旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文により、明治31(1898)年に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築です。伊藤博文が風光明媚な金沢の地を好んで建てたといわれ、大正天皇や韓国皇太子なども訪れました。
明治時代、富岡などの金沢近辺は、東京近郊の海浜別荘地として注目され、第4・6代内閣総理大臣の松方正義や大蔵大臣・外務大臣等を務めた井上馨、日本画の大家の川合玉堂などが別荘を設けました。その後、大磯や葉山などが別荘地として栄え、金沢はその役割を終えました。旧伊藤博文金沢別邸は、当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構です。
平成18(2006)年11月には、横浜指定有形文化財に指定されましたが、建物の老朽化が著しかったことから、平成19(2007)年解体工事・調査を行い、現存しない部分を含め、創建時の姿に復元することになりました。
平成20(2008)年6月から工事に着手、平成21(2009)年10月に庭園と併せて竣工しました。
邸内では、伊藤博文に関する資料や調度品などを展示しています。また、庭園からは海が一望でき、金沢区の花「ボタン」をはじめ、四季折々の花を楽しむことができるなど、歴史・文化に触れ合う市民の憩いの場として公開しています。
私が最初に、八景島にある「野島公園」の海岸にカモ類の大群を撮影に伺ったのが最初でした。
野島公園には、小高い山があり、海抜57mを上ると展望台があります。そこからは、富士山や八景島シーパラダイス、横浜港などが一望出来ます。
私が最初に見たのが茅葺屋根の建物でした。伊藤博文の別邸を復元した資料館にもなっています。
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また、中庭の松の辺りに念を感じて撮影したら、綺麗な黄色のオーブが写りました。
黄色のオーラの人の特徴は、オーラが黄色の人は明るく前向きな性格で、思いついたことをすぐに実行できる行動力や、どのような困難にあっても諦めずにやりとげる姿が、多くの人たちからリーダーのように慕われたり好印象を与える傾向にあります。このように伊藤博文氏のオーラだと分かったものです。
実は、私がスズガモなどの撮影場所を探していたのですが、直ぐに目に止まったのが、野島公園でした。
何故か?急に行かなければと思い伺いました。そして伊藤博文氏の思念と出逢ったものです。
私に来て欲しいと伝わったものです。この金沢別邸から朝に、当時は海岸だったようです。
カモ類などに餌を上げてから、散歩がてら小山を上り、山頂から富士山を眺めて日本の行く末を按じていたようです。
本人は、1909年10月26日, 中華人民共和国 ハルビンで暗殺されました。
このことが無念で成らず、分かる人に伝えたかった。だからあなたに此処に(野島公園)に来て欲しかったと分かりました。
特に、金沢別邸は、安住の地だったようです。
松の木を植えたり、手入れなどもしていたようです。お気に入りだったようです。
だから、松の木に大きなオーブが写りました。何度かオーブは撮影していますが、あんなに大きいのは始めてです。
翌年に訪れ、寒くて風も強い日でした。震えながらも般若心経を唱えて伊藤博文氏の思念を安住の地に見送りさせて貰いました。
暗殺された無念の念を抱えながらお気に入りの金沢別邸に彷徨っていた霊魂を浄土に見送り致しました。
そして、訪れる度に信じられない不思議な出来事、スビリチュアル体験を毎回しています。
昨年は、怪我したカラスの死に際に立ち会い、私を待っていたかのように目を閉じて旅たちました。
今年も不思議な出来事に遭遇しました。
それは、やはり、別邸の庭にいる野鳥を撮影しようと野鳥を探していたら、背後からいきなり「カタン」と大きな音がして振り向いたら!木の板のような物がありました。
何故?手摺の下にあるのか謎です。誰か捨てたか?木から落ちた訳でもありません。
手摺の場所は通って来ましたから落ちていたら分かるはずです。カタンと音がしたのは、私に知らせる、気付かせるためだったようです。
その板は、水神社、大漁満足、海上安全祈願の祈願板でした。
何で、こんな祈願板が別時空から現れたように私に気付かせてくれたか、未だに分かりません。不思議なだけでなく、ご縁を感じたので自宅に持ち帰り、塩で洗い綺麗にして自宅に置いています。
また、自宅に持ち帰ってから幸運も訪れています。
もしかしたら、伊藤博文氏からのお礼なのか、私には野島公園、伊藤博文別邸は特別な場所となり、スビリチュアルなパワースポットになりました。
センスプロデュース研究所、葛西行彦、