流人と非人(森永種夫著)

2014-08-06 00:00:46 | 書評
runin著者森永氏は、長崎出身ということで、江戸時代の長崎の古文書を研究されていたようだ。同じ岩波新書の「長崎奉行の記録」に続く二冊目の上梓ということだったようだ。(この本は1963年の初版なので50年前のことなのだが)

まず、題名に違和感があったのは、「流人」と「」というのはカテゴリーが違うのではないかと思ったこと。「流人」というのは放浪者ということではなく「島流し」になった人のこと。つまり犯罪者(中には無実の罪を着せられた者がいたかもしれないが、いやいるに決まっている)。一方、「」は非差別階級者。本のテーマとしてはジャンルが違うのではないか。

ただ、読んでみると、「」の方は、差別の問題を書いたのではなく、「流人」と同様に犯罪を冒した結果、「階級」にされた(手下)人のことを書いたわけで、ようするに本書の言いたいことは、江戸時代の長崎周辺で、どういう犯罪が行われて、その結果、島流しや身分を失うものがいたか、という犯罪記録帳ということのわけだ。

さらに、「流人」や「」になるに至った犯罪の記録であるとともに、そういう身分になってもさらに犯罪を続けるものがいて、それらの記録も細かく述べられている。

犯罪は、社会を写す鏡ともいえるわけで、結局は江戸時代の社会を描いた本であると言った方がいいのかもしれない。さらに長崎は、日本指折りの大都会であったわけで、切った張ったとか、好いた好かれたというような江戸の町とは違って、「密輸」とか「巨大詐欺」、「汚職」、「贋金つくり」「島抜け」と派手なのが多い。

それと、江戸の末期の方になると、処罰が軽くなってきたり、親戚一同の連座制もほとんどなくなったりしているようだし、犯罪者の再犯に対する処罰も、二回目はおもくなるということもないようで、現在の方が厳しいのではないかと思うぐらいだ。

ところで、江戸時代の初期には、なんでもかんでも「島送り(天草方面)」にしていたようで、何か恩赦があると、返してもらえることがあったようだが、恩赦の報が届いた時には、すでに亡くなっていたり、帰る気力を失っているものが多かったようだ。

北西の国に連れて行かれた人たちのことを、連想してしまう。


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