三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

証言・記録、そして証言者と聞きとる者との関係 4

2010年09月18日 | 海南島史研究
■証言者と聞きとる者との関係
 証言者のことばを聞きとり、証言者が理解できることばで会話できなければ、証言を聞きとり、文字で記録することはできません。
 2003年春の「現地調査」のときには、前半には、『海南日報』の陳超記者と許春眉記者が同行取材し、許春眉記者が海南島文昌の人だったので、聞きとりのさい、海南語を漢語に通訳してもらうことができました。 
 また後半には、海南人で日本語ができる鐘翠雅さんに3日間通訳してもらうことができました。鐘翠雅さんには、2006年春の第10回「現地調査」の後半にも、のべ5日間、通訳してもらいました。
 2006年5月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、「朝鮮村」で「朝鮮報国隊」犠牲者の遺体を「試掘」しました(三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会『会報』44号4~7頁を見てください)。
 このとき、わたしたちの海南島での行動の意味に共感してくれたウランハンさん(モンゴル族)が、通訳してくれました。その後、ウランハンさんは、2006年末から2007年1月までの第12回海南島「現地調査」のときにも、のべ10日間、通訳してくれました。
 2007年1月から林彩虹さんが、持続的に通訳をしてくれるようになりました。
 林彩虹さんは、海南島万寧で生まれ育ち、15歳のとき「研修生」として日本に行き2年間働いたことのある人です。
 林彩虹さんが協力してくれるようになってから、わたしたちの聞きとりの質は深まったと思います。
 証言は、正確に聞きとり記録しなければなりせん。証言者のことばを聞きとる力が、決定的に重要です。
 しかし、紀州鉱山の真実を明らかにする会のメンバーは、漢語力がきわめて不十分であり、黎語も苗語も回語も海南語も臨高語も聞きとれないので、通訳者に依拠しなくてはなりません。
 証言の正確さ客観性を保障する通訳者の力は決定的に重要です。基本的には通訳者の思想性に規定されるのだと、わたしたちは、林彩虹さんの通訳の姿勢をみて感じてきました。
 林彩虹さんを通訳者と聞きとりをおこなうわたしたちが、明確に自覚しておかなければならないことは、証言者とわたしたちの間に、林彩虹さんがいるということの重大な意味です。
 証言の内容は、証言者と聞きとる者との関係によって、その質が決まっていきます。
 証言する者と聞きとろうとするわたしたちの間に、通訳者がいることによって、証言者は、わたしたちに証言するのではなく、通訳者に証言するということになる場合があります。
 1987年生まれの若い同胞が、通訳として証言を求めるとき、証言者は、林彩虹さんを通訳者としてではなく、孫娘に語るように、語ってくれます。
 林彩虹さんと出会ってからは、オーラルヒストリーにかかわるぬきさしならない問題がでてきました。
 この問題は、解決しようのない問題ですが、この問題が問題として厳然としてあるということは銘記しておかなければならないと思います。そして、この問題があることを前提としつつ、わたしたちが証言者との信頼関係を実践的に築いてくことが、証言の歴史性を豊かにし、証言の客観性を保障するのだと思います。
                                           佐藤正人
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