頭木弘樹『自分疲れ ココロとカラダのあいだ』(創元社)を図書館で借りて読んだ。
すごく驚くようなことは書いていなかった。すぐに読めた。
いろいろな本の紹介が書かれてあることを期待したが、で、確かにいろいろな本の紹介はあったが、惹かれるものはあまりなかった。
「共食圧力」の話が今回最も興味を持った。
一緒にものを食べたり酒を飲んだりすることで距離を縮めることができると思っている人は多く、私が酒をあまり飲めないので死んだ父は残念に思っていたようなふしがある。そのような気持ちは私自身には少ないように思っていたが、娘が卵アレルギーで幼いころに食べるものに制限があるのが私にとって不愉快だったのは、ただ娘の健康を心配して、というだけではなかったようにいまは思う。たぶん、いっしょに同じものを食べられないことからくる不愉快だったのだろう。
以下の部分では少し不思議な気がした。
《『愛についてのキンゼイ・レポート』(2004年)という、実話にもとづいた映画を見たとき、頭をガツンと一撃されたシーンがあった。
同性愛者と異性愛者の2種類の人がいるのではなく、同性愛と異性愛はグラデーションだとキンゼイ博士という人が説明したのだ。
つまり、はっきり同性愛の人もいれば、かなり同性愛の人、やや同性愛の人、ほんの少し同性愛の人などもいるというわけだ。
ぜんぜん知らなかったので、とても驚いた。》(136頁)
と言うのだが、頭木弘樹は初期の大江健三郎や、三島由紀夫などはどのように読んだのだろうか。トーマス・マンもよく引用しているが、どう思って読んだのだろうか。不思議な気がした。
すごく驚くようなことは書いていなかった。すぐに読めた。
いろいろな本の紹介が書かれてあることを期待したが、で、確かにいろいろな本の紹介はあったが、惹かれるものはあまりなかった。
「共食圧力」の話が今回最も興味を持った。
一緒にものを食べたり酒を飲んだりすることで距離を縮めることができると思っている人は多く、私が酒をあまり飲めないので死んだ父は残念に思っていたようなふしがある。そのような気持ちは私自身には少ないように思っていたが、娘が卵アレルギーで幼いころに食べるものに制限があるのが私にとって不愉快だったのは、ただ娘の健康を心配して、というだけではなかったようにいまは思う。たぶん、いっしょに同じものを食べられないことからくる不愉快だったのだろう。
以下の部分では少し不思議な気がした。
《『愛についてのキンゼイ・レポート』(2004年)という、実話にもとづいた映画を見たとき、頭をガツンと一撃されたシーンがあった。
同性愛者と異性愛者の2種類の人がいるのではなく、同性愛と異性愛はグラデーションだとキンゼイ博士という人が説明したのだ。
つまり、はっきり同性愛の人もいれば、かなり同性愛の人、やや同性愛の人、ほんの少し同性愛の人などもいるというわけだ。
ぜんぜん知らなかったので、とても驚いた。》(136頁)
と言うのだが、頭木弘樹は初期の大江健三郎や、三島由紀夫などはどのように読んだのだろうか。トーマス・マンもよく引用しているが、どう思って読んだのだろうか。不思議な気がした。