三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

海口市紅旗鎮石門村で

2013年11月18日 | 海南島史研究
 10月23日午後4時過ぎに、龍発村の隣の石門村を訪ねました。
 龍発村から国道223号線をすこし海口のほうに進むと右側に建築中の石門村と書かれた大きな門がありました。その門をくぐって2キロほど行くと、石門村に着きました。
 「呉氏宗祠」のそばで草刈りをしていた呉俊昇さん(1934年生)に話を聞かせてもらうことができました。
 呉俊昇さんは、「呉氏宗祠」の中を案内してくれ、
   “日本軍が村に入ってくるという知らせがあったので、村人はすぐに逃げた。
    日本軍は村の家を焼いた。
    日本軍がいなくなったので村人が戻ったら、日本軍はふたたびやってきた。
    呉清州と呉石節が日本軍につかまって殺された。呉石節の妻もつかまって強姦された。呉石節の妻は、雷州から嫁にきた人だった。
    呉棋升と妻と子が殺された。
    隠れていたわたしの妹が宦官にみつかって、日本兵に通報されたが、子どもだったの危害は加えられなかった。
    母は農業をしていた。父は龍発で薬を売っていた”
と話しました。
                                         佐藤正人
    
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする