三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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三竈島 2

2010年06月07日 | 三竈島
 三灶島(三竈島)の飛行場(珠海三灶空港)の近くの轎頂山の中腹に高さ10メートルほどの二段になった岩があり、その上段の岩に、三灶島で死んだ日本兵の名前などが刻まれています。
 その文字は、消えかかっていますが、向かって右の上部に「慰霊」、その下に「□□航空基地□□□□一九三□年二月一九日□□一九三八年一一月八日完成七□其間空襲□依其敢□□□□□□作業負傷□□□□ニ□□遂ニ殉職□□□□十四名山□□□□故記念□□□□諸士□霊□慰□□□□」、その下に姫野定男、小島彌之助、栗原正、川崎景松、嶋本鶴吉ら12人の名前が判読できます。また、これらの文字全体の左側に、「建設者」として、寺井英雄ら30人の名前と「外従業員一同」と刻まれています(原文は、「元号」使用)。

 いま、三灶島(三竈島)は、広東省珠海市に所属しています。珠海市中心部にある珠海博物館の廊下に、各時代の石碑が並べられていますが、そのなかに、長さ1メートル30センチほど、幅30センチあまり、厚さ20センチほどの石があります。
 その細長い石には、4面に、それぞれ、「戦死之跡」、「故海軍少佐□□□門 故海軍三等兵曹上池□雄 故海軍二等水兵木本隆 故海軍二等水兵島田□□ 一九三八年四月十一日戦死」、「一九四一年二月一日」、「建設者 三竈島警備隊指揮官海軍特務中尉中村登 三竈島警隊長海軍技手西村武雄」と刻まれています(原文は、「元号」使用)。
 この石は、三灶島(三竈島)定家湾村の倉庫の土台石として使われていたものを、2004年5月に、珠海博物館に移したものだそうです。
                                            佐藤正人  
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