芭蕉とバナナはよく似ているが、実のなるものがバナナだと思え、と教えるという。子どものころ畑のそばにあった芭蕉にはバナナに似た小さな実が、バナナのようについていたが口にしたことはなi
。バナナに似ていると思えるようになったのは、祭りで見たバナナのたたき売りからだ。バナナ、今は病気でなくても普段に食べるようになった。
芭蕉もバナナも植物学の分類では「バショウ科バショウ属の大型多年草」と呼ばれるということは離れがたい同類ということだろう。芭蕉を植え、その葉に習字、文字の書き方を習うことに使ったという。茎から繊維を採り、芭蕉布が織られ紙の原料にもなった。先日、伝統ある和紙が世界文化遺産に登録された。芭蕉布でつくられている紙があれば同じ遺産だろう。
芭蕉の葉はとにかく大きく重い。父の切り落とした葉を運んだことが何度もある。切り口から水滴がしたたるほどだから、重さの正体は水分なのだろう。芭蕉の大きな葉の使い道は岩国寿司の段仕切に使っていた。近所の家からよく貰いに見えていた。扱い方が悪いと簡単に裂ける。芭蕉の緑濃い葉が風になびく姿は、戦国時代武者たちの旗指物に似ている。旗指物の原型にという説はどこかにないのだろうか。
その葉は風に弱く秋になると破れはじめる。これを破れ芭蕉と昔の人は称した。確かにその通りで言い換える言葉はない。破れ芭蕉はやがて葉が姿を消す。すると枯芭蕉と呼ぶ。敗れた武者たちの膝を落とした姿に似る。途中から折れた茎は戦いで折れた槍に見える。武者は戻れないが、春になると朽ち果てた場所から芽生え始める。自然は循環という不思議さを忍ばせる。