”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「新宿・歌舞伎町で高校同期快気祝い」

2014年02月21日 | 「病床六尺」

                                        

 快気祝いを名目に在京の高校同期が新宿・歌舞伎町の沖縄居酒屋「南風」に集いました。
集まったのは医師二人に大学教授、霞が関官僚、会社役員OBに現役社長の10名。話題は専ら、お互いの闘病報告。 今年74歳を迎える面々、今更驚くことでもないがメンバーの殆どが、癌、脳梗塞、高血圧、糖尿、入院、手術、救急車搬送数回、歩行困難等々。
 “同病相哀れむ”とは言え、お互いに“東京オリンピックまで!”と共通の目標設定。同期の腹藏ない議論、替え難い集い。元気貰いました。同期諸君、多謝!

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「仰天!感謝!」

2014年02月18日 | 「病床六尺」

                            
                         (お贈り頂いたウェアを着て、完走メダル10個)
 入院中には「沖縄タイムス」「琉球新報」両東京支社長はじめ、多くの方々からお見舞い頂き恐縮しましたが、今回は仰天でした。と言うのは「沖縄タイムス」社長、編集局長、学芸部長、文化事業局長、課長、広告副部長連名でお見舞い状とトレーニングウェアを頂き、ビックリ、大感謝でした。肩書きを言えば錚々たる連名ですが、実は皆さん、東京支社勤務時代の交友、知人です。 よりによってトレーニングウェアのプレゼントのご趣旨は?
 思うに
「沖縄タイムス」社は全国的に超人気の“ナハマラソン”主催者で、何度かエントリーした私はスタート地点やゴール地点で“見て!見て私を!”と贈り主の皆さんに過剰アッピール癖。
 今回は“元気になって、またチャレンジして!”とのエールと受け止め、写真の様に過去、ナハマラソンで頂いた完走メダルをこれ見よがしにまたまたアッピールさせて頂ました。
 スポーチ音痴の私のマラソンチャレンジ、ナハマラソンがあったればこそ!改めて、主催の那覇市、タイムス社に“ナハマラソン!ありがとう“です。
 今回、またまた当方の勝手な思い過ごし、思い入れかもしれませんが、とにもかくにも感謝、感謝です。
  
                            
                                 (ナハマラソン完走メダル10個に感謝です!)

 

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「癌化学治療終え本日退院しました」

2014年02月16日 | 「病床六尺」

                                  
 2月4日の肛門管癌手術退院10日後の13日入院、3泊4日の化学療法(抗癌治療)を済ませ本日退院しました。
 この治療は右胸上部に埋め込んだ点滴受信弁への抗癌剤「リニアフェサーD」の48時間投与治療です。投与の前に血液検査と副作用抑制の点滴があります。この点滴治療の副作用は脱毛、顔色の黒色化等々人によって様々のようですが、私の場合は半日近いシャックリの連発と全身の渇たるさで、食欲不振で入院の半日はベツトで寝たきりですが、点滴が終わると通常に戻ります。
 私の場合は癌の転移予防と発見の有効性を確認する文部科学省補助対象の治験プロジェクト験で被検者としての協力要請に応じたものです。ある意味で高額治療の一つも言えますが、被検者?としても手当を貰わない代わりに、通常の健保料金で治療を受けることになりました。これは通院外来でも可能ですが、3日往復2時間、自宅での48時間の点滴は負担なので、入院治療を選びました。
 この治療は2週間に一度・3泊4日で半年以上継続するとのことです。私と同じレベルの手術を受けた患者はこの種、抗癌化学治療を受けるケースは多いようです。まあ、一種の癌との共生、サバイバルです。
                            
                    (東京でビジネス奮闘の球陽高校同期、見舞い有難う!)

 

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「帝京大と徳洲会」

2014年02月12日 | 「病床六尺」

                           
                             (我が故郷・加計呂麻島の徳洲会病院)

 お見舞いに板橋・十条の「帝京大病院」に来訪された方はホテル並みのその高層、華麗さに驚かれていました。この「帝京大グループ」と「徳洲会」にはいくつかの共通要素を感じました。
 帝京大創設の沖永壮一氏と徳田虎雄氏は徳之島と愛媛という南島出身で世代は違うものの共に東大・阪大の医学部出身。前者は大学から幼稚園まで40近い教育機関、後者は70近い医療施設を共に既成勢力に抗しながら全国に構築した偉業。
 もう一つの共通点は双方とも脱税、政治献金問題で摘発を受け、大きな新聞沙汰になったが、大きな違いは前者は何とかその不祥事を乗り越えたものの後者は今その存亡の危機に晒されている。
 両者は同族・ファミリー企業という共通要素を持ちながら、もう一つの大きな違いは後継・承継対応。帝京大創立の沖永荘一はその地位を弟、子息への事業承継を果たしているが、徳田虎雄は筋萎縮症という難病を担いつつ、なお組織を支配総括し、後継育成が実現せず、今回の事態を招き、残念。

「徳洲会」の選挙違反罪は否定出来ないものの、「医師会」という強力な既成勢力へ抗しながら全国の僻地へ医療展開した社会貢献は誠に大きい。その壮大な貢献度に比べれば今回の資金贈与等の違反罪状は微々たるもの。その大きな社会貢献度に鑑み、摘発“潰す”のではなく補正・指導は出来なかったか。「徳洲会」壊滅で歓喜する規制勢力の“出る釘を打つ”日本のゼラシー風土とまでは言わないが!徳洲会がなければ奄美徳之島や加計呂麻等の高齢過疎僻地への総合病院は無くなるだろう。奄美・徳之島にとって"スットグレ"(なにくそ精神)象徴である徳三宝、朝潮に次ぐ歴史的“島の英雄” 徳田虎雄潰しは限りなく悲しく、残念!

 

 

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「3ケ月振りの出勤!」~癌サバイバル

2014年02月07日 | 「病床六尺」

                                                 
 昨年、11月の入院以来の3ケ月振りに三田の事務所に出勤?しました。
自宅から駅まで徒歩10分、京浜東北線に1時間、田町駅から前方に聳える東京タワーを見つつ寒風の中、桜田通り左側の慶応大東門向かいの事務所に行きました。
 通いなれた通勤路をストマー(人工肛門)障害者として初出勤、別世界に見えました。疲れるかと思いきや、意外に新鮮、元気が出ました。人間、やはり外界との接触、“教養(今日用があり)と”教育“(今日、行く所)の必要を認識しました。今後半年間、抗癌剤投与の治療と副作用生活は続くものの週に何日かは癌との共生・サバイバル出勤しようと思いました。

 先日、㈱日本アドバンスシステムの元専務の天田さんから恒例の横浜国大機械工学の同期会を銀座で開催されたとのメールを頂きました。年々参加者の減るこの会、今年はなんと4名。とは言え90歳の皆さん、何と全員、胃、大腸、前立腺等々の癌罹病とのこと!90歳ながら即時、明快なメールを下さる天田元専務の癌サバイバル姿勢には学ぶこと多く、大先輩との出会に改めて感謝です。      

                              
                               (90歳ながら矍鑠!メール返信される天田さん)

 

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「大学病院の功罪、長短」

2014年02月07日 | 「病床六尺」

                                 
                         (十条に聳立するホテル並み威容・帝京大病院11階に入院)
 今回の帝京大癌センターへの入院治療には多くの皆さんからお見舞い、激励と共に様々なアドバイスご意見を頂ました。その中で特に印象に残っているのは「大学病院は治療機関と同時に教育機関だから気を付けた方が良い」という意見でした。“教育機関というのはやたらに手術したがる“というもので、そういえば病院医師のHPには”手術経験何件“という経歴誇示が見られます。
 今ベストセラーズになっている近藤慶大医学教授の「癌もどき」著には「島倉千代子も中村勘三郎手術しなければ、まだ生きていただろう」という趣旨が書かれています。
 私の診療にも多くの研修生の立会い観察があり一瞬“俺は教材か!”と思ったものです。とは言え、大学病院は先進医療機器や多くの専門医者が揃っており、町医者ではとても出来ない先進医療受診のメリットがあります。
 現に私の診療にも外科、皮膚科、内科等の医師スッタフが検査データーを検討、協議しつつ実施されているようです。
 ここ帝京大医師の大半が東大医学部出身で、さながら東大系列病院の様相ですが、その理由は帝京大創設者の冲永荘一理事長が東大医学出身によるのでしょう。  

                         
(北京大卒のご主人に精華大の息子さんを持つNET中国語教室経営の福安さんお見舞い感謝!)

 

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「4級傷害者認定を受けました」

2014年02月06日 | 「病床六尺」

                                     
 人工肛門(オストメイト)になると「身体障害者」認定を受け、区役所から障碍者手帳を受けられることを初めて知りました。 直腸末端を切除した「S状結腸」の私は障害率の最も低い4級認定でした。この認定を受けると次のような福祉サービスが受けらるようです。

   ① オストメイト生活用具購入費として月に8,858円が支給されます。
   ②  101キロ以上の鉄道運賃の5割引き。
   ③  国内航空賃の25%引き。私の場合は高齢運賃のため、恐らくこれは適用外か?
   ④  高速道路、バス料金の5割引き。
   ⑤  タクシー代の1割引き。
   ⑥  美術館、博物館、都市公園の入場無料
   ⑦  確定申告税額の27万控除。
これらの福祉控除適用は市町村によって違いもあるようです。
                                      

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「再入院の経緯」

2014年02月02日 | 「病床六尺」

                                             
                                            (右肩胸部のCVポートと抗がん剤)
  現在の医学レベルでは癌細胞の転移を正確に見付けることは難しいとのことで、2月27日からの再入院は他臓器への転移検証が目的です。その為“化学療法”と呼ばれる抗癌剤治療ですが、脱毛や口内炎、顔黒など様々な副作用が起こるためこれを避ける人も大勢いるようです。勿論、実施前にインフォームドコンセントがあり、その選択を迫られ、断ることも、後遺症の出た途中で辞める選択も出来ますが、検査途中で転移を発見されることあり、私は受信同意書にサインをしました。
 2週間に2泊3日48時間の点滴治療を半年続けるとのことです。これは外来通院でも可能ですが私は入院治療を選びました。入院の28日部分麻酔を受け、右肩前部に血管造影検査(CVポート造設)の手術をうけました。これは抗がん剤の受け口です。この手術の翌日「美ら島沖縄大使」認証式に参加しました。
 
実は帝京大医学部外科チームは文部科学省の研究助成金を受け、大腸癌患者対象の「微量癌細胞・マイクロRNAを介した癌移転カスケード解明と臨床意義の検討」という研究テーマを受託し、私は3年間、250被検体の一人として研究協力の要請を受託しました。その見返りは特にありませんが、私のこのBLOGを読まれる方の二人に一人は将来、癌罹病の可能性という統計予測がありますので、残る私の寿命体験が何等のお役立てればというのは少し恰好良過ぎますが。まあ、本音は転移の早期発見です。                       
    (高校同期の津嘉山徳島大名誉教授、遠路見舞い有難う!実は彼も胃癌手術経験)

 

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「美ら島沖縄大使認証式」~初のストマー外出!

2014年01月31日 | 「病床六尺」

                                                                                      (山川「沖縄ブラフ」東京支社長撮影) 
                                   
                             (恐縮ながら「認証大使」代表答辞挨拶拝命!)
                                                      ~菅原大使撮影
 再入院中、恒例の「沖縄Night in 東京」と共催される「美ら島沖縄大使」認証式で沖縄県担当課から答辞代表の挨拶要請を再三受け、“錚々たる先輩大使の出席の下、私が?“と躊躇しましたが、”ひょっとすると最後のお務め“と主治医に相談すると”え!仲井真知事と会うのですか“と外出許可を貰いました。「美ら島沖縄大使」制度は発足から10年目?今年で3回目の認証式。
 永久ストマーになって初の背広外出、十条から会場の品川の「グランドプリンス高輪」まで埼京、山手線と久々の電車移動でした。
 認証式後の「沖縄観光への感謝祭」 会場には仲井真知事、高良副知事、上原OCVB会長他ANA,JAL社長等本土の旅行関係者はじめ沖縄関係者2000人近い参加者。
 司会は昨年に続きフリーアナウンサーの宮城さん。感謝祭発足時は国仲涼子、比嘉愛未、仲間由紀恵等の沖縄出身有名タレントが出席していたのですが、ここ2、3年、タレントの出席は無し。高価な出演料のためか?
 この宵、
会場出席の多くの知人・友人の気遣い、勧誘を惜しみつつ8時半の門限ギリギリに帰院しました。
                         
                                       (大使有志と記念撮影)

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「リハビリ再入院」

2014年01月29日 | 「病床六尺」

                             
                      (社保士としてお世話になった琉大同窓とアフリカ・東京・沖縄往来
                       のJICA活躍 の沖縄女性の皆さん、ご多忙な最中、お見舞有難う!)
                                  ~宮城尚人君撮影

 入院72日目の1月18日一旦退院しましたが、10日後の27日、再入院となりました。
これは腫瘍手術後には良くある「抗癌化学療法」で2週間毎に2泊3日程度の入院、または外来通院、およそ半年の継続抗癌治療ということです。これで完治が保障されている訳でもなく、脱毛、嘔吐、しびれ等の後遺症が予想されるとのこと。まあ、これも“癌と共生”の経験。次回東京オリンピックは奇しくも男子平均寿命80の歳。これを当面の延命目標に!この間、出来れば後輩から度々問われる“挫折、失敗、痛恨、”の“わが創業、承継の回顧録”を執筆できれば!  

                    
      「琉球島嶼文化協会」山城幸松 代表のビックリお見舞い有難う!)

 

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「ふるさと歴史紀行」:眞栄田修先輩著

2014年01月26日 | 「病床六尺」

                                              
 が母校(那覇高・旧制沖縄二中)の「東京城丘同窓会長」の眞栄田修先輩が平成25年「我が家のルーツ」調査と書かれた紀行書。
 恐縮ながら私が入院していた帝京大病院に先輩わざわざ見舞い御持参頂きました。内容は首里城・正殿、守礼門、歓会門、瑞泉門、漏刻門他「斎場御嶽」「円覚寺」「崇元寺」今帰仁、座喜味、勝連、中城等々全島24の城跡、琉球王国遺跡を自ら行脚した紀行文。僅か60ページの小冊子ながらそれぞれ写真、地図付きの名所、遺跡の由来ストリーを読むだけで自ら琉球王国の歴史が学べる。病床で何度も繰り返し読みました。
 それにしても “銀行よ、さようなら!証券さん今日は!”と言われた日本経済、バブル全盛期、一橋大学から当時、就職先として超人気、最難関の野村証券に就職、研修部長まで上り詰めた最高級ビジネスマンと思われる眞栄田先輩、この紀行文と共に「心臓形成手術」体験記も頂き、一気に読みました。この両冊子、いずれも手製編集。
 実は眞栄田先輩はこの他「城丘の風に吹かれて」という沖縄二中と那覇高の歴史も著しています。この尋常ならざると母校愛は何処から?
 それもその筈、先輩は那覇高8期の生徒会長も務められています。因みに奥様は当時の副生徒会長。関東城丘同窓会の記念誌「城丘賛歌」も眞栄田会長のこのエディターセンスと意欲があったればこそ実現したと思います。失礼ながら証券マン?にしては異色とも思われるこのアカデミックな学究肌の執筆文才振りはどこから来るのか。先輩、自ら“クニンダ”(沖縄・久米村出身)出自と語られ、成程!と思いました。仲井真沖縄知事の祖先でもあるこのクニンダ三十六姓とは中国・福建省から琉球に渡航移住の当時の文化・教養エリート集団の才を脈々と引き継いでおられるのか!いずれにしろ、こうした偉才な先輩は私達同窓の誇りです。
 こうした著書に巡り合うのも病床であればこそ!時に入院生活も悪くないかと!  
                                       

 

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「入院72日、退院します」

2014年01月17日 | 「病床六尺」

                       
         (土井幸子東京多良間郷友会長様~退院目前)
 入院72日目の1月18日本日、退院することになりました。
この間、年末新年とご多忙にも拘わらず、中野CIJネクスト会長に社員、OB、並びに琉球新報、沖縄タイムス両東京支社長、沖縄県東京事務所スタッフ、関沖経営協、関沖IT協、奄美IT懇話会、同窓・先輩と延80名を超すお見舞の皆様に、沖縄、ロス、バンコック、上海、北京からと数々の激励メールを頂き有難うございました。
  連日持ち込まれる朝日、日経、新報、タイムス4紙に「オール読物」「文芸春秋」から芥川、直木受賞作品に化学論文、ドキュメンタリ等々10冊を超える幅広いお見舞い書物をベツド上で仰向精読の毎日でした。
  お陰様で手術も無事終了、ストマー操作にも何とか慣れましたが、臀部の十文字切除、縫合後遺のため、円座布団使用も10分以上座ることままならず、何かと不自由、この完全治癒は半年も掛かるとのことです。
 現時点、他臓器への転移は認められないもののレベル4のリンパ感染、再発の可能性は否定出来ないようで、退院後も抗癌剤投与等の通院治療は続きそうです。
 とは言え、2人に一人の癌罹病に3人に一人の癌死亡の現在“一病息災ならぬ多病息災”もあるかと残る人生、癌との共生、今少し女房への贖罪奉仕へのライフスタイル舵切に努めたいと思います?
 入院清算は個室代もあり、優に100万円を超しましたが、Aflac癌保険・生保のお蔭でその6割以上を補填出来ました。
 余命、引き続き皆様の辛口、ご忠言お願い共々ご報告、お礼のご挨拶に代えさせて頂きます。重ね重ね有難うございました。
       
          (イトマン美人?有難う!)

 

 

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「永久ストマー」

2014年01月17日 | 「病床六尺」

                               
 ストマーとはギリシャ語で口(Mouse・Gate)=人口肛門の意味と言う。この度の入院で初めて「永久ストマー」という言葉に接しました。
「永久」があるなら“臨時、一時”があるようです。つまり、大腸癌手術で一時的に切除しても傷の癒えた2,3年後に接合、肛門機能を回復するケースで、事例は結構多いようです。私の知人にもおられました。
 私の場合は切除範囲が広く、括約筋残存は難しく「永久ストマー」になりました。これも今回初めて知りましたが、「永久ストマー」は障害者と認定され、所得税、電車、タクシー、航空運賃減等様々な手当てがあるようです。この制度は10年前に制定されたようで、改めて国の福祉制度を感得しました。
 ところでこの「永久ストマー」は日本に凡そ10万人、つまり1000人に一人の割合でいるようです。そして全国に罹患者同士の交流会「日本オストミー協会」があるようで、さっそく「埼玉支部」に入会申し込みをしました。
                        
  (Tbs"大沢悠里ゆうゆう"毎日出演の多忙な佐々木アナウンサー、有難う!)

 

 

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「入院70日」

2014年01月14日 | 「病床六尺」

                            
                            (中野会長!那覇・ホノルルマラソン快走お疲れ様!)
 入院してはや70日、手術から一月近くが過ぎましたが、直腸肛門腫瘍切除の傷が癒えず、座ることままならず、未だに立ったままの食事です。ただ、円形座布団を使うと何とか座れますが、それも30分が限界。歩行は右脚鼠径リンパ切除の影響で右脚引き摺りつつも可能です。人工肛門パウダーの使用、交代操作も何とか自分で出来るようになり、今月中には退院できそうです。
 この間、多くの方々からお見舞い、激励有難うございました。中でもナハマラソン、ホノルルマラソン完走帰日の中野㈱CIJネクスト会長のご來院にはマラソン談義で盛り上がった初面談を思い出しました。
 また、旧NAS出身社員並びに停年退職OBの方々のご来院、激励には創業往時を思い出し、改めて“来し方、行く末”レビューの機会でした。改めて年末、年始ご多忙な最中のお見舞、激励有難うございました。
   
  (社員、OBの皆さん、有難う!)

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謹賀新年(平成24年年賀)

2014年01月13日 | 「病床六尺」

                                      
 創業35年目を迎えた昨年、私は社長譲渡、会社合併、会長、顧問を辞任致しました。この間、長きに亘り、ご支援、ご協力頂いたお客様、並びに社員の皆さんのご厚情に厚く御礼申し上げます。
退任を機に、創業の地、三田にプライベート・オフイスを開設した9月、きしむも直腸腫瘍が見つかり、手術のため入院した帝京大学付属病院癌センターで年末・年始を迎えることになりました。
 現時点、他臓器への移転は確認されていないものの、右脚鼠径リンパへのレベル4の転移が見付り、いずれ再発の可能性があります。
 
とは言え、古希を迎え、長い間苦労を掛けた女房、宿願の自宅リフォーム、事業承継、多少なりと言え、故郷、後輩への報恩を果たし、“終活レビュー”への神の啓示と受け止め、余命を果たしたいと思います。年賀としては失礼なご挨拶で申し訳ありません。
 改めて、長きに亘り、お世話になった皆様のご健勝、ご清栄をお祈りし、新年のご挨拶に代えさせて頂きます。
                    

                           (養秀会の皆さん、お見舞い有難う!)

 

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朝吼夕嘆

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