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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「南米に行った同期生」~ブラジル紀行(21)

2008年10月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週の中学・高校の同窓会に出席した時、沖縄安謝中学2年の時一家で南米に移住した同級の田仲将男君を思い出しました。友人数人で訪ね、家から出て来た彼を路上で囲み、送別激励しましたが、黙って俯いていた彼の姿を覚えています。
 もう一人は戦後一家で南米から一旦沖縄へ引き揚げ、高校卒業後上京し、ブラジル大使館に勤めていた中学・高校同期の金城久子さん。上北沢の私のアパートへ遊びに来たこともある彼女はやがて又ブラジルへ再渡航。以後連絡が取れず、消息が分かりません。金城さんには同じ那覇高校に通う一つ上のお姉さんがいました。
 沖縄南部の真和志村(現那覇市)北の飛び地のような安謝小中学校(現・安岡中)校区の大部分は現在の那覇新都心になりましたが、当時は安謝、住吉、天久、岡野、平野、内間6がありましたが、岡野地区にはなぜか沖縄北部(ヤンバル)からの移住民が多く、田仲君も金城さんもそこの移住民で、前後して共にブラジルに行きました。当時お二人の家族にどんな事情があったのか知る由もありませんが、米軍に土地を強制接収された中北部からの移住ではなかったのか?そういえば住吉地区住民も米軍に銃剣で強制移住させられた南部の小録、垣花地区出身者が大勢いました。
 先般のブラジル訪問で二人の消息を探りましたが手掛りは得られませんでした。時あたかも、先週卒業52年目、沖縄で中学の同窓会が開催され、旧友と旧交暖めている最中二人のその後の消息を廻りに聞きましたが、意外に彼らを覚えている同期生が少なく、二人には無断で申し訳ありませんが、敢えて中学時の写真をアップしました。どなたかお心当たりの方、幼友達の消息お知らせ願えればと願っています!               
                   

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