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時にはゲーテの話を

2014年10月04日 22時01分36秒 | 文学
車に乗るときに最近は娘が聞きたがるのでジブリアニメの主題歌集を聴いている。
娘は『となりのトトロ』と『魔女の宅急便』だけを見ていて他の主題歌は全く興味がない。
僕は加藤登紀子の歌う「時には昔の話を」や『火垂るの墓』の「埴生の宿」なども好きなのだが、いつも「トトロまだかな?」とチャイルドシートから言われる。

気分が落ち込んだときには古典が読みたくなるのが私の昔からの傾向のようで、いまはエッカーマンの『ゲーテとの対話』を読んでいる。
あまり小説などは読みたくない気分なのだ。最近のものなどは特に。
エッカーマンがゲーテのそばにいて起きた日常を綴る。
こういう、出来事の日付のきちんと付いたものをしばらく読んでいこうと思い、武田百合子の『富士日記』全三冊を本日購入。

古典と言えば、宮崎駿の本を読んでいたときに、これからは小津安二郎を見ていけばよいなとも思った。娘もいるし、ちょうど良いような気がする。
小津安二郎か、最悪でも前期クロサワくらいかな。
外国映画では、ベルイマンかタルコフスキー、と言いたいところだが、あまり面白いと思えないので、ウディ・アレンとかを見よう。見る時間があれば。

この前見たNHKの「中井貴一 父の背中を見つめて」という番組がとてもおもしろかった。
佐田啓二の出てくるような映画が見たいと思ったこともあり、小津安二郎が見たい。
中井貴一って、いつのまにかとてもいい位置にいるのだなと思った。
彼がナレーションをするNHKの「サラメシ」という番組を見るたびに、自分も会社を作るようなことになったら、昼ご飯を社員といっしょに食べよう、週一回くらいは僕が作って食べさせよう、と思う。
しかし会社を作りたいとは思わないので実現しない夢だ。(なにをしたらいいのか全く思い浮かばない。)
ただただ若手社員に昼ご飯をしっかり食べさせたい。
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サリンジャー『フラニーとズーイ』

2014年10月04日 02時16分51秒 | 文学
サリンジャー『フラニーとズーイ』(新潮文庫)を読んだ。
村上春樹が訳した、ということで読んだ。
「名もなき人々」にわざわざ「リトル・ピープル」とルビを振っているところがあり、村上春樹の『1Q84』に登場したリトル・ピープルというのは、TVピープルみたいな、小さなひとを想像していたが、それだけではなく、一般大衆というような意味も含んだのかもしれないな、含んだのだよと村上春樹はここで言いたいのかもしれないな、と感じた。
短編「フラニー」も「ズーイ」も会話をしながらお互いにぜんぜん違うことを考えていて、自分の言いたいことだけを言っている感じが描かれていたように思う。
「ズーイ」については途中退屈だなと思ったのだが、最後あたりの太ったおばさんがキリストだというあたりですげえ短編だと思った。どのあたりをすげえと思ったのだか、よく思い出せない。でもサリンジャーはやっぱりすごいんだなと思った。きちんと説明するにはもう一度最初からきちんと読むべきだと思う。
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宮崎駿『風の帰る場所』

2014年10月04日 02時00分34秒 | 文学
ここ二週間はほんとうにつらくてだるくて、朝起きて会社に行って帰ってご飯食べて寝るのだけで精一杯で、何もしていない。もちろん英語の勉強もしていない。テニスも行かなかった。
軽い鬱病だったのだと思う。
いまは楽になった。
やったことは花粉症の薬を呑むのをやめたことと、毎日早く寝たこと、本を読まなかったこと、ごろごろしてテレビを見たこと、パソコンを立ち上げなかったこと、くらい。
時間の経過がわりとなんでも解決するものなので、つらいときも日々のその時々のことだけ考えて耐えていればなんとかしのげる、ということはある。

パソコンを立ち上げていなかったので、読んだのに感想を書いていなかったのだが、宮崎駿への渋谷陽一のインタビュー集『風の帰る場所』(文春ジブリ文庫)を読んだ。
非常に面白かった。
『もののけ姫』を僕は劇場で一度見たきりで見ていないのだが、見てみなければいけないなと思う。
宮崎駿は、「○○ですね」と言われると、「いやそうじゃなくて……」と言ってしまうひとのようだ。たぶん宮崎駿に「あなたは○○ですねと言われると、いやそうじゃなくて、と言ってしまうひとですね」と言ったら、「いやそうじゃなくて……」と言うだろう。
手塚治虫や黒澤明への批判がありおもしろかった。
人間とはこういうものです、ではなく、こうであったらいい、というふうに描いてある、という話があり、素晴らしいことだと思った。よしもとばななが自分の描いているものは「ドラえもん」と同じで、実際のことを描いているわけじゃない、実際の人生には絶望している、というような発言を昔していたことがあったが、それを思い出した。また、内田樹が、憲法の話をしていて、憲法というのは実際にそうであることを書いてあるわけじゃなく、努力目標を書いているのだ、というようなことを(かなりいい加減な記憶)言っていたことがあり、それも思い出した。
いずれにせよ、人間というのは金に汚くて女の尻を追っかけろくでもない、というふうに思い続けていたらそのようになってしまうし、そうではないと思っていればそうではなくなるということがあると思うので、こうであったらいいを描くのは素晴らしいことと思う。
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