日々のことを徒然に

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狐ケ崎 絵巻

2014年05月08日 | しっちょる岩国


 横山の菖蒲園、間もなく開花の時期になる。その菖蒲園のそばに白壁に囲まれた由緒ある建物は吉川史料館。「1803(寛政5)年、吉川藩7代経倫(つねとも)の隠居所として建築された。経倫の死後は8代経正の夫人・喬松院の居所とされ、明治になってから岩国県庁がおかれた。 1995(平成7)年に吉川史料館として公開されるようになった。岩国市の有形文化財に指定されている」(いわくに通になろう参照)。

 史料館には吉川家にまつわる史料が保管されている。その中には数多くの国宝などがあり、それらは折々に展示されるので自由に拝観できる。その国宝の一つに「「狐ヶ崎の太刀」がある。

 館内資料の説明。「源頼朝没後、2代将軍・源頼家は御家人の梶原景時と疎遠になった。正治2(1200)年、梶原景時は一族と共に京都へ向かった。頼家は梶原一族追討ちの命令をだした。梶原一族が駿河に通りかかった時、吉香友兼(吉川氏2代)は近畿の豪族たちと清見関(現在の清水市」で迎えうち、近くの狐ケ崎の地で戦った。その時、友兼は梶原景時の三男・景茂をこの太刀で倒した。吉川家では、この太刀を戦場の名にちなんで『狐ケ崎』と命名し、第一の宝物として大切にされてきた」と太刀の説明がされている。太刀は青江為次。

 その太刀のいわれをまとめた絵巻物が発行(岩国吉川会)された。題して「吉川氏物語 駿河國編 狐ヶ崎絵巻」。前記の戦いの様子やそのころの時代背景などが絵と文章になっている。文章は語り口調、どちらかといえば講談調、岩国藩風にまとまっており、後に周防岩国藩主となる吉川氏先祖の知られざる歴史として読み心地はいい。長さ480センチ、幅21センチの巻物。タイトルからすると続編がありそうだ。
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