日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

読むと書く

2007年07月29日 | エッセイサロン



これまで、Oさんの作品は数百篇を目にし読んできた。数百文字の中に四季の彩り、周囲への愛情や気遣い、時には世間への厳しい戒めなどを、目を引くタイトルとともに引き込まれるように読み、自在に書けることを正直うらやましく思っていた。

ある事情から、Oさんの新聞掲載の投稿をワードで打った。それは、今までとは違う角度から作品へ接することを経験した。打てみて解ったことは、1文字ひともじ・1句いっくが工夫されえ、吟味されている、あらためて感じ取った。

これまでは作品を読む見る、つまりは上滑りだった。うまい表現、作者の気持ちがわかる、情景が目に浮かぶなど、ありふれた表現(難しい表現は出来ないが)での感想だった。
「鑑賞」の気持ちで作品へ向かう、自分に欠けていたことを知った。

「読書百篇意自ら通ず」。どんなに難しく書いてあっても何度も繰返し読めば、その意味が自然に分かってくる、と教わった。答の分からない試験問題に出会ったらこれを実践せよ、そんな教師にも出合った。それはそれでいいとして、本当に味わうには、百回読むよりも「書き写してみる」、これはひとつの方法と考える。

写経、供養などの目的のため、経文を書き写す人は多い。写経を続けることによって、難解というより分からない経文に小さな小さな灯りが見えてくるのでは、そんな感じになった。

あらためて感じ取った、その内容は「ノーハウ」として蓄積させていただく。
(写真:ワード打ちした文書の1部)
コメント (2)
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