東野圭吾『私が彼を殺した』(講談社文庫)を読んだ。
『どちらかが彼女を殺した』と同様、最後まで犯人が誰かわからない話だった。
今回は、最後の「袋綴じ解説」を読んでも犯人が分からなかった。先に読んでいる妻に、「こことこことここを読んで」と言われ読み、最終的に犯人が誰か教えてもらってやっとわかった。というか実はあまりわからんでいる。あまり納得できない話だった。
猫が死んだ話も何の話をしているのかわからず、サリーという名前の飼い猫が殺されたのかと思っていた。この前テレビでザ・タイガースの復活の番組を少し見たので、サリーと聞くと岸部一徳を思い浮かべてしまい困る。
『私が彼を殺した』というタイトルで、三人の人物の一人称で語られるのだが、三人の人物のそれぞれの一人称が「僕」「俺」「あたし」だった。途中で思い付いて、「私」という人称で語る人物が犯人なのではないかと思って三人の人称を確認したのだが、「私」はいなかった。このへんがよく考えられていると思う。
「僕」で語るからか、またはごく近い親戚に異常に嫌悪感を持つところがそう感じさせるからかしれないが、神林貴弘は村上春樹の主人公のような雰囲気があった。
なかなかおもしろい小説だったが、犯人捜しさえしなければさらにおもしろい小説だろうにと思う。
『どちらかが彼女を殺した』と同様、最後まで犯人が誰かわからない話だった。
今回は、最後の「袋綴じ解説」を読んでも犯人が分からなかった。先に読んでいる妻に、「こことこことここを読んで」と言われ読み、最終的に犯人が誰か教えてもらってやっとわかった。というか実はあまりわからんでいる。あまり納得できない話だった。
猫が死んだ話も何の話をしているのかわからず、サリーという名前の飼い猫が殺されたのかと思っていた。この前テレビでザ・タイガースの復活の番組を少し見たので、サリーと聞くと岸部一徳を思い浮かべてしまい困る。
『私が彼を殺した』というタイトルで、三人の人物の一人称で語られるのだが、三人の人物のそれぞれの一人称が「僕」「俺」「あたし」だった。途中で思い付いて、「私」という人称で語る人物が犯人なのではないかと思って三人の人称を確認したのだが、「私」はいなかった。このへんがよく考えられていると思う。
「僕」で語るからか、またはごく近い親戚に異常に嫌悪感を持つところがそう感じさせるからかしれないが、神林貴弘は村上春樹の主人公のような雰囲気があった。
なかなかおもしろい小説だったが、犯人捜しさえしなければさらにおもしろい小説だろうにと思う。
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