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萩原健一さんが 2019年3月26日午前10時30分 ご逝去されたことを早朝のテレビニュースで知りました。
私にとって忘れられない、最初にして最後になってしまったショーケンさんとの出会いの記事(初出・ 2011年2月13日)を本日 2019年3月29日の日付に変更して再掲します。
萩原健一さんのご冥福を心からお祈りいたします。

2011年2月13日 14:30~16:00 甲府市の湯村温泉郷、柳屋旅館で開催された萩原健一さんのワークショップ会場。
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舞台にモニターが置かれていたのでスライド映写しながら進行するのかと思ったのですが、ショーケンさん登場前に上映されたのは ショーケンという「孤独」 でした。2009年9月13日に放映されたものですが、フジテレビのページでは、2011年2月20日 14:00~14:55 に再放送されると思える情報があります(オンエア情報)。

萩原健一ワークショップ030

ワークショップは脚本家の市川森一さんとの対談形式で行なわれました。二十代の頃からの長いお付き合いということで、日本映画[監督・俳優]論 で語られたテーマで更に深いお話もありました。

萩原健一ワークショップ 萩原健一ワークショップ

私はデジカメの扱いが下手なので良い写真は撮れませんでしたが、私の印象としての「二人」のショーケンさんです。
「屈折を表現する役者として日本初」と市川さんは言われました。また、台本を徹底的に読み込んで役作りを完了した段階で台詞が変更された時に自分の中でこなれない状況を示す「台詞が若い」という言葉に驚きました。
さらに市川さんが言われたのですが、ショーケンさんは二十代の頃、話しながら聞き手に「わかる?」と言うのが口癖だった、時代に先行した発想を持ち、それを語る時に「わかる?」と出てしまったのだと。その口癖が最近復活しているということ。

萩原健一ワークショップ 萩原健一ワークショップ

私は 日本映画[監督・俳優]論 を読んで、この俳優をもっと早く知りたかったと思いました。それは甲府に来て 竹中英太郎画伯 と 竹中労さん の事を知った時に感じたのと同じです。

映画の世界をこんなにディープに考えたことは一度もなかったので、明日、14日のワークショップではまた新たな気付きに出会うような気がしています。

この記事は2011年2月13日に OCN が提供していた「ブログ人」というブログサイトで掲載したものです。2014年11月30日でこのサービスが終了することになり、記事の自動転送がサポートされていたので、現在の gooブログに移行したのです。
自動転送とは言っても完全なものではありません。掲載画像の転送は出来なかったケースが多数あり、この記事に掲載した画像も6点中2点のみしか転送されませんでした。 今回、訃報に接して記事を確認し、手元保存した原画を使って修復しました。
この時に書いた萩原健一さん関連の記事は後日自分のサイトに移して記録する予定です。


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