日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

タッチの差

2008年09月11日 | 生活・ニュース
                 

宝くじの1等賞金が500万円のころ。数人の職場仲間でグループ買いをしていた。抽選の翌日新聞で当選番号を確認する。組番号が同じ、期待したが、ちょうど10番違いだった。昭和40年前後。

世話人は「もう1人前に並んでいたら」と悔しがることしきり。悔しいのはみな同じ。その日の帰り、当該宝くじ券売り場にはでかでかとした文字で「1等当選」の張り紙、意味のない張り紙に見えた。以後グループ買いは自然休止から中止へと変わった。

東京出張は夜行寝台「あさかぜ」が主流のころ。ギリギリまで残業して駅に。先に雑誌を買った。駅弁を買おうとしたら前の人で売り切れ。駅弁を買った最後の人は私の次に駅舎に入った人だった。しかしあとの祭り。

タッチの差、水泳ではよく使われるしその意味を実感として味わっている。ひと呼吸、1歩、ひと足、瞬きのあいだなど僅かな差をその場面にあわせた言い回しがある。微妙な違いが伝わる。

青い空に幾つもの白い雲が流れている。その流れは早い。ある駐車場でドアのロックを確認し、ふと見たらスヌーピーが飛んでいる。急いで携帯ケースからデジカメを出し構えた、数秒も経っていないがスヌーピーは変身していた。

遅れて押したシャッターの残像を液晶で見ていたら正午を知らせるサイレンが鳴った。すると駅弁の買えなかったことをふと思い出した。あの時の残念だった気持ちが今もどこかに残っているのだろうか。

(写真:変わりスヌーピーになった白い雲)
コメント (6)
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