2021.08.05
終戦間際の中央線列車銃撃から76年で遺族などが献花(NHK甲府 2021-08月05日 15時21)
1945年8月5日に当時の国鉄の列車がアメリカ軍の戦闘機から銃撃を受けて、山梨県の関係者を含む少なくとも52人以上が死亡しました。 八王子市の現場近くに設置された慰霊碑では5日、遺族などが献花を行いました。
76年前の1945年8月5日の正午過ぎ、当時の国鉄・中央本線の新宿発長野行きの下り列車が東京・八王子市のトンネル近くで複数のアメリカ軍の戦闘機から機銃掃射を受けて、自宅や疎開先などに向かっていた山梨県の関係者を含む少なくとも52人以上が死亡しました。
地元では毎年8月5日に犠牲者を追悼する慰霊の集いを開いていて、5日は銃撃された列車に乗っていた人や遺族、それに地元の人などが現場近くに設けられた慰霊碑を訪れて献花を行いました。(以下引用は略します。)
銃撃を後世に伝える活動を続けている団体によりますと、戦後76年たった今も10人以上の犠牲者の身元がわかっておらず、調査は難航しているということです。
列車の乗客で、一緒に乗っていた姉を亡くした黒柳美恵子さん(90)は「戦争で子を亡くした親など、残された人たちの苦しみは大変なものになるということを若い人たちに伝えたい」と話していました。
また、銃撃を後世に伝える活動を続ける「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」の※齊とう勉会長は「遺族の高齢化や新型コロナウイルスの影響で足が遠のいている人もいる。この空襲を地域の記憶として、多くの人に覚えていてほしい」と話していました。(※トウ、は藤のくさかんむりが十ふたつ )【2021.08.05 NHKサイトで気付いたので再録しました。以下は 2020-08-05 18:15:07 に公開した記事です。この記事は後日2020年8月に戻しますが、
「備忘メモ」のページでリンク設定しておきます。】
2020.08.05
中央線列車銃撃から75年で献花(08月05日 16時43分 NHK甲府放送局)
75年前の(昭和20年・1945年)8月5日、太平洋戦争の終結直前に、東京・八王子市で当時の国鉄の下り列車がアメリカ軍の戦闘機に機銃掃射を受けて、山梨県の関係者を含む60人以上が死亡しました。
八王子市の現場近くに設置された慰霊碑で5日、献花が行われました。
75年前の昭和20年8月5日の昼過ぎ、東京・八王子市で、当時の国鉄・中央本線の新宿発長野行きの下り列車が、アメリカ軍の戦闘機P51ムスタングから機銃掃射を受け、犠牲者の慰霊などを続けている団体によりますと、搬送先で亡くなった人などを含めると60人以上が死亡しました。
自宅や疎開先などに向かう山梨県の関係者が多くいたとみられています。
現場近くには慰霊碑が建立され、毎年、犠牲者を悼む催しが開かれてきましたが、ことしは新型コロナウイルスの影響で中止され、襲撃された列車に乗っていた人や遺族などが個別に訪れて献花を行っていました。
団体によりますと、戦後75年たった今も身元のわからない犠牲者が10人以上いますが、ここ数年、有力な情報は寄せられていないということです。
犠牲者の慰霊を続ける「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」の齊藤勉会長は「亡くなった方の名前を明らかにして、慰霊碑に名前を刻みたいと思っています。山梨県の関係者の犠牲者が多くいるとみられるので、何か情報があれば連絡してほしい」と呼びかけていました。
◇ 総務省・
いのはな慰霊碑、戦災死者供養塔(連絡先電話番号も記載されています)
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いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会を主催する 齊藤 勉さん(インタビュー記事、神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙)
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八王子市教育委員会以上、気になったので確認、追録です。