ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




気象庁 平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について
 報道発表日 平成23年3月11日
 地震の概要
  発生日時3月11日14時46分頃
  マグニチュード8.4(暫定値)
  場所および深さ三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近)、深さ約10km(速報値)
  発震機構等西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型(CMT解)
  震度【最大震度7】宮城県栗原市(クリハラシ)で震度7、宮城県の涌谷町(ワクヤチョウ)、登米市(トメシ)、大崎市(オオサキシ)、名取市(ナトリシ)など、宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県28市町村で震度6強を観測したほか、東北地方を中心に、北海道から九州地方にかけて震度6弱~1を観測しました。 【以下引用は略します】

資料全文 平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について[PDF形式: 681KB]
 平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について (PDFファイル)
 
NHK 東日本大震災と福島第一原発事故から きょうで13年 追悼の一日(2024年3月11日 11時30分)【2011年3月11日から13年です】
 東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で13年です。「震災関連死」を含めた死者と行方不明者は、あわせて2万2222人にのぼります。

 被災地では道路や防潮堤といったハード面の整備がおおむね完了した一方で、被災者の心のケアなど国によるソフト面の支援が継続しています。住民の高齢化や人口の流出が進む中、長期的な視点で被災者の暮らしをどう支えていくのかが引き続き大きな課題となっています。

 11日は地震発生時刻の午後2時46分にあわせて各地で追悼式が行われます。
【以下長文です】

記事の最後に説明ページがありました・・・
「震災関連死」含む死者と行方不明者 あわせて2万2222人に
 警察庁によりますと、今月1日の時点で、
  ▽地震や津波の被害などで亡くなった人は1万5900人、
  ▽行方不明者は2520人となっています。
 また多くの人が長期の避難生活を余儀なくされ、復興庁や各都県によりますと、体調が悪化して死亡するいわゆる「震災関連死」に認定された人は、これまでに3802人と、この1年で10人増えました。
 「震災関連死」を含めた東日本大震災による死者と行方不明者は、あわせて2万2222人にのぼります。
 避難生活を余儀なくされている人は減少が続いているものの、復興庁の先月1日時点のまとめで、2万9328人となっています。

被災地アンケート 交流の減少や孤立の深刻化も
 被害の大きかった岩手・宮城・福島の3県では、この13年で道路や防潮堤といったハード面の整備がおおむね完了した一方で、人口減少が進んでいます。
【・・・と始まり、以下の課題を示しています・・・】
 国は震災から10年が過ぎた2021年度からの5年間を「第2期復興・創生期間」と位置づけて被災者の心のケアやコミュニティー作りなどソフト面の支援を継続していますが、長期的な視点で被災者の暮らしをどう支えていくのかが引き続き大きな課題となっています。

福島県 今も避難指示続くところも
 一方、福島県では原発事故による帰還困難区域が7つの市町村にまたがり、今も避難指示が続いています。
【福島第一原発】処理水を海へ放出する作業は順調とのことですが、汚染水を処理する過程でトラブルがあり、東京電力の作業管理に厳しい目とのことです。

土屋復興相 “必要な財政支援に万全期す”
 土屋復興大臣は、東日本大震災から13年となるのにあわせて報道各社のインタビューに応じ、被災地の復興に向けて必要な財政支援に万全を期していく考えを示しました。
【土屋復興大臣からのメッセージがあったようです・・・東京電力福島第一原発の廃炉の件、地域住民の帰還困難区域について、被災地の復興については万全を期していきたい・・・】

能登半島地震の被災地でも震災の教訓を
 元日に起きた能登半島地震の被災地では、東北からも東日本大震災を経験した多くの人たちが支援活動に向かい、13年前の経験や教訓がさまざまな形で生かされました。
 これからはインフラの復旧やなりわいの再生など能登の復興に向けても、東日本大震災の教訓を伝えていくことが求められています。
【以上でNHKのこの記事は終了です。】

【追録です】NHK特集 東日本大震災から13年
 これは読むだけで数ヶ月必要だと思います。
この記事を書きながら、あの時に電話連絡して無事を確認した知人や身内の事を思い出します。そして能登半島地震の今についてが気になります。明日は我が身・・・そんな事を思いながらの記事でした。


コメント ( 0 ) | Trackback ( )




2024年3月10日 19時53分 「撃ち合いではなく話し合いを」 東京大空襲79年 惨禍を知る人たちは絶えない戦火に平和を願った

 東京大空襲 1945年3月10日未明、現在の東京都江東、台東、墨田区などに米軍が実施した無差別爆撃。
 下町の木造住宅の密集地帯にB29爆撃機が大量の焼夷(しょうい)弾を投下し、強風も重なり大火災を引き起こした。死者は約10万人とされ、被災者は約100万人、家屋被害は約27万戸に上った。

 一夜にして10万人もの命が奪われた東京大空襲から79年となった10日、東京都慰霊堂(墨田区横網2)で春季慰霊大法要が営まれた。秋篠宮ご夫妻が参列され、遺族ら約210人が記憶の継承を誓い、亡くなった人々を悼んだ。
 
東京新聞 記事・・・

 東京大空襲の「証言ビデオ」上映は122人分 約30年前に証言した人は今も「戦争の愚かさ」を嘆く(2024年2月23日 06時00分)

 東京大空襲79年 平和願い催し 資料展や落語など 3月8日から浅草で(2024年2月25日 07時11分)

 封印が解かれた東京大空襲の証言ビデオ、東京都が初公開 生死の境をさまよった生々しい経験が語られた(2024年2月29日 06時00分)

 背中に火…母は体をよじらせながらも子を守ろうとした 東京大空襲から79年「地獄絵のような光景(2024年3月6日 12時00分)

 東京大空襲、生き残るため一家は別々に逃げた 6歳の記憶「B29が弾倉を開けて…」「火の粉、隅田川越えた」(2024年3月8日 12時00分)

 小6で東京大空襲「多くの友達を失いつらい」 浅草の国民学校講堂は燃え、家族全員でプールに飛び込んだ(2024年3月9日 06時00分)
 

()

()


<東京大空襲 体験者の証言>

 ①焼夷弾さく裂 鉄の扉1枚 生死を分けた…(2021年9月21日 06時00分)

 ②家族を吹き飛ばした「火事場風」…妹の叫び(2021年9月22日 06時00分)

 ③「助けて」の声に構わず逃げた…後悔の記憶今も(2021年9月23日 06時00分)

 ④疎開先でも空襲 終戦翌日、学徒の遺体捜し「もっと早く終わっていれば…」(2021年9月24日 06時00分)

 ⑤砲弾や不発弾…恐怖と隣り合わせの子ども時代 「もう終わりかも」と貴重な砂糖をぺろり(2021年9月25日 06時00分)

 ⑥都の態度に憤り、YouTubeに祖母の証言を公開(2021年9月26日 06時00分)
 


コメント ( 0 ) | Trackback ( )