日々のことを徒然に

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岩国学校教育資料館 3

2013年02月26日 | しっちょる岩国
           

 教科書展示室の向かいは「藤岡市助記念コーナー」。一歩入ると、どこかの電機企業の資料室かと思わせるのはガラスケースに納められた白熱電球の数々。藤岡市助はこの岩国学校の卒業生の一人、日本に電気、電球灯を普及させたことから「日本のエジソン、電力の父」と評され、岩国が誇る工学者であり実業家でもある。27歳のとき10歳年上のエジソンをその研究室に訪ねている。

 藤岡市助は1857(安政4)年岩国市錦見に生まれる。1865(慶応元)年、藩校の養老館に入る。1875年 旧藩主吉川経健から奨学金を得て工部寮電信科入学。1881年 工部大学校(東京帝国大学工学部の前身)を首席で卒業。銀座木挽町での日本初のアーク灯点灯実験に参加している。この日は電気記念日となっている。同校教授を経て、1890年、同郷の三吉正一と電球製造の白熱舎(後に東京電気から東芝へと発展)創設。電車を発表、浅草凌雲閣にエレベーターを作る
(岩国検定テキスト参照)。

 コーナーには中国地方で初めて路面電車を走らせた資料も多く見られる。岩国電気軌道社長に就任し1909(明治42)年から岩徳線開通までの20年間、錦帯橋近くの新町から新港間を走った。その電車を模したレトロなバスが岩国駅ー錦帯橋間で運行されている。コースは路面電車が走ったと同じ道を路線バスとして運行され、観光岩国のシンボルの一つとして親しまれている。

 このコーナーでは市助に関する資料は約3500点展示されている。ここから全国各地の電気展には貸し出されるというほど、その内容は電気史を知る上で貴重な品物といわれる。最もコーナーにふさわしい備品が目につく。天井から吊り下げられた太いコードに付けられた円錐の白い傘と白熱電灯、これが照明の役を担っている。なんの説明もされていないが、その気遣いに「いいね」と思いながら2階への急な階段を上る。
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