日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

独自の発見を書く

2013年12月29日 | エッセイサロン


 今年もいよいよ大詰め、各界各層で、恒例の、この1年を振り返る報道がされている。そんな中、靖国参拝や辺野古埋め立て承認などの大きなニュースが割り込んできた。これらのさき行きは年越しとなる。わが1年、エッセイ仲間の支援で小さな1冊だが自費出版出来たこと。これを機に「読んでもらえる」内容作りに励みたい。

 新聞文芸欄短歌の選者が投稿者に「対象に独自の発見を」と説かれている。その中で「自作を自分の目で客観的に眺め、選ぶ力をつける」ことを勧められている。「すると、良い歌とそうでない歌の判別がつくようになる。つまりは、良い歌とは、どれだけ独自性があるかという点にある。自然を対象にしても、人間を対象にしても、そこに、自分だけしか感じ得ない、何かを発見することが大切で、それが歌の独自性につながる」という。

 エッセイで教えられる。「ありきたりの表現を使っていないか、ありきたりの言葉、手あかのついた言葉、美辞麗句は使わない」「悲しいとか、うれしいとか、の言葉を使っていないか。感情は表現せず、できるだけ情景描写であらわす」とある。自分が見つけたことをどんなに表現すれば、より読み手に伝わるか、それには独自の視点で独自の表現をすること、と習う。

 先の選者が例示した1首。「大きなるスイカ三個育てあげ子の無きわれの子のごとく抱く」。作者は96歳。「巧みな作ではないが、自分の心情を、ためらわず、飾らず、一首としている。巧拙に走らず、正直に作ることを心がければおのずといい作品が生まれる」と結んである。

 少し恰好よく、少し知ったげに、たまには欲張って、そんなことは書いてる時によくある。読み返すとそこは削除する箇所になる。「巧拙にこだわらず、まず、自分のそのままをさらけ出して書く」これを今年の振り返りとしよう。錦帯橋周辺のホテルや旅館、割烹や食事処に門松が勢揃いした。見くらべて歩きながら、くる年への1作目を練る。
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