(母校・安謝小学校正門前で)
先日の社員結婚式で沖縄を訪れた際、小学6年から琉球大1年までの足掛け7年を過ごした那覇市の母校安謝小学校と自宅跡を訪ねました。70年の生涯のわずか1割とは言え、中学、高校という生涯で最も思い出の残る時期を過ごしたこの地域は(旧真和志村・安謝区で、自宅は安謝小中学校(開校一年は安里小学校と称号)正門に向って右2軒目だっただけに、毎朝夕門前を通学した多くの交友同窓から後日、「沖縄にしては珍しい“ガラス引き窓”と“毎朝の門前清掃と水撒き”の重田さんのお宅は印象に残っていますよ」と言われました。
沖縄を離れて60余年、思い出の旧自宅は御覧のように鉄筋2階家屋に変貌しているものの、お向かいの嘉数家は今も昔のままの表札と建住まいで懐かしい。余程「向かいに居た重田です」と挨拶しようかと思いましたが、断念!
それにしても7年間、毎日通った一号線(現58号線)・安謝トンネル(ガード)に向う門前の道路“こんなに狭かったか”と感慨に暫し佇み、送迎運転役社員の「会長!未だですか」の声に我に返り、帰路・那覇空港に向かいました。
開発ばかりで変わっていく沖縄ですが、何となく面影の残る安謝!
同級生がPTAとして安謝小学校に通ってます。