追憶のサムライ(横浜・中世武士のイメージとリアル)

2022-11-13 00:00:42 | 美術館・博物館・工芸品
横浜市歴史博物館で開催中の『追憶のサムライ』展。サブタイトルが「横浜・中世武士のイメージとリアル」(~11月27日)。



横浜市の歴史博物館であるので、神奈川県の歴史ではなく横浜市の歴史館であり、これが難しい。いわゆる横浜といえば横浜駅から桜木町、関内、中華街あたりの沿海部をイメージされるだろうが、あのあたりは江戸時代は海だった。海では歴史を語れない。

すべてはペリー提督が来てから動き出した。中途半端な埋め立て地を、きちんと整備し、開国後は外国人居住区が完成し、東京までの鉄道も開始され海外では当たり前のことが、どんどん横浜に流れ込んだ。だから日本最初の〇〇といようなものは無数にある。

明治時代を歴史と考えなければずっと昔にさかのぼることになる。といっても鎌倉時代の花形は鎌倉で横浜ではない。

ただ、京都の方から見ると、鎌倉の後背には三浦半島の中心を南北に貫く丘陵がある。鎌倉幕府がどう考えていたのかは伝わっていないが、三浦半島の東西の通り道として山を削って抜け道のような道が作られていて、三浦半島の東側の北の方は、横浜市金沢区となっている。そこには鎌倉市街地からあふれた寺院などがあって、歴史的資料が残っている。



苦しいながら、その細い糸で、今日の鎌倉武士のブームに乗っている。

その代表が、畠山重忠。鎌倉幕府初期の要人で、聡明で勇敢で人情に厚く、武士の中の武士と言われる。もちらん魑魅魍魎の鎌倉初期では、彼に長命は許されず、無実の罪を着せられ、幕府の敵とレッテルが貼られ、現在の二俣川付近で討死にしたと言われる。

二俣川というと、ゴールド免許を失うと二俣川の自動車運転免許試験場に行くことになっていて、トラウマの大きな駅なのだが、次回もそこなので、畠山重忠関係史跡を歩いてみようかな。