三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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金相律さん

2010年11月24日 | 海南島からの朝鮮人帰還
 きょう(11月24日)、慶尚北道亀尾市北部の自宅で金相律さんに話を聞かせてもらいました。
 金相律さん(1925年8月生)は、はじめ、“1944年に、結婚してから数か月後に、日本人学校教師などに説得されて、鎮海の日本海軍警備府の第3期特別志願兵となり、海南島に行った。海南島では、‘討伐’に行ったことがある。海南島に行ったのはずいぶん前のことなので、ほとんど覚えていない。部隊の名前も地名も覚えていない”と話しました。
 わたしたちが、佐世保特別陸戦隊、舞鶴特別陸戦隊、横須賀特別陸戦隊、15警備隊、16警備隊を知らないかと尋ねると、“陸戦隊は聞いたことがある。佐世保、舞鶴、横須賀は知らない。警備隊も知らない”とのことでした。
 しばらく話しあっていると、金相律さんは、“鉱山で労務者を監視しているとき、韓国語で話している労働者がいた。聞いてみると、朝鮮報国隊だと言った。みんなわたしより年上だった。重労働をしていた。宿所はわたしの兵舎からすこし離れていた。その鉱山ではインド人も見たことがある”と話しました。
 ‘イシハラ’を知らないかと聞くと、知っているとのことなので、金相律さんが監視していたのは、石原産業が「経営」していた田独鉱山だと思われます。田独地域を「警備」していたのは、日本海軍海南警備府第16警備隊でした。
                             佐藤正人
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