みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

一歩の隔たりの中で

2024年07月11日 | サムエル記第一

サムエル記第一 20章1−23節

 夕方外に出て、買い物を終えると激しい雷雨。しばらくスーパーで雨宿りしました。帰りの街路樹、プラタナスの樹皮がこの雨風ではがれて落ちて歩道を埋めています。不思議な光景でした。

 この箇所には、ダビデのいのちを狙うサウルの子ヨナタンとダビデとの深い絆が描かれています。前章の初めで、ダビデを殺すことを公言したサウルのことばを聞いたヨナタンが父を説得し、一旦は「主は生きておられる。あれは殺されることはない」との誓いを引き出しました。

 その後サウルとダビデの間に何が起こったのかを、ヨナタンは知らなかったことが、ここでの二人のやりとりからわかります。

 ダビデは自分がサウル王にいのちを狙われていることをヨナタンに告げました。ヨナタンはそれを聞いて、「とんでもないこと」だと答えます。これは、ダビデを父が殺すことはあってはならないひどいことだと言うのではなく、自分の父親がそんなことをするはずがないという意味のことばだと思います。

 2節のことばかからは、父サウルと息子ヨナタンとがどのような関係にあったのかが伝わってきます。ヨナタンは父を信頼しているのです。

 それに対するダビデのことばがが3節。彼は親友ヨナタンの父親への信頼を損ねることのないように、しかし今自分が立たされているのが、死と一歩の隔たりしかないと語ります。一人の存在がある人にとっては信頼できる父親であり、別の人にとっては自分のいのちを狙う王であったとしたら、しかも「ある人」と「別の人」が堅い友情で結ばれているのだとしたら、どうするのだろうかと、立ちすくんでしまうような箇所です。

 ここでの二人のやりとりの中に、主がおられることということに、目が留まります。双方とも、それぞれのサウルへの見方を絶対だとしてはいません。すべてを知る主に、自分の見方をゆだねるというのは、信仰者にとって常に大切な姿勢だと、ここから教えられます。

 自分の見方が絶対だ! という罠から自由にされる道が、ここにあります。


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