変換キーを押すと意味不明の文字が並ぶ。「どうしたのか」とパソコンに問いかけ、急いで削除する。再入力し変換するも前と同じ文字並び。原因は簡単明白、2回も入力間違いだ。間違いに気づかずアップし「間違っているよ」と教えられることもある。そんなことが少し増えたかな、何とかの前兆かな、と気になる。
誤ってキーを打っているので意のごとく変換できない。意の通り、思った通りできないのは何もパソコン入力だけではない。陶芸教室で粘土と格闘するときは頻繁にそれを経験する。手さばきが悪く形を崩したり欠けたりさせる。そんなときは、粘土の練り直しから再挑戦となる。
「ありゃ」と大きな声。振り向くと、声を出した人は、先ほどまで厚みを薄くする手元を観察させてもらっていた人。その人を仲間内では師匠と呼ぶ。教室のスッタフも一目置く。それでいて気は優しく誰にでも惜しみなく技を教える。その人の前で回転している、ろくろ盤上にあるはずの作品がない。
床に落ちた未完成の湯呑にけさがけ状の細い割れ目が走っている。「上手の手から水が漏れる」とはこのことだと思いながら見ると、裂け目は、厚さ2ミリほどまで薄く仕上げられた内側に達している。そこからが師匠。粘土をドロドロにしたドべと筆を使って「上手く仕上がりましたね」といわせる補修はさすがだ。
今年も暮れる。気づいていない迷惑な行為があったろう。私が知らないだけで不快な思いをかけたかもしれない。PCキーのように打ち直しや湯呑の亀裂補修のような繕いはできないが、巳年は、心が広く忍耐力があり、品位は高尚で温和な天性とある。これに免じて許してもらうこととしよう。