ニンゲン合格(1999年 映画)

2019-02-13 00:00:35 | 映画・演劇・Video
風変わりな映画だ。そういう非日常的なのが得意な監督(黒沢清)だからだろう。主演の吉井豊を演じるのは西島秀俊。10年前、14歳の時に交通事故にあって昏睡状態を続けていたが突然、目覚める。10年の間に両親は離婚、妹は海外に飛び出すが、日本に戻りダメ男の恋人と暮らしていたが、金欠状態。

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豊は父親の友人だった藤森(役所広司)と暮らし始めるが、藤森は産業廃棄物不法投棄業者で、普段は釣り堀経営をしていた。そして、吉井の努力によってばらばらだった家族には光明が見えてくるのだが、そこに10年前の交通事故の加害者室田(故大杉漣)が現れ、難癖をつけてチェーンソーを振り回して、家族再生の絆として築き上げた証のポニー牧場を破壊する。そして、産業廃棄物が崩れ、吉井豊は冷蔵庫の下敷きになって落命することになる。

喜劇なのだろうか悲劇なのだろうか、吉井家の人たちのことを考えれば、可哀そうでしかたない。一家に何も罪もないのに家族はバラバラになり父親は新興宗教の布教のためにアフリカ大陸にいくし、母はクリーニング店で働きながら、住所を転々とさせ、妹はいつまでたっても金欠のまま。

しかし、運や不運も人生には付き物であるというシェークスピアの時代から綿々と続く、ドラマの王道ともいえるシナリオのようにも思える。

炎上する君(西加奈子著 短編小説集)

2019-02-12 00:00:32 | 書評
八作の短編集。表題の『炎上する君』は4作目。炎上といえば、ネット上のお祭りのことかと思えば、そうではなく、足が燃える人間のこと。街の中で時々見かけるそうだ。実際、私は今まで見たことがない。火の車の人間は見たことが多々ある。また、電車の中で、隣のつり革の男性が突然倒れたことを見たことがあるが、その時は適切な救護活動をしたのだが、目が白くなっていただけだ。

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『甘い果実』。3作目だ。作家を目指して苦闘中(書店の非正規社員)の女性が、自分と同学年で既に活躍中の作家、山崎ナオコーラ氏(性別不詳)をあこがれる話だが、普通は同業者を自分の小説に登場させて、活躍させていいわけはない。ほぼ反則技だろう。

『甘いお尻』。6作目。美人なのに、たまたまお尻の写真が評判になり、お尻モデルとなってしまった女性モデルが、自分を取り戻すために、とある肉体バンクにお尻を預けてしまう。聞けば、太宰治も自殺する前に自分の『人間という概念』を預けて、そのまま取りに来ないそうだ。

『舟の街』。7作目。舟の街に行ってしまうわけだ。どうも簡単に行けるらしい。そして、帰ってくる人もいる。この6作目から8作目までは、まさにカフカ的である。というか次の8作目『ある風船の落下』はカフカを超えている可能性もある。なにしろ、ストレスを抱えた現代人は心身症になったり、うつ病になるのが常なのだが、突然「風船病」が流行り出した。

初期症状は、足がほんの数センチ地面から浮き上がるだけだが、ある時、突然に体が膨れ上がり、空の彼方にビューンと飛んで行ってしまう。飛んで行ってどこかで燃え尽きるか宇宙の果てまで行くのかわからないのだが、主人公の女性がそのように浮き上がりどこかの空の隙間にたどり着くが、そこはストレスを抱えた風船病患者たちがぷかぷかと等間隔で浮かんでいる場所だった。天国と地上の境だ。

自分的には、この『ある風船の落下』が一番良いように思えたのだが、この本を読んで数日後に、風船爆弾の10分の1サイズの模型を見ることになったのだが、その話はいずれ・・・

暗くて明るいカメラーの部屋(横浜市所蔵カメラ・写真展)

2019-02-11 00:00:31 | 美術館・博物館・工芸品
『カメラの部屋』ではなく『カメラーの部屋』だ。カメラーとはカメラ愛好家のことらしい。カメラマンの意味も含む造語らしい。横浜市は、かなりのカメラと記念的写真のコレクションを持っていて、時々、市民ギャラリーあざみ野で一般公開する。収蔵数は約12,000点とのこと。古いカメラや写真は保管が一苦労のはずなのだが、大丈夫だろうか。

今回の特徴は、「カメラを持つ人=カメラマン(カメラウーマン)」の写真だそうで、カメラ撮影会の写真とか、写真家のポートレート写真(つまり自撮り)など。

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気付いたのだが19世紀後半(つまりカメラが登場してまもない頃)の写真には、あまり影が写っていない。無論、正面から光が当たるように構図がとられるのだろうから、影は被写体の後ろにあるのだろうが、それにしても影は明確ではない。おそらく太陽の位置が移動するので、長時間かけて1枚を撮影するため、影も場所を変えて移動するため、ごく薄くしか写らないからなのだろう。

アンデルセンの『影』という奇妙な小説は、村上春樹氏も絶賛しているが、童話の粋を飛び出した話なのだが、ある日、自分の影が自我を持って動き出し、人間の方が影に支配されることになる。

正常な影のない人間は、あまり信用できない。

そして、歴史的なカメラの展示の時、誇張されたりスルーされたりすることがあるのだが、カメラの軍事的利用のこと。第一次大戦の後、世界の緊張が徐々に高まっていく間に、ドイツはライカ社が軍用カメラを研究。上空からの偵察やスパイの持つ小型カメラで先端技術を誇っていた。

それに対して、米国はライカもどき品を作って対抗していたようだ。今でこそ知的財産権の保護とか中ロが軍事技術を盗用と非難しているが、時代は変わったというか、米国は日本製カメラを多用している。今、米国が敵視しているファーウェーのスマホだが、レンズが3つもついているのだが、ライカとの共同開発だ。ライカは奇妙なことにデジカメはパナソニック製になってしまったのだが、ドイツ本国ではスマホ用レンズを作ってファーウェーに供給。

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そして、偵察用カメラのはしりというべきが、鳩カメラ。本物の鳩にゼンマイ付シャッター装備の小型カメラを取り付けて、敵の基地上空を飛ばしたようだ。現物のカメラが残っているということは、スパイが捕まったか鳩が捕まったか。たぶん前者だろう。スパイの運命は知る由もない。

しかし、この鳩カメラの写真を見ていると、ドローンカメラと同じではないかと思うわけだ。プロペラが目立たないように細工をほどこし、鳥のように見せかければ誰も気付かないような気もする。いや、すでにカラスの姿で、飛び回っているのかもしれない。

富士屋ホテルの営繕さん

2019-02-10 00:00:28 | 美術館・博物館・工芸品
銀座のリクシルギャラリーで開催中の『富士屋ホテルの営繕さん』を見学。英語表記では、『FUJIYA HOTEL MAINTENANCE AND REPAIR』。つまり営繕さんとは、維持と修理をする人ということ。リフォームではなく、現状維持をするための部門である。

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木造なので、基本は大工仕事が中心で、仕事の質としては、宮大工とか船大工とかに近いだろうか。現在のホテルでは、そもそも木造じゃないので、こわれる場合は大がかりなので、大工ではなく建築会社が。

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なぜ、いま展覧会なのかというと、現在、耐震工事等でホテルが休業中だそうだ。明治中期に建設されたまま、そのまま使っていたそうだから、営繕さんの努力はたいしたものだろう。

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真鍮の蛇口とか、いかにも使ってみたくなる。そういえば、箱根はここだけではなく、小涌園も建て直し、箱根湯本には星野リゾートも進出。湯本の温泉は肌が白くなるといわれるが、地元の人に聞くと「肌が白くなるのはヒ素が含まれているから、地元の人は湯に入らない」と言っていた。箱根湖尻に近い姥子温泉の湯が最高という人もいる。

ところで、リクシルギャラリーで展覧会が開かれているということは、富士屋ホテルの工事が終わると、シャワー付きトイレになっているということだろうか。泊まることはないだろうから、どうでもいいや。

審判員が忙しい大会

2019-02-09 00:00:39 | しょうぎ
少し前に、地元で行われた身体障がい者囲碁将棋大会で、将棋の部の審判員に出向いた。一応、普及指導員なので、断るのは本望ではないので、条件を確認してから受諾していた。

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どうも、以前は本職なしで大会をしていて、もめ事があったらしい。といっても「待った」の類では、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)でもないと真偽がつけられないので、なるべくボランティアの人たちを各テーブルの近くに配置するとかやってみた。

ただ、事前にルールを読んだところ、いくつかの小さな穴があることに気が付いてはいたのだが、めったに起きないことだし、試合会場でルールを変えるわけにはいかないので、黙っていたのだが、さっそく穴について気付いた人から質問が来る。

その他、試合中に駒が割れるとか。同時に4局で秒読みなるとか、振駒で勝った方が、先手ではなく後手で指したいと言ったり、・・

ということで、来年に備えて、ルールのほころびを直そうかと熟慮中。


さて、1月26日出題作の解答。

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後で、よく考えると2三のと金は、歩でもよかった。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。

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11手詰。双玉問題。

とどめは桂で。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

くまモン、ごちそうさま

2019-02-08 00:00:20 | あじ
熊本のお土産いただく。

『くまモン』のお菓子。包み紙にも『くまモン』が描かれていて、そのお菓子の正体は、鯛焼きのように、中に餡子やクリームが入っている。鯛焼きよりは、ずいぶんデザインが細かい。輪郭もはっきりしている。顔の表情も、足の肉球までクリアだ。

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また、「人形焼」は、人間を食べるという気持ち悪さが付きまとうが、『くまモン』は、しょせん動物である。そういえば中華料理では熊の左手の掌は最高食材とされている。ミツバチの巣を左手で叩き壊して幼虫や卵を食べるから、左手が蜜のような味がするらしい。しかし、このお菓子の『くまモン』には、不思議なことに掌がない。誰かに先に食われたのかもしれない。

実は、自宅には先住の『くまモン』もいる。犬のおもちゃ用だったのだが、犬が怖がるので、お仕置きグッズになってしまっている。

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しかし、結局のところ、ゆるキャラは、『ひこにゃん』、『ふなっしー』、『くまモン』あたりしか生き残らなかったのではないだろうか。おそらく千を超すキャラクターが出現し、数える程度に絞られた。タレントと同じだろうか。

実は、『ふなっしー』は、ギャラの安いテレビ出演は辞退して、地方巡業に勤しんでいるらしい。もともと船橋市の公認キャラではなかった気楽さがあるのだろう。

『くまモン』は、熊本県が太っ腹で、増殖や拡散を大目に見ているので、成功しているとも言える。

ただし、味にこだわるなら、東京の水天宮にある重盛の「人形焼」の方がいいかもしれない。

ハコブネ(村田沙耶香著 小説)

2019-02-07 00:00:58 | 書評
『コンビニ人間』で芥川賞をとった村田沙耶香さんの『ハコブネ』を読む。初めて読む作家で、読後、少し現実の人間では感性がズレている人を書くのがうまい、ということを知ったのだが、どうも、作者自身も(いや作者の方が)もっと変わった考え方のようだ。

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「ハコブネ」というのはノアの箱舟のことなのだが、現実逃避の場所として、都会の孤独な人たちのオアシスとなっている『自習室』を利用する3人の女性、里帆(18)、椿(31)、知佳子(31)の生き方を描いている。

本質的に小説の主人公は里帆なのだが、彼女は自分のセクシャルが男なのか女なのか疑問を感じていて、男装の真似事などしている。後に、彼女は自分が男か女かではなく男を愛せるか女を愛せるかというようなことを考えていることが見えてくる。

椿は美人なのだが、男友達に飽きてしまい、自分の美を守るために、夜でも日焼け止めクリームを念入りに肌に塗り込む。そして、お説教好き。

知佳子は、3人の中では、最も普通の女性のように思えるのだが、実は、とても不思議な考え方をもっていて、「水」とか「灰色の惑星」とか、不思議なことを口走るし、太陽が輝いて空が明るいという天気のことを、「ソルの熱はさらに強くなった」というように表現する。あえて言えば、作者の分身が小説の中に登場しているわけだ。

最近、若手と言われる作家を読んでいるのだが、感じているのは、「新しい切り口」というのが、案外、日本の近代文学の黎明期の森鷗外、夏目漱石、樋口一葉のような「自分探し」であったり、どろどろとした悪意を描く作家が江戸川乱歩的であったりと、先祖返りのようにも見えるのだが、村田沙耶香は、過去のどの作家にも似ていないのではないかと思う。

DVDのお蔵入りは一考すべき

2019-02-06 00:00:02 | 市民A
新井容疑者が逮捕されたことについて。

彼の国籍が北から南に変わっていたこととか、酒を飲んでいて覚えていないが、頭を押さえつけたことはない、という発言について書くつもりはなく、公開予定だった映画が急遽中止となったり、過去の出演作のビデオがレンタル店の棚から消えることについて。

過去の出演作はかなり大量で、本当に全部オクラに入れるのだろうか、リストを見ると、実は多くは「ワル」で出演している。狂暴な役が多く、そもそも犯罪者として出演していることが多いのだから、棚からはずす必要はないような気もする。

さらに犯行日より前は、無実の人なのだから、少なくてもそれより前については棚に置いていてもいいのではないだろうか。

それでは、公開予定だった映画はどうすればいいのだろう。端役だったら編集とか代役で部分的に取り直せばいいのだろうが、主役や準主役だったら、面倒なことになる。上映時間を30分ほど伸ばして、映画の末尾に役者が捕まるシーンを追加して、怒り狂う映画監督が、実の主役であったというように仕立て直せばいいかもしれない。映画監督が主演の映画もある。フェリーニの『8 1/2』とか。

発電のこと

2019-02-05 00:00:16 | 市民A
少し前に電源開発(株)の事業説明会を聴いた。銀座の昭和通りに面した大きなビルに本社があるのは知っていたが、どういう会社かはあまり知らなかった。

静岡県にある佐久間ダムを建設するためにできた会社のようだ。日本最大規模の水力発電所。その後、水力発電所や火力発電所を作っている。特徴は、○○電力というような地域独占型の電力会社とは異なり、全国で水力と火力発電を行っている。現在、発電と送電と電力販売を別の会社が行うようになったのだが、形態からいえば、電源開発の方が前からそれに近い。

発電能力からいうと全国6番目(東京、中部、関西、九州、東北の次で、その下に中国、北陸、北海道、四国、沖縄と続く。ただ、原子力を除くと九州、東北を抜き、4番になる。水力発電は東電、関電とほぼ並ぶ2番である。

かくして、巨大な発電事業会社なのである。そして、地域が全国各地であるだけでは満足できず特にアメリカ、中国、タイではかなり発電実績があるそうだ。そして、今までのところ原子力発電は行っていないが、青森県の大間で建設中のところ『3.11』になり、工事再開待ちになっている。具合が悪いことに、既存原発でもなければ、新規計画でもない。宙に浮きそうなのだが、あえて利点を言えば、まだ大いに設計変更可能なので、再開に必要な条件が決まれば、それに従うだけ、ということ。ただし、採算性は未定だ。

この段落だけは横に飛ぶのだが、原発の採算性について推進派の学者はローコストというのだが、コストというのは例えば1年間の総コストを1年間の発電量で割ると言う計算で考えている人が多いのだが、総コスト中の廃棄コスト問題もあるのだが、実際にはその計算値を稼働率で割らなければならない。これが大問題で、大地震のずっと前から、原発は主に配管から何かが漏れるというトラブルによってしょっちゅう止まっていて、極めて稼働率が低いのである。この漏れるという話は奥が深いのだが、次の段落を書くのはやめて、元に戻る。

電源開発(株)は、太陽光発電と風力発電では日本のトップクラスのシェアを持っているのだが、地熱発電はほとんど手を付けていない。本来、原発が進まない最大の原因は地下構造が危ういということなのだから、逆にその地下構造を活かして地熱発電をすればいいのだが、当日の説明では、国立公園法とか温泉業者の反対とか説明があったが、そもそも地熱発電所とは地上の構築物はきわめて小さいし、お湯を掘り返して川に流すわけじゃなくまた地中に流し込むのだから、それこそ一部のお湯を温泉業者に回したっていいはずだ。

そして、観点を当該会社の話から人間が使うべきエネルギーの話に飛ばしてみる。こどもの頃には既に原子力の利用は行われていて、基本原理はウラン(235)に何らかの衝撃を与えて、原子を壊して、その時に起こる核分裂反応に伴ってエネルギーを利用する方式である。一方、原理だけは知られていて超高温安定状態で水素(重水素)からヘリウムなどの元素に変換するときのエネルギーが核融合反応で、これが利用できれば今後1億年ほど、人間はエネルギー問題から解放されると言われていた。しかし、その超高温安定状態が作れそうもないわけだ。しかも、エネルギーをコントロールしないと水素爆弾投下ということになる。

実は、核融合反応の最大の利用例は『太陽』なのだ。太陽そのものが核融合装置のわけで、地球の表面に降り注ぐ太陽光とその副産物である植物活動によって生物は長い間生存してきた。利用料はゼロ円だ。だから太陽光発電というのも合理的な核融合利用なのだ。

そして、日本では進まない地熱発電なのだが、そもそも地球に地熱があるというのは何が原因なのかという問題がある。数十億年前にできた時は高温だったとして、あとは冷めるだけだとしたら、とっくに凍結していた。最近、読んでいた古い本にも最新の本にも書いてあるのだが、地球の地下深く、どこかに存在する放射性元素(ウラン238とか)がきわめてゆっくりと他の元素に転換している過程で発生するエネルギーが、地熱の50%から60%の発生源だろうと言われている。残りはマグマやマントルの対流などによる摩擦熱とか1億年規模で落ちてくる超巨大隕石のエネルギーなどと考えられている。

つまり太陽光発電は核融合反応の遅滞的利用であり、地熱発電は核分裂反応の遅滞的利用であるということ。この二つを最大限に利用することが、もっとも持続可能な方法なのだろうと思ってしまうわけだ。また太陽光や風力の弱点である天候による不安定さは、余剰時にダムに揚水してエネルギーの貯金をする水力発電での利用が最も有効ということで、実は既に行われているそうだ(なぜか話題にならないのだが)。

華麗なるヒコーキ野郎(1975年 映画)

2019-02-04 00:00:04 | 映画・演劇・Video
1975年の公開なので44年前だ。監督のジョージ・ロイ・ヒルと主演のロバート・レッドフォードのコンビでは『明日に向かって撃て』、『スティング』に続く三作目。その二作は既に観ているのだが、本作は観ていないような気がする(覚えていないから)。

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当時、この映画を観た人たちの感想と、今、見る人の感想は大いに違うのだろうと思った。

舞台は1920年代のアメリカ。第一次大戦の時に登場した兵器が飛行機。特に翼が二段重ねの複葉機が活躍した。機関銃を撃ちながら敵機を撃墜する。特に有名なのはドイツ空軍のエルンスト・ケスラー。彼と戦争中に一戦を交えたと作り話で語るのは、ウォルド・ペッパー。

ペッパーは戦争が終わっても飛行機から降りる気がなく、同じような半端人間たちとともに、航空ショーで危険な技を繰り出して観客を喜ばせる。といっても危険の常として、観客も何度も体験すると危険の感触がなくなって、足を運ばなくなる。そのため、さらなる危険を求めていき、ついに死者を出すに至り、政府より興行禁止処分となる。

さらに、航空ショーでの事故の際、観客ともめ事を起こし、永久に出場禁止になる。困ったペッパーはハリウッドに行って空戦シーンのスタントマンとなるが、そこで仇敵(ではないが)ということになっているケスラーと出会う。ケスラーも派手な借金の結果、渋々ハリウッドにいたわけだ。そして、脚本にない「筋書きのない空中戦」が始まるわけだ。

おそらく、現在の感覚では、戦争が終わっても戦争ごっこをしたい人間に感動することは少ないだろう。「時代が変わる。私も変わる。」というような人が多いだろう。人間の得意技だ。

本映画の邦題は「華麗なるヒコーキ野郎」だが、原作は「The Great Waldo Pepper」だ。「グレート・ギャッツビー(The Great Gatsby)」と同じノリだ。1974年に公開の映画では、ギャッツビーはレッドフォードが演じている。

撮影には、かなり危険が伴うように思う。後で振り返ると、主演は危険なシーンには出ていなかったように思う。

級位認定証の訂正は?

2019-02-03 00:00:21 | しょうぎ
将棋普及指導員を細々と続けているので、棋力に合わせて『級位認定書』を書いている。将棋連盟の統一フォームで、郵送料分を払えば注文後に送ってもらえる。なお、初段以上になると数万円が必要になる。この級位認定書に名前と新しい級位と年月日を書き込んでこどもたちに手渡す。

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実は、従来から問題があるのは名前の欄で、小学校低学年は自分の名前が漢字で書けない子もいる。名前が書けないとひらがなになるのだが、できれば正確な名前の方がいいので、「この字かな?」「あの字かな?」と探索するがわからないこともある。理由は、親の身勝手で複雑怪奇な漢字を使うからだ。しかし、いくら複雑とはいえ、自分の名前が正確に書けないとなると親の教育責任という気がしなくもない。近くの無法国家のように漢字が書けなくなる前兆のようにも感じる。もっとも幼稚園のような名称の有名大学付属の子はそういうこともないし、私より字がきれいなので自分で書いてもらいたいぐらいだ。

ところで、これから数ヶ月後に問題が発生するのだが、小さな文字で年号が入っている。「平成」だ。まったく大きなお世話だ。新しい年号が発表されてから1ヵ月でGO!となれば、印刷が間に合うとも思えないし、しけた団体なので「そのまま使ってほしい」というのだろう。平成32年とか33年とか書くのだろうか。あるいは、平成の下に元年と書くべきか。

極小のシールを作って貼ればいいのかな。

もっと大きな表彰状サイズにして、認定書ではなく自家製の免状を有料で発行する手もある。

ところで、次の年号を推定する。「安倍」の「安」は使うのだろう。「昭恵夫人」からも一文字使うのだろうが、「昭」の方は少し前に使った漢字なので、「恵」の方だろう。「恵安」だろうか。「安恵」では、すぐに夫人の顔が浮かんでしまう。


さて、1月19日出題作の解答。


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無理やり感が漂う。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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一ヵ月遅れの、新年記念作。

詰将棋パラダイス誌の1月号の「解付きコーナー」に掲載されたので、ブログでは2月公開。ヒントというか「1」の字のあぶり出しで、縦一になる。それも9枚重ね。別名「駒柱」といって、不吉の前兆とも言われるのだが、一味違うのは、9枚が別の駒であること。8種類の駒プラス双玉。詰パラ誌の解説には、残念ながらその点は記載なしだった。さらに攻め方の玉だが、金とか成銀に変えると早詰になってしまうという限定を付けている。

書き忘れたが、「1」というのは「元年」という意味だ。「恵安元年」。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とコメントを書いていただければ正誤判定します。

古賀政男音楽博物館で聴いた曲は

2019-02-02 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
小田急線沿線を攻めていて、代々木上原駅徒歩3分という都内一等地にある古賀政男音楽博物館に行く。コガ・ミュージアムともいうらしい。

まず、古賀政男氏だが、1904年に福岡県田口村(現・大川市)に生まれる。幼少にして父を亡くし、兄の住む仁川に渡り、後に京城に移る。明治大学在学中にマンドリンに傾注し、作曲家を志し、空前の名曲である『影を慕いて』を発表。これにより大学卒業後、日本コロムビアの専属作曲家となる。そして、昭和前期から中期にかけて非常にたくさんの作詞家と仕事をして名曲を量産した。

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博物館は、古賀政男の居住地に建てられたのだが、悪名高いJASRACの本部の入るオフィスビルとコンサートホール「けやきホール」と一体化している。

二階は「大衆音楽の殿堂」ということで、顕彰者のレリーフが並んでいる。ちなみに昨年は平尾昌晃氏などが選ばれている。生きている人もいれば亡くなった後に選ばれる人もいる。

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三階は、コレクションとして、書斎や居間の再現や使用していたギターやマンドリンの展示。そして作曲家にとって重要な作詞家や歌手との組み合わせが紹介され、曲が聞けるようになっている。中に、歌手の五木ひろしが唄っていた「浜昼顔」という曲があって、作詞家が寺山修司と書かれていた。

戦後の韻文界の重要人物の寺山修司が歌謡曲の作詞をしていたことは驚きだが、世界的な詩人である谷川俊太郎が「鉄腕アトム」を作詞したこと級の驚きだ。

そして、最後に地下1階。ここでは古賀メロディをはじめとして数多くの歌曲をジュークボックス的に聴くことができる。JASRAC本部の隣なので、聴くたびに著作権料を払うのは嫌だ、と思いながら、古賀政男→浜昼顔→五木ひろし→寺山修司と検索し、寺山修司の作詞を検索すると、相当数収録されているのだが、大半は時代の波の中に消えていったようだが、話題になった曲もあった。

『ときには母のない子のように』

ときには母のない子のように
だまって海をみつめていたい

作詞 寺山修司、作曲 田中未知、唱 カルメン・マキ。1969年。

寺山修司氏(1983年没47歳)。田中未知氏(寺山と多くの作業を共同で行っていた。寺山没後、オランダに移住)。カルメン・マキ氏(寺山、田中両氏と同様に天井桟敷で活動していた。一時、活動休止したものの復帰し、地味に活動範囲を広げている)。

瓶が地味で、味も正統だが地味かも

2019-02-01 00:00:20 | あじ
数ある地ビールの中でも、国際的な賞を何度も獲得し、じわじわと市場浸透を図っている大山(だいせん)ビールの代表的4種の詰め合わせを頂いた。横浜でも何店かでは飲めるのだが、そこで飲むためには料理を頼まないといけないし、困ったなと思っていたのだが、幸運である。初詣で「大吉」を引いた運が、まだ続いているようだ。本当は昨年末に運気があった方がよかったのだが。

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大山ビールの大山は、「おおやま」ではなく「だいせん」と読む。鳥取県にある大火山である大山の麓の湧水を使っているそうだ。

代表的なビールは、ピルスナー、ペールエール、ヴァイツェン、スタウト。ホームページには各ビール毎に受賞マークが並んでいて、ピルスナーが6、ヴァイツェンが3、ペールエールが2、そしてスタウトが1なのだが、味の旨さの順かどうかは定かではない。賞というのは、東京大学の入学試験と同じで、相対的順位を表すだけで、絶対的な優位性を示すわけじゃない。

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自分的に順をつけると、ヴァイツェン、ペールエール、ピルスナーの順かな。スタウトについては、まったく違うものだし、ギネスという巨人がいるので、評価しにくい。

ところで、グラスに注げば、色の違いは明白なのだが、ビンやラベルはいかにも平凡だ。ビンの正面の腹の部分のラベルは4種同じようだし、違いは首周りの小さなラベルのみ。スタウトだけは液体の色が大きく異なるのだが、残りは区別しにくい。

ただ、日本海側の会社らしく『地味』を主張しているような気がする。銀河ビールをはじめ多くの地ビールが目立つラベルを使うのに、いいのだろうか。ある意味、割高な地ビールが日常生活に溶け込むためには、地味であるべきなのかもしれない。

日本の大手ビール会社は、おおむね3種類の価格帯でビール類を売っている。ビール、発泡酒、第三のビール。技術開発の結果、第三のビールでも十分にビール同等になりつつあって、大手ビール会社の戦略的には量を売るなら第三のビールで、質を売るならビールというように考えていたようだが、どうも第三のビールだけが現状維持ということのようだ。あるいは、質を買う人は地ビール党になってきたのではないだろうか。そうなると大手は第三のビールだけを売るという悲しい結果になるのかもしれない。