東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社文庫)を読んだ。
ルソーの一般意志の解釈のところはとてもおもしろく、非常に興味深く読み進めていたのだが、著者の想像する一般意志2.0の具体的な表し方が「ニコニコ動画」のようなものであるというところで少しがっくし来た。
しゃべっているひとの顔の横を文字が流れて行くあの感じがどうも好きじゃないんですよね。
しかもそれが人々の一般意志を表すというのもよくわからない。
たぶん、もっと別のかたちを、「ニコニコ動画」がもっともっと進化したかたちの物を想像すべきなのだろうと思うが、そうだとしたところで、一般意志を表す表し方というのが実は具体的にどういう物なのかがはっきりはしない。
人々が個々で思っていて、誰と会話したわけでもない意見を、取りまとめるわけでもなく、個々別々のままで集まったもの、それが一般意志であるとすれば、それを何らかのかたちで表現する(グラフとか言葉とか)というのはやはり無理なのではないかな。
なのでそれを具体的なかたちにしようとすると「ニコニコ動画」のようなものを例にしなければならなくなるのではないかな。
結局一般意志はルソーの考えたままで、情報技術の革新があってもそれを表現することは無理で、結局想像上の物に留まっているんじゃないかと思う。
私自身があまりインターネットというものを肯定的にとらえていないので、そのように思うのかもしれない。
おもしろい本ではあった。
ルソーの一般意志の解釈のところはとてもおもしろく、非常に興味深く読み進めていたのだが、著者の想像する一般意志2.0の具体的な表し方が「ニコニコ動画」のようなものであるというところで少しがっくし来た。
しゃべっているひとの顔の横を文字が流れて行くあの感じがどうも好きじゃないんですよね。
しかもそれが人々の一般意志を表すというのもよくわからない。
たぶん、もっと別のかたちを、「ニコニコ動画」がもっともっと進化したかたちの物を想像すべきなのだろうと思うが、そうだとしたところで、一般意志を表す表し方というのが実は具体的にどういう物なのかがはっきりはしない。
人々が個々で思っていて、誰と会話したわけでもない意見を、取りまとめるわけでもなく、個々別々のままで集まったもの、それが一般意志であるとすれば、それを何らかのかたちで表現する(グラフとか言葉とか)というのはやはり無理なのではないかな。
なのでそれを具体的なかたちにしようとすると「ニコニコ動画」のようなものを例にしなければならなくなるのではないかな。
結局一般意志はルソーの考えたままで、情報技術の革新があってもそれを表現することは無理で、結局想像上の物に留まっているんじゃないかと思う。
私自身があまりインターネットというものを肯定的にとらえていないので、そのように思うのかもしれない。
おもしろい本ではあった。