鐘を撞いて年をまたぐ

2024-01-01 00:00:00 | 市民A
徒歩だと35分ほどの場所にある天台宗長窪山正覺寺(しょうかくじ)に鐘を撞かせてもらいに行く。数年前からだ。数日前の天気予報では大晦日と元日の間に天気が荒れるとのことで、年越し用のワインを用意していたが、急に天候回復となる。横浜も北陸のように「弁当忘れても傘忘れるな」の地域になったのかもしれない。

さて、正覺寺は「あじさい寺」でもあり、地元の有名寺になっている。実は我が家系はもともと神主だったのをおそらく七代ぐらい前に真言宗に宗旨替えしたようで、いずれにしても天台宗じゃない。もっとも天台宗の最澄と真言宗の空海はどちらも遣唐使組で帰国後も交際を続けている。兄弟のようなものだ。

まあ、真言宗の方は空海の教義が難しすぎて、弟子達がそれぞれ異なることを言い始めたため十以上の派に分かれてしまったので、頭が良すぎるのも困ったものかもしれない。最澄の方は凡庸で、空海から教本を借りて勉強していて、空海から本を返してほしいと督促状を書かれ、その書が残っている。恥ずかしい手紙として有名で、もう一つの恥ずかし系の手紙が太宰治が川端康成に芥川賞を懇願したもの。末代まで恥ずかしい。



鐘を撞くには、多くの人々の列に並ばなければならない。108回の鐘は人間の煩悩の数を表しているそうだが、個人的には、それほどの数の煩悩を抱えているわけではないが、10個位はあるかもしれない。

といっても鐘を撞くのは、一人一回と決められているので、もっとも重大な煩悩を打ち砕くために心しなくてはならないのだが、人間の性として、たとえば煩悩が10個あるとして、打ち砕こうと思うのは多分10番目の軽微な煩悩なのだろうと思う。

無事、鐘を撞くと、お札を頂いて帰路につくわけだ。

さあ、世界中に悪意が渦巻いている2024年の始まり。天空と下界の間を竜が飛び回る一年がはじまる。

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