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神武正統記念碑

2011年09月15日 | しっちょる岩国
           

徴古館へある展示会を見に行ったとき、正門を入って右側の塀沿いに石碑のがあるのに気付いた。そのそばに立てられた説明にこう記るされている。「居合兵法の技を 慶長15年(1610)後陽成天皇のご覧にいれた片山伯者守久安を祖とし いらい歴代岩国藩の剣術師範を務めた 片山家の事歴が記してある(明治25年に8代片山武助が建立)」

その碑の上部には「神武正統記念碑」とある。文字は読めないし文意も理解できないが「当祖先片山伯耆守久安」という文頭だけは読める。そこから大阪城落城の後、岩国藩主吉川広家に客分として迎えられ、広正の師となった人。ここに岩国藩の剣道は片山流によって最初の道が開かれた、と記録にある。

久安は天正3(1575)年に生まれ駿州片山の里で、伯父松庵について学び居合十八刀の伝授をうけ、駿州愛宕神社に参籠して悟りを開いた。関白秀次、その死後豊臣家を継いだ幼少の秀頼にも剣術指南として仕えた。説明板にある後陽成天皇に招かれ武技を天覧したさいにもちいたのは、松庵から授かった十八刀の内の一刀で名刀「礒の波」だった。

神武(しんぶ)とは、優れた高い武徳という。碑文の意味が理解できないのでその詳細を知る由もないが、人物にも優れた武術者であったことがうかがえる。久安は1650(慶安3)年76歳でこの世をさった。徴古館前庭の牡丹園そばにその碑は建立からおよそ120年、かの地の移り変わりを見てこられた。

(写真:静かに立っている神武正統記念碑)
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