サムエル記第一 18章
日曜日の礼拝に参加してくださったお母さん、子どもたちと通りでばったり。とても良かった、楽しかったと元気な声で言ってくださいました。
この章には、ゴリアテとの一騎打ちに勝利したダビデをめぐっての周囲の思い、扱いが対照的に描かれています。
サウルは初めのうちはダビデを召し抱えて、家にも帰さないほどでした。しかし、女性たちの「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」との歌に、憤り機嫌を損ねました。「サウルは千を討ち」と歌っているのだからそれでよいとは思わなかったのです。王としてのプライドが傷つけられたと考えたサウルは、ダビデを恐れました。
10節に「わざわいをもたらす、神の霊が激しく下り」とあります。嫉妬や憤りを頬っておくことによって、サウルはわざわいを自分の身に招くようになるという意味で言われているのだと考えます。
憤りや嫉妬は根深いもので、放っておくと人をだめにしてしまいます。ここでのサウルの姿は、時代を越えてここを読む者に大切な教訓を届けているように思うのです。
一方で、ダビデを愛する者たちもいました。まずはサウルの子ヨナタン。彼はこのあとも実際にダビデのいのちを救うために動きます。二人の主にある友情は具体的なものでした。さらに、16節に「イスラエルもユダも、皆がダビデを愛した」とあります。理由は、ダビデが彼らに先頭に立って行動したからなのです。
人に注目されたいとしてふるまうのではなくて、神が望まれるように歩むことが結果として人々の愛を受けるのではないかと考えます。