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武田百合子『富士日記(中)』

2014年10月22日 21時28分35秒 | 文学
武田百合子『富士日記(中)』(中公文庫)を読んだ。
日記が小説と違うのは書いてある時点では書き手にも誰にも先のことがわかっていないということ。
それでも読んでいると、先のことを予想してしまう。
ポコという名の愛犬がいたのだが、やはり死んでしまった。ペットの役割は死んで人間に悲しまれること、そして死を教えることなのだなと思ってしまう。
いま下巻を読んでいるが、夫武田泰淳が死ぬのだなと思いながら読んでいる。悲しい。夫というものの役割は死んで妻に悲しまれること、そして死を教えることなのだな、とはさすがに思わないが。
大岡昇平とその夫人と花火を見ているときに「戦地を思い出す」「空襲を思い出す」と書いていて、こういう人たちにはかなわないと感じる。戦争を経験していることは人間としての勁さ(あえて古い漢字)がぜんぜん違うのだと思う。

この間トイレが詰まり、ラバーカップ(所謂スッポンのこと)を買った。
会社から帰る前に妻がすでに買ってきていたのだが、柄の部分が太くなっていて水を吸引するタイプのもので、何度かシュコシュコやっていると壊れた。
なので近所のドン・キホーテ(よろずや)に行き、購入。ほんとうに何でも売っているし、店員が売っている場所をよく把握している。
古風な、プラスチックの柄にゴムのカップが付いているタイプのものだが、これでシュコシュコやって流れるようになった。なんとなく、自分の喉に詰まっていたものがすっきり流れたような、そんな爽快な気分になる。

岡田准一が司会のNHKの番組「追跡者 ザ・プロファイラー」の太宰治の回を見ていたら、やはり太宰治が読みたくなる。
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