三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南師範学校 4

2011年07月18日 | 海南島史研究
 わたしたちが7月4日に会ったHさんは、1942年4月に海南師範学校に1期生として入学し、6か月間「教育」を受け、10月から陵水地域の教師となった人でした(このブログの7月14日の「海南島の日本人教師」を見てください)。
 海南島三江の学校教師をしていた山本春生氏は、「自分が、大東亜共栄圏樹立の旗のもと、かつて中国の子どもたちに、武力を盾に日本語を教え、植民地化政策を進めてきた教員の一人であったことに気づいていった」と述べていますが、Hさんは、海南島の子どもたちの教師をしていたときのこと話しているとき、「日本軍の宣撫版の尖兵だった。宣撫班の役割をわたしは十分果たした」と言いました。Hさんは、当時の自分の「役割」を肯定しているようでした。
                                      佐藤正人
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