名刀展(五島美術館)

2010-03-14 00:00:06 | 美術館・博物館・工芸品
世田谷区といえば、リッチマンの居住比率が高いことで有名だが、東急大井町線上野毛駅から五島美術館に向かって歩くと、やはりそんな感じだ。美術館の隣の豪邸には「五島昇」と大きな表札が目立つが、生き返ったのだろうか。

meitoそして、日本刀のこと。今回は40日間の特別展示(~3/28)ということで、刀剣収集家の福井家が昭和39年に寄贈したコレクションの中からのセレクションである。12世紀の作から18世紀の作まで30点である。

ところで、日本刀の常設館としては、初台にある刀剣博物館が有名だ。行ったこともあるが、どちらかというと日本刀を美術品としてではなく、戦闘用兵器として展示しているような雰囲気がある。この雰囲気というのはなかなか伝えにくいものだが、要するに各種の説明文書が、刀の美しさについて書かれているか、その機能について書かれているかといった点である。

その点、今回の展覧会は芸術性優先である。あまり、刀身の形状の歴史的変遷とかには触れられていない。刀という凡そ形状が確定している金属棒の放つ光や、刃先を天空に向け飾られただけで空間を切り裂く微妙なカーブが強調される。実用と芸術のはざまである。

しかし、そこは若干の知識があるからわかるのだが、12世紀、つまり源平合戦の末、頼朝が鎌倉幕府を開いた頃の日本刀は素朴である。やや、肉厚が厚いものの刀身の反りは既に現代と変わらない。この12世紀というのは、日本史の中でも、戦闘が激しく行われた時代である。そう思って注意深く刀身を見ていると、多くの日本刀の刀身には、敵と刃を交えたと思われる傷跡が残されている。当然ながら火花が散ったのだろう。刀の所有者が勝ったから現代まで残ったのか、逆に負けて討ち取られてしまったから刀が残ったのか、それはわからない。

時代が下って15世紀、16世紀。この時代も激しい戦闘が行われた時代だ。まだ南蛮渡来の鉄砲隊は現れない。この時代の特徴は、刀身の背に近いところに溝が彫られている。一人一殺といった時代ではなく、力のあるものがバッサバッサと長尺を振り回し、まとめて何人も斬り殺していた。その時に刀身に溜まる血糊が自動的に流れていくという経験的な工夫である。

多くの刀剣は戦闘に用いられたと考えられる。そして、江戸時代がきて、刀は兵器から美術へと変身していく。

江戸時代の刀身は、源平時代のものと似ている。シンプルな美を追求し始める。刀身には傷など見当たらない。たぶん、名匠の手で完成された一振りを、どこかの刑場で「お試し」といってトライアルを行ったキリなのだろう。

まあ、そういうわけで、30点の出品といってもなかなか肩が凝り、息が詰まるのである。

まあ、ありえない話だが、もし私が1本入手したならば、いつ、どこで、「お試し」を実行するか、色々と悩みそうである。


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2 コメント

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道具を手にした猿たち (不透明人間)
2010-03-14 04:08:04
保健所、と書いたらブログ炎上ですね。
護身用に拳銃をもつアメリカ人は、射撃場で練習するだけでなく、実物を撃ちたいという衝動に駆られないのだろうか。

きのうの詰将棋は実戦で生じそうな局面だったので解図欲がわきました。
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Unknown (おおた葉一郎)
2010-03-15 06:29:04
不透明人間さま
拳銃を使うためには練習が必要ですね。ゴルフクラブを買った時と同じでしょうね。
でも日本刀は、思ったよりも重いので、自分の足を斬るそうですね。
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