”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「プログラムも書けない重田さんがよくまあ!IT会社社長を!」

2024年07月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
        
      (1978年、37歳で創業スタート「サーラ三田ビル」(6階17坪)  
 表題は私が創業30年の(株)日本アドバンスシステムの社長を退任した時、友人から言われた言です。私が独立前務めていたビジネスコンサルト社(ビーコン)には東大卒のエンジニアが多数おり、この内数人が独立創業するのですが、その殆どが倒産、廃業しますが、Nonプログラマーの私が何故30年も継続したのか?
 鹿児島のラサールから東大工学部を経て㈱ユニバックのエンジニアとして活動、私が営業を務めた株式会社ビーコンに転じ独立しますが僅か数年で倒産した彼が私の会社に来て“重田さんの経営継続凄いね!”と嘆息されたのが忘れられません。ITエンジニア・スペシャリストの彼の会社が倒産し、Nonスぺシャリストの私の会社が何故継続したのか?これは会社経営とは何か?を教えてくれます。
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