日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

少ない卵塊

2014年05月20日 | 自然 季節


 モリアオガエルの続き。卵塊が鈴なり、そんな記憶しか残っていない六角亭池の周囲、今は水の少ないせいか探すのに苦労した、とは少しオーバーだが、合わせて10個あまりしか確認できなかった。吉香公園一帯で写生大会が開かれていた。池の周りにも何人かの中学生が画用紙にむかっている。薄い黄で和紙の袋に似た卵塊を何か知っているかと生徒らに訊ねてみたが、誰も知らなかった。

 カエルは産卵の時期になると城山からこの池の周りに集まる。冬眠から覚めたヘビもそのことを良く知って待ち構えている、生態撮りの人に教えられた。危険を冒しても子孫を残すために池の畔へやってくる。人口減少、少子化に悩んでいるこの国の中で、永遠と変わらぬ生き物の世界に関心する。

 モリアオガエルに興味を持ったのは数年前、広島市内の小学生がお父さんに連れられて紅葉谷のモリアオガエルを観察に行っている、という投書を読んでから。卵塊という言葉は後で知ったのだが、初めてそれを見た時、その奇怪というか異様というか、かわいさは露ほども感じなかった。慣れてくるとそれは命の詰まった袋のように思い始めた。

 子どものころ田んぼで見かけていたカエルの卵は透明でヌルヌルした寒天状の中の丸い黒いもので珍しくはなかった。やがて、夜になるとカエルの大合唱が始まる。夏の風物詩の一つだった。田園の中に道路が作られ市街化してくると大合唱は途絶え、変わって車の騒音と排気ガスがやってきた。うるさいと思った大合唱、今は懐かしい思い出だ。

 今年の卵塊が少ないのでこれまで撮っていたファイルを開いてみた。水面に近いツツジの枝、結構な高さの紅葉の枝などあちこちにぶら下がっている(写真)。今年も多くの卵塊が見られることを願っている。
コメント
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