからの反応が薄くなっています。
だから、ライブラリはパートナーです。
パートナーには、現在の業務の延長線上で、進め方を考えてもらいたい。
これはパートナーでないとできません。
パートナーも育ったからフォローも必要なくなっています。
パートナーは、今のことしかできないから、「先の人」は嫌います。
パートナーに深い部分を説明しても、不快な思いをするだけです。
パートナーが居ないときの仕事と一緒です。
心配してくれていたのはパートナーだけですね。
パートナーには、現在の業務を進めながら、自分の能力にめざめてほしい。
ネットワークはパートナーでないとできません。

本当に葛藤していた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

インドネシアの世論とイリュージョン

『南部アジア』より インドネシア--民主化時代のイスラーム政治--

「どう見ても、権力闘争ですよね」

東南アジアでイスラームと言えば、ますインドネシアを思い浮かべる人が多い。ただムスリム人口が支配的な国ということだけでなく、近年、外国人をターゲットにしたテロリズムが増えていることも、そのイメージ形成に影響していよう。インドネシアのイスラームは、政治アクターとして、どのような役割をもっているのか。民主化によって大きく変容しているインドネシアの政治におけるイスラーム勢力の動態を考察する。なゼ過激主義が台頭しているのか。また伝統的な農村部、あるいは近代的な都市部で、政治とイスラームの関係はどのように再編されようとしているのか。またグローバルなイスラーム主義運動とインドネシアは、どのように連動しているのか。イスラームの多様な挑戦を理解することは、インドネシア政治の行方を考える上で欠かせない。

2002年以降、爆弾テロ事件が頻繁におきる状況や, 2004年の総選挙で福祉正義党ブームが起きたことを背景に、外国メディアはインドネシアの「イスラーム化」を語る機会が増えている。それは少なからず国際世論を形成してきた。同時に、ハンチントンの「文明の衝突」や、冷戦後のアメリカの中東政策、さらにはイスラーム復興運動のグローバル化の文脈でインドネシアを見る視点が、外交政策に投射されるようにもなった。たしかにグローバルにイスラームをとらえることは重要ではある。しかし、インドネシアにはインドネシアの力学がある。そのローカルな力学をクローズアップしてきた。

この国の政治が「イスラーム化」しつつあるという国際イメージはイリュージョンに近い。なぜなら国民がそれを支持していないからである。各種世論調査は一貫してその傾向を示してきた。選挙でもイスラーム系政党を支持するのは、常にマイノリティである。さらに、2005年から全国一斉にスタートした地方首長の直接選挙でも、今日に至るまで急進的なイスラーム主義を掲げる候補者が当選したケースは皆無に等しい。

この国のイスラーム政治は、世論ではなく権力政治の論理で見るとベクトルが浮き彫りになる。特に民主化で政治参加と競争が開放され、権力関係が流動化していることに着目することが重要である。この流動化が、一方で封建社会のキアイ政治を強化し、他方で都市部大衆の政治不信の受け皿を作り、同時に過激集団を解き放つ、といった3次元の展開をもたらしている。言い方を変えれば、これらはすべてエリート政治の産物であり、たとえばキアイの利用、政治腐敗の制度化、過激集団の利用といった問題に起因している。今後もそれは変わらない。インドネシアのイスラーム政治の実像は、ここに核がある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世界に羽ばたくインド系移民

『南部アジア』より インド-グローバル化への対応と民主主義の強化

「インドの人口問題が問題にならない理由が知りたい」

急激な経済成長を遂げつつあるインドは、国内政治面では民主政治の新たな段階を迎えつつある。インドは発展途上国としては比較的有利な条件の下で民主政治を始動させたが、その後社会の変化に伴い数々の試練に直面した。エリート政治から大衆の政治参加要求、そしてグローバル化に対して、政党制の変遷と地方分権の強化などで対応してきた。環境の変化に対する柔軟性と適応能力において、インドは抜群の強さを示してきた。

一方外交面でも、冷戦終焉後アメリカとの大幅な関係強化、対中関係改善、パキスタンとの和平プロセス開始など、大きな舵取りを行い、かなりの成功をおさめている。近隣諸国の政情不安定に懸念が残るものの、ロシア、ヨーロッパ、アジア諸国との関係も順調に推移している。内政、外交両面でのダイナミックな展開と、実力をつけた在外インド人の活躍が、今後さらにインドを世界的大国へと押し上げていくことであろう。今後を占う上で、エネルギー問題が一つの焦点になるかもしれない。

印米両国が急接近した大きな要因のlつは、在米インド人の存在である。インド人移民は、主としてプランテーションなどの労働力として大規模に海外に流出した19世紀以来、様々な形で、いくつかの波をつくりながら行われた。在外インド人総数は2000万人を超える。東南アジア諸国には19世紀以降主としてプランテーション労働者として多くが移民したが、最近では、1990年代以降インドの最も優秀な専門知識をもつ人たちが欧米諸国へと移民している。IT技術者、医師、法律家などである。起業家も多い。彼らは、イギリスや北米に数多くいるエスニック集団のなかで、教育レベルおよび所得水準でトップクラスの地位を誇っている。インド政府の2000年の調査によれば、アメリカではインド系移民の平均年収は6万93ドルで、全国平均の3万8885ドルを大きく上回っている。カナダではインド系人口の所得水準は全国平均より20%高い。

以前は「頭脳流出」として、インドにとってのマイナス面が強調されていた彼らの存在が、インドの経済自由化と急速な成長が起こった1990年代以降、11名の上院議員を送り出しており、アメリカでもインド系アメリカ人が政治力をつけ、インドの核実験などに際して、反インド的な立法を阻止する上で重要な役割を担うようになった。今やユダヤ人と並ぶほどのロビー活動が行われており、それがアメリカ政府、インド政府双方の政策に大きな影響を及ぼしている。米印原子力合意に際してもインド系アメリカ人の発言力は大きかった。

インド政府も積極策に転じた。在外インド人とのパイプの確保に特に熱心だったのはBJPである。在外インド系住民の力を本国の経済発展に利用しようと考えたわけである。インド系移民の母国への帰国、投資、送金などが容易になるような政策を導入し、さらには先進国などに居住する住民には二重国籍を認める法改正も行った。今や、在外インド人は自由に母国と行き来し、郷里で結婚相手を見つけて豪勢な結婚式を催し、巨額の投資も行う。インド本国の経済成長と平行して、在外インド人も活発な動きを示し始めた。まさにグローバル化時代ならではの動きである。

長らく眠っていた巨象がついに動き始めた。中国と並んで、急浮上するアジアの大国が世界的注目をあびている。しかし、中国の台頭が多くの国で中国脅威論を呼び起こしているのに対し、インド脅威論はあまり聞かれない。おそらくその理由は、民主国家インドの透明性の高さに求められるであろう。内政、外交両面でのダイナミックな展開と、実力をつけた在外インド人の活躍が今後さらにインドを世界的大国へと押し上げていくことであろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

国民統合原理としての「ブータン性」

『南部アジア』より 多民族国家ブータン--国王主導の「民主化」

「ブータンの「国民総幸福」には何か裏を感じていたのでアップした」

ブータンは、多言語・多民族国家ながら、「ブータン性」に基づくネーション形成をめざしている。しかしこの方向に不安を抱かせる最大の存在が、「ブータン性」とは異質な、南部のネパール人の存在である。南部に住みっいたネパール系住民が、土地を開拓して定住し、その人口は急速に増えていき、ブータンの民族構成を大きく変えるまでに至った。チベット仏教を起源とする宗教文化・社会構造によってブータン政治を担ってきた「ブータン人」は、ヒンドゥー教徒であるネパール系住民の増大を「ブータン性によるネーション形成」への脅威と見た。

この問題に対処するため政府は、「ブータン化」を強調する一連の布告を発した。国籍法改正による国民認定条件の厳格化、国語ソンカ語の使用や、公的な場でのゴー、キラと呼ばれる民族服の着用義務化、第2外国語としてのネパール語教育の禁止などである。加えて南部に居住するネパール系住民の「強制排除(国外追放)」も強行した。このような「ブータン化」の押しつけとネパール系住民の排除は、幾世代もかけてブータンに住み着き、ブータン国民と認められたネパール系の人々の不安をかきたてた。

政府は、国外追放の対象となるのはネパール系ブータン国民ではなく、南部の非合法移住者であると説明したが、戸籍制度がないため国籍証明が困難なケースが多く、さらに末端では「ネパール系住民の過剰な排除」もあり、国外に逃れたネパール系住民は10万を超えた。ブータン政府による扱いに不満をもつネパール系住民のなかから政党結成の動きも強まった。これらの政治組織のなかには、王制批判、王制廃止を唱えるものもある。ネパールにおける民主化の動きも、ブータンのネパール系住民の政治化に影響している。

国民統合原理としての「ブータン性」の追求は、王制の正統性の根拠でもある。しかし多言語・多民族国家のブータンで、ナショナル・アイデンティティとして「ブータン性」を追求し確立していくことには困難が伴う。このことはネパール系住民問題で明らかとなった。「立憲君主制と議会制民主主義」への移行をめざすブータンが、ナショナル・アイデンティティとしての「ブータン性」を国民から問われる事態になれば、体制そのものが揺らぎかねないのであるレ

国民統合原理として、行政改革と国民意識結束の試みに触れておく必要があろう。先に、第4代国王による制度改革を述べた。国王はこれと並んで、技術と環境、近代化と伝統の調和などを織り込んだ「国民総幸福(Gross National Happiness)」構想を国家指標として打ち出し、様々な局面で積極的に取り上げた。「国民総幸福」は、「ブータン国民の幸福」をめざすことでブータンの国家建設つまり国民統合の指標となり手段となるのである。 2008年には、新憲法の施行と、成人普通選挙による国会議員選挙が実施された。また2008年には、現国王が退位し王座を皇太子に譲った。新国王はそれ以前にすでに国王代行として重要な国事に参加してきた。王室主導の、しかも矢継ぎ早の一連の制度改革に、多民族国家ブータンの国民統合の苦悩が読み取れる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サステナビリティ--持続可能な観光

『観光学キーワード』より

サステナビリティ概念の誕生

 サステナビリティ(持続可能性)というキーワードが今日のように用いられるようになった契機は「国連人間環境会議」(ストックホルム会議、1972年)に続く国連会議としてリオデジャネイロで1992年に開催された「環境と開発に関する国際連合会議(UNCED)」(地球サミット)であった。同会議は[持統可能な開発]が主テーマとなり、採択された「アジェンダ21」は、持続可能な経済開発のための行動計画をすべての自治体や業態が立案することが求められた。世界最大の産業とされた観光産業では、10年後の2002年を国連国際エコツーリズム年とし、それまでの10年間に各大陸・国・地域でサステナブルツーリズムを普及させ、その取り組みを2002年5月にケベック市(カナダ)で開催されるエコツーリズム世界サミットで報告した。

持続可能な観光の原則

 世界観光機関は、「持続可能なツーリズム開発の指針と管理の実践は、マスツーリズムやさまざまなニッチ市場向けのツーリズムを含むあらゆるタイプの旅行目的地での、あらゆる形態のツーリズムに適用することができる。持続可能性の原理は、ツーリズムの発展における環境、経済、社会文化的な側面にかかわっており、長期間の持続可能性を保障するためには、これら3つの次元の間に、適切なバランスが取れていなければならない」と述べている。さらにそのためには、サステナブルツーリズムは「①環境資源を最適に利用しなければならない、②ホスト・コミュニティの社会文化的真正性を尊敬しなければならない、③存続可能な長期的な経済活動を保障しなければならない」の3つの要件が求められるとしている。

 2008年10月第5回世界自然保護会議において、国際自然保護連合は、27の国際機関で構成するGSTCパートナーシップの策定により、持続可能な観光を実践する手引きとなる共通の枠組みとして、「世界規模での持続可能な観光クライテリア(GSTC)」を発表した。このクライテリアでは、(1)観光が地域コミュニティにもたらす社会的経済的利益を最大化すること、(2)文化遺産に対する悪影響を減らすこと、(3)地域環境への悪影響を減らすこと、(4)持続可能性のための計画づくり、という4つの分野に重点を置いている。

サステナビルツーリズムとエコツーリズム

 サステナブルツーリズムは持続可能な開発という理論的枠組みから観光を捉えた概念である。エコツーリズムにおいても、持続可能性は核となるコンセプトであるが、エコツーリズムが世界各地での具体的な環境保全と観光の矛盾への対応から生まれた概念であり仕組みであったのに対し、サステナブルツーリズムは具体的な地域や形態を問うものではなく、広くすべての観光において適用されるべき概念であり、エコツーリズムも,々む包括的な考え方であるといえる。いいかえれぱ、サステナブルツーリズムの概念は、観光の形態や地域を問わず、観光事業が普遍的に原則とすべきものである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

観光というテーマ--グローバル化の中で

『観光学キーワード』より

観光という現象

 観光という現象は、19世紀前半の西欧の交通技術の刷新と礼会変化、とりわけ鉄道という新しい移動のテクノロジーとともに誕生した。かっての旅がしばしば苦痛を伴うものだったのに対し、観光;は楽しみを目的とするという点で新しいものであった。日本でも1927年に柳田國男が「楽しみのために旅行するようになったのはまったく新文化のおかげである」と述べている。

 楽しみのための旅行は、交通技術のさらなる発展や20世紀後半のライフスタイルの変化とともにさらに大きな発展を見た。すなわち、欧米では、労働時間が減少し、有給休暇が長期化する中で、余暇や遊びの中に生きがいを見出す人々が出現するようになったのである。 D.マッカネルの名著「観光客』の副題は「有閑階級の新しい理論」である。

 日本でも、総務省が行っている「国民生活に関する世論調査」によると、1983年以降は「レジャー・余暇生活」が[住生活]を抜いて今後の生活の力点のトップにきている。そうした中で、観光という余暇利用の形態がますます大衆化してきているのだ。

観光という産業

 世界観光機構によると、国際旅行到着数は, 1950年には2500万人だったが, 2010年には10億人、2020年には約16億人に達すると予測されている。観光というシステムは、移動の技術からサービス、エンターテインメントに至るまで膨大な産業の連関の上に成り立っている。世界旅行ツーリズム協議会によると、観光産業は2010年(予測値)の世界経済の92%,雇用の8.1%を占めている。こうした中で、観光は今日巨大な社会現象となっており、脱工業化時代の主要産業としての観光に対する関心も世界的に高まっている。

 日本では, 2007年には観光立国推進基本法が制定され、2008年には観光庁が発足した。基本法では、「観光は、国際平和と国民生活の安定を象徴するもの」とうたわれ, 2010年6月、菅直人首相は施政方針演説の中で、新成長戦略に触れ、重点領域として、①環境(グリーンイノベーション)、②医療介護健康(ライフイノベーション)、③アジア経済戦略に続けて、④観光立国・地域活性化をあげた。観光庁は、特にインバウンド(訪日)観光に力を入れ、「訪日外国人3000万人へのロードマップ」として2019年までに2500万人の外国人観光客を受け入れるという目標を掲げている。
観光の21世紀一変容する観光

 観光は進化する。 1970年代以降、マスツーリズムやコマーシャリズムの弊害、観光開発が地域社会や自然環境に与える悪影響が問題化して、「もう1つの観光(オルタナティブツーリズム)」や「持続可能な観光」が議論されるようになった。特に環境問題に対する関心の高まりの中でエコツーリズムやグリーンツーリズムなどが新しい観光として注目されている。

 他方、観光客のあり方も変化し、団体パック旅行型の観光から自由個人型の観光へ、せわしない旅からのんびりとくつろぎ、心身を癒す旅を志向するようになってきている。この「癒し」をキーワードとした観光は今後、高齢化社会の進展とともに、ロングステイやヘルスツーリズムとして展開されていくだろう。

 スウェーデンの人類学者U.ハナーツが指摘しているように、労働のグローバリゼーションというものがあるとすれば、余暇のグローバリゼーションもあるだろう。この点で、観光は余暇のグローバリゼーションの大きな部分を担っている。同時に、観光は、ドイツの社会学者U.ベックらのいう「再帰的近代化」への重要な切り口ともなり得る。エコツーリズム、ヘリテージツーリズムなどは近代化の帰結を是正しようとする試みであり、その意味において「再帰的観光」といってもよいものである。                       
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

持続性確保の政治へ

『政治学をつかむ』より

近年、環境問題は持続性(sustainability)確保の問題という、より幅広い文脈において議論されるようになっている。先に述べたように、環境問題対応においては「同床異夢」は重要な決定メカニズムであったが、持続性確保においては、そもそも何の持続性確保が課題であるかをめぐって「同床異夢」がとられることになる。

環境問題の中においても、地球温暖化問題、オゾン層破壊問題、生物多様性保護問題等いろいろあり、ある問題への対策が他の問題の悪化をもたらすという相互トレード・オフが見られる場合もあった。このような性格加持皆吐確保を対象とすると、より一般化する。地球環境の持続性を確保するのか、エネルギー供給の持続性(エネルギー安全保障)を確保するのか、個人の保健・衛生の持続性(人間の安全保障)を確保するのか、あるいは政府の財政的持経吐を確保するのか、さまざまな次元がありうる。

可能なかぎりこれら各種持続性確保間での「同床異夢」を求めるというのは、社会における持続性確保において必要なことであろう。システム論的ないい方をするならば、複数システムを接合した複合システム(coupled systems)の最適化を試みるということになるのかもしれない。しかし、常に「同床異夢」が可能である保証はない。場合によっては、トレード・オフの中での選択を強いられることもありうる。誰のいかなる利害関心を切るべきではないのか、誰のいかなる利害関心は切り捨ててもいいのかという判断が求められることになる。この判断には、環境や持続可能性の名の下に新規参入してきた主体の利害の性格を見極め、しかるべき対応を行うといったことも含まれる。ただし、最終的には、人権等を含めた基本的権利という概念がものをいうことにもなりうる。ブルントラント委員会報告でも、(人々の基本的欲求(the basic needs)」という用語が使われていたが、これはなるべく尊重されるべきであるということになる。しかし、この運用は政治的になかなかやっかいである。そのため、なるべくこのようなトレード・オフの判断を避けるために(=判断にともなう政治的コストを下げるために)、ウィン・ウィン(相勝ち状況)を可能にする技術革新を求める声は絶えない。しかし、技術革新の背後にも、副次的な便益や潜在的なリスクが隠されている場合が多いのであり、一定の切り捨てをともなう政治的判断を回避することはできない。自然という物理的制約条件との関連の下で、政治における価値の問題が再浮上するといえる。

環境問題あるいは持続性確保をめぐる政治は、「同床異夢」あるいは利益連合の知恵が引き続き重要である点では、古典的政治の延長上にある。他方、政治的新規参入を促し最終的に価値の問題を再浮上させる点て、新たな局面をもたらしている。環境問題あるいは持続性確保をめぐる政策過程は、これらの2つの要素の緊張関係の産物であるといえるだろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

豊田市図書館は20冊です

未唯へ

 今日は何をしましょうか。8月は根源的な整理だから、根源的でない部分の整理をしていきます。考える範囲は増えたけど、ハッキリした所がない。

 足がダメです。痛くて、動く気になりません。心理面の影響が強いですね。

 スタバに来たが、FM2がゼロです。早く、帰りましょう。

本がない休みの過ごし方

 本がない休みにどうもなれない。時間の使い方がいい加減です。なぜ、こんなに不安定なのか、分かっています。食べ過ぎています。

存在と無
 
「存在と無」はかなり、拡張できます。数学的な意味でも、哲学的な意味でも。

 ここから説明した方が分かりやすいでしょう。ほとんどのhとが思っています。自分がなぜ、存在するのか。そして、存在のあいまいさ。

金曜日の新刊書争い

 図書館は2時半でいいのに、また2時にスタンバイしています。新刊書は見るからの少ない。それとハゲ鷹が10匹です。あっという間になくなります。

 本は少なかった。ウィトゲンシュタイン2冊を含んで、20冊だけです。

 452.12『南極海ダイナミクスをめぐる地球の不思議』地球環境の未来は「南極海」が握っている
 304『日本創生』希望と信頼の国への改革マップ
 361.4『アイデンティティと暴力』運命は幻想である 人を矮小化することの恐るべき影響とはなにかを考察する
 336.83『なぜアップルの時価総額はソニーの8倍になったのか?』「会社四季報」で読み解くビジネス数字の秘密
 675『彼女はなぜ「それ」を選ぶのか?』世界で売れる秘密
 543.5『原発と震災』この国に建てる場所はあるのか 「科学」編集部
 134.97『ウィトゲンシュタイン』「私」は消去できるか 哲学のエッセンス
 304『日本の未来を話そう』 日本再生への提言 マッキンゼー・アンド・カンパニー
 290.8『ロシア・中央アジア』ベラン世界地理体系8 16000円
 548.29『はじめてのiPad2』
 492.91『脳神経外科』新看護観察のキーポイントシリーズ
 288.41『昭和天皇伝』
 159.2『加来耕三の感動する日本史』学校では教えない心を打つ実話の数々 涙が止まらない29の話!
 134.97『ウィトゲンシュタイン』ネクタイをしない哲学者 哲学の現代を読む
 365.3『エイジング・イン・プレイス(地域居住)と高齢者住宅』日本とデンマークの実証的比較研究
 331.43『人口論』マルサス
 913.6『ローマとギリシャの英雄たち(黎明篇)』阿刀田高 プルタークの物語
 913.6『ローマとギリシャの英雄たち(栄華篇)』阿刀田高 プルタークの物語
 543.8『宇宙太陽光発電所』新太陽光エネルギー社会と宇宙生存学が明日をつくる
 670.93『NONネイティブの英会話』ビジネス英語がこんなに簡単!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ