みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ペレツ・ウザ

2016年05月18日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 13章

 「ウザ打ち」と呼ばれる出来事は、サムエル記第一6章にも記されています。全イスラエルの王となったダビデが、サウル王の時代には顧みられなかった神の箱をエルサレムに運ぼうとしました。イスラエルの全集団もダビデのしようとしていることを「正しいと見」て、大きな喜びの中で神の箱が運ばれていきます。

 腑に落ちないのは、牛が暴れて箱をひっくり返しそうになったために手を伸ばしたウザが神の怒りによって打たれて死ぬということだと思います。ウザはむしろ神の箱を支えようとしたのではないか、それなのにどうして…という疑問です。

 「ダビデの心は激した」とのことばは、ほかの聖書では「ダビデも怒った」と訳されています。しかし、すぐ後で彼は自分を探られ神を恐れて言うのです。「私はどうして私のところに神の箱をお運びできましょうか」と。

 むしろここで打たれなければならなかったのは、自分だということに気づいたのではないのでしょうか。王とである喜び、皆に支持され敬われ、やろうとすることを「正しい」と言ってくれる高揚感の中で、彼は自分で考えたように順調に事を進めるうちに、大切なことを置き忘れてしまったのだと考えます。

 それは、神の臨在、神の栄光の前の自分の在り方ということでしょうか。ウザの割り込みは実は、ダビデの割り込みでもあったのです。それなのに、ダビデは主の大いなるあわれみによってなおも生かされたのです。

 神の臨在に恐れを欠くことがどんなに危険なことかを「ペレツ・ウザ」(ウザの割り込み)は教え、神の臨在が大きな恵みであることをオベデ・エドムの家への祝福は教えているのだと思います。

 


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