アジア太平洋戦争開始の前後、1941年11月25日から1942年1月25日までの2か月間、海南島で日本軍は「Y5作戦」をおこないました。
1941年11月10日付けで海南部隊指揮官谷本馬太郎が出した「海南部隊命令」では、「Y5作戦」の目的を「対南方作戦基地タル本島ノ治安ヲ急速ニ確立」することだとしていました。
その前日に出した「1941年海南島緊急米穀対策要綱」(原文は‘元号’使用)で、海南部隊指揮官谷本馬太郎は、「南方国防基地」として重要な海南島で、日本軍はコメを自給しなければならないとし、つぎのような「実施要領」を示しています。
「一、匪賊地帯 部隊ノ米討伐ヲ主体トシ開発会社及治安維持会ヲ指導ノ下ニ米ノ強制集得ヲ為スモノトス。 1、予メ当該地域ニ於ケル産米情報ノ募集ニ努ム。 2、軍需民間ノ‘トラック’ヲ動員シ開発会社、治安維持会ヲ併セ特務隊ヲ組織ス。本特務隊ハ予メ包装用袋ヲ準備スルモノトス。 3、産米情報ヲ得タル後11月中旬以後米ノ出廻場所ニ対シ作戦行動ヲ実施ス。
二、帰順地区 本地区ニ在リテハ部隊ガ中心トナリ開発会社及治安維持会保甲ヲ指導ノ下ニ米ノ強制収買ヲ実施スルモノトス。 ………… 2、人口ニ対シ最小限度ノ米所要量ヲ残シ強制買上ヲ実施ス。3、本地区ニ在リテモ逃避或ハ米ノ隠匿者ニ対シテハ必スシモ買上ノ要ナク押収モ妨ゲズ。4、買上資金ハ特務部ニ於テ法幣(要スレバ軍票)ヲ用意………… 5、前号資金ト併セテ一部宣撫物資ヲ以テ支払ニ充当ス。本宣撫物資ハ三井物産ヨリ各開発会社ニ特別配給ヲナス…………」。
日本軍のコメの自給とは、侵入地域の民衆からコメを奪うことでした。海南島に侵入していた日本軍は、抗日反日闘争の強固な地域(「匪賊地帯」)の民衆からは、まったく無償で強奪しました。あきれることには、海南島侵略日本軍の最高司令官は、強奪したコメを運ぶトラックだけでなく、コメをいれる袋までをあらかじめ準備しておくことまで指示していました。
抗日反日闘争が強固ではない地域(「帰順地区」)では、小額の軍票を渡して「最小限度ノ米所要量ヲ残シ強制買上」をするように海南島侵略日本軍の最高司令官は指示していましたが、村民が避難して一時的に人がいなくなった村(「逃避」)の無人の家からはコメを盗むように指示していました。
海南島民衆からの日本軍のコメ略奪には、三井物産が荷担していました。
「1941年海南島緊急米穀対策要綱」は、防衛研究所図書館にある『Y五作戦戦闘詳報(海南警備府機密第27号ノ6)』に含まれています。海南島民衆からのコメの強奪もまた、「Y五作戦」の一環でした。「Y五作戦」開始後まもなく、海南島三亜港から日本軍を乗せた船団が出港し、12月8日にアジア太平洋戦争が開始されました。
佐藤正人
1941年11月10日付けで海南部隊指揮官谷本馬太郎が出した「海南部隊命令」では、「Y5作戦」の目的を「対南方作戦基地タル本島ノ治安ヲ急速ニ確立」することだとしていました。
その前日に出した「1941年海南島緊急米穀対策要綱」(原文は‘元号’使用)で、海南部隊指揮官谷本馬太郎は、「南方国防基地」として重要な海南島で、日本軍はコメを自給しなければならないとし、つぎのような「実施要領」を示しています。
「一、匪賊地帯 部隊ノ米討伐ヲ主体トシ開発会社及治安維持会ヲ指導ノ下ニ米ノ強制集得ヲ為スモノトス。 1、予メ当該地域ニ於ケル産米情報ノ募集ニ努ム。 2、軍需民間ノ‘トラック’ヲ動員シ開発会社、治安維持会ヲ併セ特務隊ヲ組織ス。本特務隊ハ予メ包装用袋ヲ準備スルモノトス。 3、産米情報ヲ得タル後11月中旬以後米ノ出廻場所ニ対シ作戦行動ヲ実施ス。
二、帰順地区 本地区ニ在リテハ部隊ガ中心トナリ開発会社及治安維持会保甲ヲ指導ノ下ニ米ノ強制収買ヲ実施スルモノトス。 ………… 2、人口ニ対シ最小限度ノ米所要量ヲ残シ強制買上ヲ実施ス。3、本地区ニ在リテモ逃避或ハ米ノ隠匿者ニ対シテハ必スシモ買上ノ要ナク押収モ妨ゲズ。4、買上資金ハ特務部ニ於テ法幣(要スレバ軍票)ヲ用意………… 5、前号資金ト併セテ一部宣撫物資ヲ以テ支払ニ充当ス。本宣撫物資ハ三井物産ヨリ各開発会社ニ特別配給ヲナス…………」。
日本軍のコメの自給とは、侵入地域の民衆からコメを奪うことでした。海南島に侵入していた日本軍は、抗日反日闘争の強固な地域(「匪賊地帯」)の民衆からは、まったく無償で強奪しました。あきれることには、海南島侵略日本軍の最高司令官は、強奪したコメを運ぶトラックだけでなく、コメをいれる袋までをあらかじめ準備しておくことまで指示していました。
抗日反日闘争が強固ではない地域(「帰順地区」)では、小額の軍票を渡して「最小限度ノ米所要量ヲ残シ強制買上」をするように海南島侵略日本軍の最高司令官は指示していましたが、村民が避難して一時的に人がいなくなった村(「逃避」)の無人の家からはコメを盗むように指示していました。
海南島民衆からの日本軍のコメ略奪には、三井物産が荷担していました。
「1941年海南島緊急米穀対策要綱」は、防衛研究所図書館にある『Y五作戦戦闘詳報(海南警備府機密第27号ノ6)』に含まれています。海南島民衆からのコメの強奪もまた、「Y五作戦」の一環でした。「Y五作戦」開始後まもなく、海南島三亜港から日本軍を乗せた船団が出港し、12月8日にアジア太平洋戦争が開始されました。
佐藤正人