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大江健三郎『静かな生活』

2020年03月05日 23時22分22秒 | 文学
大江健三郎の『静かな生活』(1990年)を読んだ。(講談社『大江健三郎全小説9』所収)

「静かな生活」
時代がだいぶ経ったからか、『「雨の木」を聴く女たち』とは印象がかなり異なる。
素直に書かれた印象の文章で、感動的。
昔(たしか高校生の頃)読んだときは子供だけ残して外国に出掛けるというのは変だよな、と思ったけれど、三人の子供はそのうち二人が成人し、もうひとりも予備校生なので、三人残して両親が出掛けたって何の不思議もない。読んだときの自分の年齢に語り手の年齢を重ねてしまうということがあるのだろう。

「この惑星の棄て子」
語り手のマーちゃんと兄のイーヨーが、父親の兄の”大伯父”さんの葬式に出席するために四国の村に出掛ける。
「棄て子」と言われるのは、イーヨーが作曲した曲のタイトルが「すてご」で、それを巡っていろいろな人がイーヨーが父親に棄てられていると感じるからそのようなタイトルの曲を書いたのではないかと心配する。心配しすぎる。
最後は「すてご」は「すてごを救ける」のことだとわかりほっとする。

「案内人」
《いつか週刊誌のグラビアでアメリカの警官の服装をしているところを見たことのある、よく肥って元気の良い映画批評家》(376頁)というのは水野晴郎だろうが、「金曜ロードショー」でタルコフスキーの『ストーカー』などやるだろうか。
タルコフスキーの映画に出てくるストーカーの娘に重ねて、マーちゃんはイーヨーのことをキリストかアンチ・キリストかと考える。ストーカーの娘というのは原作では〈モンキー〉と呼ばれる毛深くて不気味な存在だったと思うが、映画ではきれいな女の子だったようだ。

「自動人形の悪夢」
重藤さんの奥さんの、なんでもない人として生き、なんでもない人として死ぬ、という思想が語られる。

「小説の悲しみ」
ミヒャエル・エンデと、K・V・さんと、セリーヌの『リゴドン』について。K・V・さんというのはカート・ヴォネガットのことだろう。
カート・ヴォネガットがセリーヌの『リゴドン』のペンギン・ブックスの序文を書いているということのようだ。
マーちゃんは仏文科なので『リゴドン』をフランス語で読み、弟のオーちゃんは予備校生で志望校への合格圏内になったので『リゴドン』を英文で読む。
マーちゃんはついでに父親の小説『M/Tと森のフシギの物語』を読み、中国料理店でのクリスマスを迎える。
なんと、知的な。

「家としての日記」
『「雨の木」を聴く女たち』の「泳ぐ男―水のなかの「雨の木」」に出てくる玉利君のモデルとなった人物として新井君が登場する。彼はある事件についてのノートをマーちゃんの父親の小説家のKに渡し、小説を書いてもらったことになっている。事件後、死んだ五十歳の高校教師の未亡人といっしょに暮らしている。
初めて読んだ時はまだ『「雨の木」を聴く女たち』を読んでいなくて、そういう小説があるということなのだろうと思ったが、続けて読むとよく分かる。そして前の小説を、少しずらして書く感じも良い。
マーちゃんに訪れる事件が結構迫力があって、昔この小説を読んだ時も印象に残った。
いくらでも逃げられるチャンスはありながら、新井君の家についていってしまうところが妙にリアリティがあり、怖い。逃げられないというのはこういうことなんだろうな、と思う。
最後は幸せな家族として終わる。
『静かな生活』は綺麗にまとまっていて好きな小説だ。

さて、予定としては大江健三郎はあと『河馬に嚙まれる』と『新しい人よ眼ざめよ』を読むくらいかなと思っていたが、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』も読もうと思う。昔読んでほんとうに意味不明だったが、いま読んだらどうなのだろうと興味がある。
そしてその後も、一次会だけで帰れない気持ちになって長篇小説も読むことになりそう。
『日常生活の冒険』
『万延元年のフットボール』
『洪水はわが魂に及び』
『ピンチランナー調書』
『同時代ゲーム』
『懐かしい年への手紙』
は読むかな。『同時代ゲーム』を太字にしているのは壊す人のイメージです。
『懐かしい年への手紙』を再読したら柄谷行人の「近代文学の終り」を読む。
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クラーク『幼年期の終わり』

2020年03月05日 21時39分08秒 | 文学
クラーク『幼年期の終わり』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。
オーヴァーロードの姿形が分かるところとコックリさんでオーヴァーロードの惑星が分かるところがとてもおもしろく、そこらあたりまで非常におもしろいのだが、だんだんと後半になってくるとおもしろくなくなる。何が行われているのかよくわからない。
人間がいなくなる世界を描くと、描くべき人間がいなくなるので(当たり前だが)、誰にも共感できなくなる。
はじめはおもしろいのだが、だんだんと演説みたいになってくる。
クラークは『2001年宇宙の旅』を読んだことがあると思うが、やっぱり同じような印象だったように思う。
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