みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

なだめのかおり

2016年02月25日 | 民数記

民数記 28章16−31節

 きょうは、月に一度の電話(ラジオ)メッセージの録音の日。片道50キロほどのドライブですが、道路が空いていると結構なスピードで走ることができます(車でなく、調子に乗ってはいけませんが…)。

 28章の後半から29章は、イスラエルの人々がおぼえて守る祭りについて、それぞれの祭りに何をどのくらいささげるのかについて、神がお示しになっている箇所です。特にこの部分では全焼のいけにえとしてささげられる雄牛、雄羊、子羊に添える穀物のささげ物(油を混ぜた小麦粉)と注ぎのささげ物(ぶどう酒)のことに触れています。

 穀物もぶどう酒も、約束の地カナンでの収穫物。いよいよ約束の地を目前にして、主は彼らに収穫物を日ごと、週ごと、月ごと、そして祭りのたびにささげるようにとあらかじめお命じになっているのです。

 ここでは、第一の月の過越の祭り、続く種を入れないパンの祭り、そこから50日目の七週の祭りについて言われています。過越の祭りと種を入れないパンの祭りは、主イエスの受難と復活に重なります。そして、種を入れないパンの祭りから七週間後の七週の祭りは、聖霊がイエスの弟子たちの上に臨まれたペンテコステ(五旬節)と重なるのです。

 きょうの「みことばの光」には、「主へのなだめのかおり」についての説明がされています。ここから、礼拝が神がお喜びになるものなのかどうかということを、静かに思い巡らしてみたいと思います。


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1 コメント

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礼拝 (Hara Kenji)
2016-02-25 15:42:37
礼拝の原点がここにあると考えていいのですね。
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