岩国港は江戸時代後期の1811(文化8)年の開港から今年で200年、それを記念して各種の記念行事が催されている。先日は帆船「日本丸」が入港し、多くの市民の目を奪った。その催しのひとつで「岩国港築港200年記念事業 江戸・明治・平成の海図展」が隣町で開かれている。
岩国初代藩主吉川広家は入封後の1602(慶長7)年、今津川河口(油政付近)に初めて港を築いた。ところが河口域の干拓で港が次第に海から遠くなり、船の出入りが不便になった。1805(文化2)年、裏番役の樋口祥左衛門の建言で、海を埋め立て港を築いたという。場所はいまの装港小学校付近。
伊能忠敬とその一行が全国を測量し作製した日本地図の総称を「伊能図」と呼ぶそうだ。その伊能図の中の岩国付近が展示されている。1806(文化3)年の第5次測量によるとある。それは岩国港築港の始まる3年前にあたる。
写真の伊能図は、国土地理院が米国会図書館で発見された地図。そのうちの山景や海面などに彩色のないものに、伊能忠敬から7代目にあたる洋画家・伊能 洋氏が監修し、伊能図の華麗、精彩なイメージを手彩色により復元したとある。
伊能図には門前側河口に大小4つの島が載っている。しかし1903(明治36)年の海図には見られない。その代わり島のあった付近で、川下の中津が門前方向へ大きくはみ出している。4つの島が干拓で川下と一つになったのだろうか。
伊能図は1800年から1816年まで、全国4万キロを走破し完成された。その時の辛苦が小学校の教科書に載っていたことを思い出す。