みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私のことを思ってくれた

2024年07月15日 | サムエル記第一

サムエル記第一 23章

 先週末、コンスタンツに近いライヒェナウを訪ねました。ボーデン湖の西にあるウンター湖に浮かぶ島なのですが、「修道院の島」として世界遺産に指定されています。美しい花が咲き乱れる地としても知られており、土曜日ということもあって多くの人がサイクリングを楽しんでいました。

 この章には、逃げるダビデと王サウルとが描かれています。

 ダビデは逃亡の途中であっても、同胞の町がペリシテに襲われていると聞くと、そこに駆けつけて救い出します。それは、サウルの手から逃れたいというだけで頭がいっぱいになっていながらも、イスラエルの勇士の姿が失われていないことを伝えています。

 それに、殺された祭司の子エブヤタルが加わったことで、彼は神に聞くさらなる術を得たのです。それによって、ダビデが助けたケイラの人々が自分をサウルの手に渡そうとする魂胆があるのを主に教えてもらい、彼は逃れることができました。

 13節に「さまよった」、さらに26節に「急いでサウルから逃れようとした」とあります。これらのことばは、ダビデがサウルに捕らえられる危機の中にあったことを伝えています。

 また、ジフの地でダビデについての二つの出来事にも目が留まります。親友ヨナタンがダビデを訪ねて励ましたこと、一方でジフ人たちはダビデの所在をサウルに伝えたことです。後者については、サウルの21節のことばが目に留まります。「主の祝福があなたがたにあるように。あなたがたが私のことを思ってくれたからだ。」 サウルの心は、誰かが自分のことを思ってくれることだったのだ、彼は孤独にさいなまされていたということが改めて知ることばなのだと思います。

 私たちが覚えるべきは、主こそが私のことを思ってくれている、常に…ということなのです。

ダビデの逃避行地図。本章に関係があるものを青色の波線で示しています。参考:Accordance Atlas


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