ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

トーマス・マン/渡辺 一夫『五つの証言』

2018年03月11日 22時36分08秒 | 文学
トーマス・マン/渡辺一夫『五つの証言』(中公文庫プレミアム)を読んだ。
この文庫シリーズのアランの『わが思索のあと』を買ったのだが、渡辺一夫のこの本にも興味を持ち読む。
トーマス・マンの本を渡辺一夫が仏訳から日本語に訳したものと、渡辺一夫の随筆が載っている。トーマス・マンも良いのだが、渡辺一夫が素晴らしい。
《無智や無関心の故に一人の危険人物の登場を許したら、その人物の冒す一切の暴力を予め許すものと申さねばなりません。》(108頁)
《単に戦争を愛する思想家や政治家が権力を握っているばかりか、「戦争はもうからぬものだ」ということを教えられた筈になっている日本国民のうちにも、再び「戦争でもうけよう」としている人々もいるし、無責任なスリルを相変らず戦争に求める人々も居り、しかも、その数は決して少くないのですから、なかなかうまくはゆきますまい。》(111頁)
などを読むと、最近の政治のことを思わずにはいられない。
文学者や学者も政治に関心を持たないといけない、ということを語る。
また、「機械になってはいけない」という思想も素晴らしいと思う。これは以前この文章を読んだときにも思った。
《戦時中、僕は爆撃にも耐えられた。しかし、親しい先輩や友人たちが刻々と野蛮に(機械的に)なってゆく姿を正視することはできなかった。二度とあんな苦しい目はいやである。》(145頁)
こういうようなことは、会社などでもだんだんと経済的に、あるいは人間関係的に悪化していくと見られるような現象で、「このひとは戦争になったらろくでもない人間になるだろうな。いまでもろくでもないし」というようなひとはいるのだが、そうとも思っていない親しい人たちが変わっていくのを見るのはつらいことだろうなと想像できる。
コメント