日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

吉川広嘉公の前で

2016年11月15日 | 地域

 国の名勝・錦帯橋を城山に向かって渡ると向かいの公園とっつきに、錦帯橋をジット見つめる姿の銅像が建っている。銅像は吉川藩3代吉川広嘉(きっかわひろよし)で、1673(延宝元)年に錦帯橋を完成させた藩主。広嘉は干拓、製紙、医術、詩文、書画などの人材を養成するなど岩国文化の開祖といわれる。
 
 そんな岩国藩時代から踊り継がれた岩国城下の盆踊りがある。それは「こぬか踊り」で、かって城下の子女の間で親しまれ城下の路地で踊られた。上品な振り付けは、甚句調の音頭と笛と太鼓のゆったりとした曲調にあわされている。櫓を囲む現代風の盆踊りとは趣が違う。

 「こぬか踊り」の「こぬか」はどんな意味があるのか聞かれたことがある。古くは「小糠踊り」と書かれていたことから小糠にもとの由来はあるのだろう、くらいに思っていた。先日、保存会の会長から「こぬか」は甚句の一つ「こぬかこぬかと浜に出てみれば磯は松風波の音」からきていると紹介された。人待ちする気持ちは今昔変わらないようだ。幟が「こぬか」になっているのもそのためだろう。

 その踊りが先日、広嘉公銅像前広場で演じられた。保存会や子ども蓮の踊り子は、多くの観光客の前で伝統芸能の美を披露した。
3代藩主、もしかして初めてご覧になったのでは、そうならば「あっぱれな踊りじゃ」と扇を振られるのでは、そんなこと思いながら撮っていた。見慣れている路地での庶民性とは違い優雅さを感じたのは気のせいだろうか。
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