【夜明けの読書メモ―「集中と散漫」】

【夜明けの読書メモ―「集中と散漫」】

ひとつのことに意識を集中している他人は、外見が散漫に見える。いま集中しているひとつのこと以外に心配りが行き届かないからだ。

自分から見て集中しているように見える人は、そのように他人に見せるためたくさんの心配りすることで、こちらから見えない内面が散漫になっている。


2021/10/23 DATA : SONY Cyber-shot DSC-L1

箸の上げ下ろしのように些細な家族の様子や癖を毎日見ていてそう思う。自分もまた、家族からはそう見えているのだろう。

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【単位あれこれ】

【単位あれこれ】

夕食後の洗い物を手伝う義母が不思議なエプロンをしており、なかなか面白いデザインなので、「お義母さん不思議なエプロンしてるね」と言ったら、昔作り方が『暮らしの手帳』に紹介されていたので作ったのだという。

非常に合理的で機知に富んだ意匠だけれど、原型は民族衣装や専門的な仕事をする人の作業着にあってそれをアレンジしたものではないかと妻が言う。

そのエプロンの構造を説明するのに「1ヤールの布をバイアスに裁って……」と言うので、亡き母もヤールという単位をよく口にしていたのを懐かしく思い出した。洋裁以外で聞いたことがないヤールという単位を広辞苑で調べてみたら「ヤールドの略」だとあり、なんとヤールドとは YARD (ヤード)のことなのだった。1ヤードは 91 センチであり、1ヤールドが縮まった1ヤールも当然 91 センチであってこれをヤール幅という。

布の幅にはヤール幅のほかにシングル幅というものがあり、71 センチメートル( 28 インチ)幅をシングル幅、1.42 メートル( 56 インチ)または 1.37 メートル( 54 インチ)のものをダブル幅と言うのだそうだ。


神田明神にて。「かご平」とあるのでおそらく籠屋が奉納した石柱。

DATA : RICOH GR Digital + GW-1

長さの単位を尺、体積の単位を升、質量の単位を貫とするのがわが国古来の度量衡法である。

孫で体格のよい者が出たら相撲取りにしたいともくろんでいた祖父は僕に会う度に「わりゃあ背ぇは何尺になった!」と聞き、僕は尺貫法など1合1升1斗という食べ物や飲み物に関わりの深い単位しか知らないので「メートル法でしかわかんないよ!」と突き放すと祖父は困った顔をしていた。1 尺は 30.3 cm なので祖父は孫の身長が早く入門基準の 5 尺 7 寸( 173cm )にならないかと心待ちにしていたのだろう。

神田明神にて。昭和初期まで全国に 250 店ほど「つづら店」があり現在も都内に 2 軒あるという。

DATA : RICOH GR Digital + GW-1

洋裁の世界ではヤード・ポンド法が生きているし、ボクシングなど格闘技の世界でもパウンドという単位を誇らしげに使っている。バター・砂糖・卵・小麦粉など原料を1ポンドずつの割合で混ぜたことからパウンドケーキの名があり、パウンドとは約 16 オンス 453.6 グラムを1とする Pond(ポンド)のことである。単位には深い歴史と事情がある。国技と言うなら相撲でどうして尺貫法を大切にしないのだろう。

そういえば子どもの頃、太った人の事を百貫デブと言った。一貫は 1000 匁(もんめ)3.75 キログラムなので「デブデブ百貫デブ!」とはやした百貫デブは 375 キロデブになってしまい、元大関小錦関が最も重いときでも 284kg で約 76 貫デブなので、百貫デブというのはあり得ないくらいにひどく現実離れしており、いけないことをした少年時代にもわずかな救いがある。


神田明神にて。「舟むし」と刻まれた石柱がずらっと並んでいてびっくりした。フナムシはかなり嫌いだからだ。
「舟むし」の「む」のように見える文字には「゛」がついているので「ば」で船橋だ。

DATA : RICOH GR Digital + GW-1

子どもの頃、台東区浅草に行くと国際劇場脇にある店でトンカツを食べさせて貰うのが楽しみだった。玄関を入ると肉屋の冷蔵室内のように大きな豚肉が吊されており、誰もがかぶりつきたくなる気持ちを抑えて武者震いし、二階に上がると大広間の追い込みに弱肉強食的大衆が大勢座って飲み食いしていた。

その店の名物は「百匁とんかつ」(客は百匁を「ひゃくめ」と読んでいた)という巨大とんかつであり、百匁すなわち 375 グラムのとんかつである。いまはもちろんのこと子ども時代も「百匁とんかつ」くらいペロリと平らげる自信はあったのだけど、お金がなかったのかいつも「五十匁とんかつ」しか食べさせてもらえず悔しい思いをしていた。

大人になったら自分で稼いだ金で思う存分「百匁とんかつ」を食べてやろう思っていたけれど、その店は国際劇場ごとすでにない。尺貫法廃止のせいもあると食い物の恨みに思っている。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 10 月 25日、15 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【中心点】

【中心点】

友人のサイトに、郷里静岡県清水市の「中心点」の指標を撮影した写真が掲載されていた。
 
測量器を立てて、紐付きの三角錐を下げてぴったり位置を合わせる時に使用するような、丸に十の字の小さな釦だ。いったい何処にあるのだろう、清水の中心ってどの場所になるのかなぁと興味が湧き、気楽にメールで問い合わせれば済むのだけれど、それが一番つまらない楽しみ方なので、インターネットで調べてみた。
 
例えば日本という国の中心点。
兵庫県西脇市は東経 135 度、北緯 35 度の交差点にあたるため、「日本のへそ」と愛称をつけ、日本のへそ公園には、西脇市出身画家・横尾忠則氏の作品を展示する美術館があるという。
栃木県安蘇郡田沼町は「 X=rsin(π/2-ψ)・cosλ=rcosψ…」などという計算式で国土の中心を求め(真偽のほどは不明)、自ら日本の中心を名乗り、「日本列島中心の町」の碑を建立し、住民総出の手作りイベント「どまんなかフェスタ」を開催したりしているらしい。田沼町はその名の通り、老中田沼意次ゆかりの土地だ。
石川県珠洲市の禄剛崎にも日本の中心点であることを示す石碑が建てられている。
 
これらの「中心点」の根拠がよくわからないのに対して、なかなか面白いと思ったのは、長野県大鹿村にある分杭峠が日本の中心点であるという説である。
国道 152 号線にある峠で、20 年近く前、富山から清水に帰る時、そのまま一気に南下して浜松近くに出られそうな地図表記にだまされて通過した思い出の場所である。道が細まって農道のようになり、木の札に手書きで「国道」などと書かれている。心細いのでお百姓さんに、
「この道を真っ直ぐ行くと静岡県に出られますよね」
などと聞き、
「さぁなあ、行ったことがないから、わかんない」
と答えられたりしたものだ。秋葉神社に参詣する秋葉街道という古道で、結局車で行けるところまで行って引き返さざるをえなかった。
その分杭峠は中央構造線上にあり、日本列島の中心でぶつかり合う二つの地殻の力が盛り上げた突起で、エネルギーが蓄積された特異点であると電気通信大の名誉教授が書かれているという。

日本の中心はさておき、「清水の中心点」は何処かと、2 番目につまらない楽しみ方、「清水+中心点」で検索してみた。
ヒットした中で一番面白そうなサイトをクリックしたら、友人が管理者をしている「次郎長翁を知る会」のサイトで、「清水は東海道五十三次の中心点である」とある。その通り。
 
続いてクリックすると、清水市街地空襲を記録した頁。
1945 年 7 月 6 日夕方、テニアン島から飛び立った第 133 航空団のB29、136 機が 7 日 0 時過ぎ、油脂焼夷爆弾( M47 )を約 1 万 3000 発、テルミット・マグネシウム焼夷弾( M50 )を約 26 万発投下し、町の 52 %が焼かれ、337 名の犠牲者がでたという。その爆撃中心点は巴川に掛かる鉄橋と言うから、大正橋、僕の好きな金田食堂のあたりだろう。

さらにクリックすると、なんと静岡市・清水市合併協議会の議事録で、東静岡駅付近を中心点とするかどうかの議論をしていたらしい。最もつまらない中心点論だ。一極集中型から多極分散型へ移行することこそが求められている時代なのに恥ずかしい限り。
 
発端となった友人のサイトに戻ったら、清水中心点の画像は更新されて消えていた。
それも中心点らしくていいけど。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 10 月 24日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【黒いゴム】

【黒いゴム】

剥き出しのタブレットをテーブルに置いて使うと滑るし、ほんの少し手前に傾けたい。とはいえバスタブの蓋のようなカバーをつけるのは嫌だ。何かいい工夫はないかと 100 円ショップを覗いたらぴったりのものがあった。65×23×12mm の黒いゴム。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-T110

文具コーナーにあった消しゴムなのでまったくゴム臭くない。ひとつカバンに入れておくといろいろな使い道があって便利だ。「球形や円筒形やリング型の黒いゴムで、消しゴムとしても使えます」という黒いゴムシリーズがあってもいい。使い方は使う人が勝手に工夫する。

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【わざわざ】

【わざわざ】

友人がくれたメールに
「男にとっての収集癖がそうであるように、女の食欲とファッションは性欲の代替行為だ」
と書かれており、
「たしかに果てしない心身症的物欲の悪循環は、世界に対する失われた(…ようにいつも感じる)愛の確認行為のような気もします」
と返事を書いた。
 
物欲に限らず、人の欲に関する個性は、生後 1 年半くらいまでの口唇期、2 ~ 4 年目くらいまでの肛門期に決定するのではないか、大ざっぱに言えば欲というのはみな口唇愛や肛門愛が形を変えたものではないか。
 
タバコをやめたことで昂進した欲のひとつに食欲がある。
 
煙草をやめたら太ったという友人がいるけれど、口さびしさは食へのこだわりに代償を求める。とはいえ暴飲暴食への歯止めをかけようという自制も働くわけで、外出から戻って一日に撮影したデジカメのデータを整理すると、食べ物関係に固執している物欲しげな自分の視線がおかしい。かなわぬ食欲が情報収集欲に転化されているのかもしれなくて、写真は指しゃぶりに似ている。


DATA:CANON PowerShot A70

昨日撮影した写真に JR 代々木駅山手線のホームに貼られた青森県八戸市の大型観光ポスターがあった。八戸の郷土料理『せんべい汁』という南部せんべいを使った鍋が紹介されており、思わず唸る。これはうまいかもしれない。

東北の食文化は非常に高度で、わざわざ飯鮓(いずし)にしたハタハタや、わざわざ古漬けにした白菜で鍋物を作ったり、わざわざ沢庵漬けにした大根で味噌汁を作ったりし、僕はそういう二重に手間のかかった料理が大好きだ。

以前、英国王室御用達のクラッカーの味が南部せんべいの味に酷似していると思ったけれど、英国人がスープにクラッカーを割り入れ浸して食するように、鍋にわざわざ焼いた南部せんべいを入れるのはなんと理にかなっているのだろうと感心してしまった。すごい!できればわざわざ八戸まで食べに行ってみたい。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 10 月 23日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【夜明けの読書メモ―「ユリイカ」】

【夜明けの読書メモ―「ユリイカ」】

ことばの読みを別の種類のことばで書き写すとき、その表記に微妙な違いが生まれる。ギリシャ語の Eureka にはユリイカという音写がなじみ深いのだけれど、ユーレカ、ユレカ、ユーリカ、ユリカ、ユリーカなどと揺れがある。

わからなかったことがわかった瞬間は飛び上がりたいほど嬉しい。アルキメデスは「ユリイカ(見つけたぞ)!」と叫んで裸で街に走り出たという。

西田幾多郎について書かれた本を次々に読んでいる。それぞれの著者にある解釈の揺れを重ね合わせると、次第に不動の芯になるものが見えてきて「あ、そうか!」と叫びたくなる。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-L1

そういう瞬間を「目が覚めたよう」とたとえるけれど、夜中なので目がさえて眠れなくなる。椅子に座って読んでいるときなら、走り出したい気分を抑えて部屋の中をぐるぐる歩き回るだろう。揺れながらユリイカ、走り出したいアルキメデス。矛盾律がまるごと円にとじる。

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【ボンゴとビンゴとザブトンとダウト】

【ボンゴとビンゴとザブトンとダウト】

ふりかえれば人生のちょうど半分をマンション暮らししている。
 
なんで不意にそんなことを考えたのかというと、その四半世紀以上にわたるマンション暮らしの中で初めて同じ建物に住む方の葬儀に遭遇したからだ。というか同じ建物内で不幸があったことに初めて気付いただけかもしれなくて、マンションというのはそのように一軒家暮らしよりはるかに近い距離でありながら、隠すわけでなくても各家庭の事情が知れないようにたくさんの人が暮らしている。日曜日に葬儀の準備が始まり今日出棺があったのを家人が偶然見たという。2 基あるエレベーターのうちのひとつは奥の壁をはずすと長いものも収納できるのでそうしたのだろう。
 
マンションというのはそうやってひっそりと住人の姿が消えていくものかもしれない。

この日記を書いたりしているポケットに入る小さなコンピュータの内蔵リチウムイオン電池の寿命が尽きそうなので岡山県の業者に送って交換してもらった。電気製品は手をかければ何度でも生き返って再生する。
 
代金着払いで送り返してもらうことにしたので料金の 6,594 円を用意しようとしたら財布にちょうど 6,000 円分のお札があり、小銭入れを逆さにして中身をすべて手のひらに出したら 594 円しか入っていなかった。ぴったり 6,594 円しか持ち合わせていなかったわけで、こういう偶然は生まれて初めてだったのでびっくりした。ビンゴ!

ビンゴといえば、義父母がまだ元気に富山で二人暮らししていた頃、電動ビンゴゲームを買って行って遊んだことがあった。一列の数字が並んだらビンゴと叫ぶのだと教えたら、義父が
「ボンゴ!」
と叫ぶので
「おとうさん、ボンゴじゃなくてビンゴだよ」
と教えて大笑いしたのだけれど、その直後に義母も
「ボンゴ!」
と叫んで皆が呆れた。

脳科学者山鳥重(やまどり・あつし)が書かれた本を読んでいたら、筆者が生まれた兵庫県の田舎の言葉ではダ/ヂ/ヅ/デ/ドとザ/ジ/ズ/ゼ/ゾの区別がつかないそうで、

「ゾウキンと耳から聞いただけだと、ドウキンと聞こえる。実際にもドウキンと書く。」(山鳥重.『ヒトはなぜことばを使えるか 脳と心のふしぎ 』講談社)

のだという。秋田の知り合いがスリッパを『シリパ」と発音して「シリパ」と書いたのと同じだ。

「また、子供のころ、ザブトンというトランプゲームが好きだったが、あれがザブトンでなくダウトだと知ったのは、かなり大きくなってからだった。」(同書より)

富山の言葉に「ビ」と「ボ」が混乱するような音韻体系があるかどうかはわからない。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 10 月 22日、13 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【ココナッツボタン】

【ココナッツボタン】

となりの奥さんが参加しているハーモニカバンドの定期演奏会に誘われたので日暮里駅前にあるホテルのホールまで聴きに行った。

ちょっと早めに着いたので繊維街を歩いたら店頭にかわいいヤシの実ボタンが流れ着いていた。流れ着いた理由も書き添えられてとても安い。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-L1

ヤシの実ボタンはココナッツボタンとも言い、おそらくハワイアンなのではないかと思う。妻がうれしそうに十個ほど買っていた。

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【父帰る】

【父帰る】

興奮・錯乱・幻覚・妄想。父親にそんな症状が出たら、
「お父さんが呆けた!」
家族が咄嗟にそう考えてしまっても仕方ない。

パーキンソン病とは、脳内のドーパミンが不足することによって引き起こされる、振戦・固縮・動作緩慢・姿勢保持障害という 4 大症候を伴う病気である。よって、治療薬として L - ドーバ製剤というものが開発されており、現在最も有効な治療方法だという。L - ドーバ製剤を飲むと血液脳関門を通り抜けて脳内に達し、ドーバ脱炭素酵素の働きでドーパミンに変わるのだ。
 
パーキンソン病の本を読んでいたら、L - ドーバ製剤には、興奮・錯乱・幻覚・妄想が副作用として現れることがわかったので、妻がいそいで主治医に連絡を取り、父親の様子を事細かに伝えて薬の調節をしてもらった。

数日たつと、目に見えて変化が現れ、無表情、もしくは猛禽類のような眼差しをしていた義父に、みるみる表情が戻り、優しげな好々爺に変貌しはじめた。ちゃんと話が通じるようになり、笑顔が浮かび、自ら冗談すら言う。悪魔から天使へ、人格が正反対になってしまったようで、僅か数粒の薬の影響力に驚かざるをえない。

会話らしい会話の成り立つのはありがたい。実の父親でないので尚更である。二人きりの夜、義父との間にどれだけの会話が持てるか試してみた。
「お父さんが飲んでいる L - ドーバだけど、他にも L -グルタミンとか “ L - ” の付く薬があるよね。あの “ L - ” ってなぁに?」
薬専出の薬剤師だった義父にこそできる質問である。
義父は嬉々として、指でテーブルに分子構造図らしきものを描いて説明してくれた。

聞き取りにくい言葉の中から「せこうど」「させんせい」などという聞き慣れない言葉をメモし、翌日インターネットで検索してみた。
良かった! あったあった。
施光度は物質の検査方法に関する言葉らしいし、アミノ酸には “ 左旋性 ” と “ 右旋性 ” があり、左旋性を持つアミノ酸がタンパク質を作り出すことが出来るらしい。L - ドーバの “ L - ” は “左旋性” を持った物質であることの証なのだ。

「お父さん、わかったよ、“ L - ” は “左旋性” を表してるんだね。お父さんの言った通りだった!」
と、言うと義父も嬉しそう。
「違うとるかと心配した」
「いやいや、お父さん、まだまだ呆けて無くて安心したよ!」
照れくさそうに白髪のホヤホヤ頭を撫でながら照れ笑いする笑顔は、この人が義父になってから初めて見た、最上の笑顔である。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 10 月 21 日、19 年前の今日の日記より。)

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【秋ふかき隣はなにをする人ぞ】

【秋ふかき隣はなにをする人ぞ】

松尾芭蕉は、元禄 7 年 10 月 12 日、51 歳で亡くなっている。
その直前、9 月 29 日、堺の商人芝白の芝柏亭(しはくてい)で開催された歌仙に参加できないため、病床で詠んだ絶唱が「秋ふかき隣はなにをする人ぞ」である。
 
子のない息子にとって、両親はいつまでたっても「お父さん・お母さん」なのだけれど、他人に「おじいちゃん・おばあちゃん」などと呼ばれる光景を目にすると感慨深い。

だがその前に両親が「おじいちゃん・おばあちゃん」と呼ばれてもおかしくない歳になってきたな、と思える前兆もあった。
家族の会話について来られなくなり、それでも口を挟みたがり、聞き間違いによる誤解が多くなり、人の目・世間体を気にするようになり、やがて他人への被害妄想を抱き、涙もろくなり、怒りっぽくなり、そのくせ寂しがり、自制を失うと身体が幻想に支配されて錯乱する夜も増えてきた。


秋の富山にて(2001)

老人の看護・介護が始まると、子ども夫婦、二人だけの会話の時間を持つことが難しい。深夜、二人きりになりたいのだけれど、老人が、茶の間の扉を開けたままにして眠りたいなどと言う。若夫婦の会話に耳をそばだて、妄想で頭をいっぱいにして起き出し、会話の内容を問いただしたりすることも増えてきた。安らかな寝息を立て始めるまで、夫婦の会話は筆談で行わなければならない。

夫婦共働きしている友人のメールに、同じ職場の別セクションで働く妻への、カーボンコピー送信の心配りがされていたりするのを見ると微笑ましい。一緒に暮らす夫婦間でメールのやりとりをしている夫婦って世の中にどれくらいいるのだろうか。わが家では夫婦間でのメールのやりとりなど、ついぞしたことがない。


秋の富山にて(2001)

心ならずも、筆談によるチャット状態を体験することになったのだけれど、手書きの文字列を書きなぐるのは疲れる。けれど、読むのは楽しく、文字だけを追っていると妻とは別人のように思えたりもする。
「こんなことになるなら、手話を真剣に学んでおけば良かったね」
などと書き、開け放した扉の向こうで老人が息をつめ聞き耳を立てている気配を感じながら、声を殺して笑い合う。
時計はまもなく午前0時を過ぎようとしている。

秋ふかき隣はなにをする人ぞ

我が家にも、深まり行く秋に煩悶しつつ衰え行く魂がひとつ、寝室の闇の中、息を殺してまんじりともせずに横たわっている。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 10 月 20 日、19 年前の今日の日記より。)

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【夜明けの読書メモ―「絶対矛盾的自己同一」】

【夜明けの読書メモ―「絶対矛盾的自己同一」】

スマートフォンを仕事場に忘れて帰った。枕元にスマートフォンがないので明け方目が覚めても電子書籍の読書ができない。そういう時は、読みかけた本の記憶から気になる言葉を思い出し、著者は何を言いたかったんだろうと目を閉じて考えたりする。記憶の読書。

今朝もそういう夜明け近くを迎えたので、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」を思い出した。西田は「生命は、絶対に相反するものの自己同一として成立するものでなければならない。時の同時存在の世界の自己限定として成立するものでなければならない。」と言っている。

頭の中で頭をかしげて考えていたら、プラトンの「肉体は魂の牢獄である」を思い出した。
なるほど心は身体という刑務所に終身刑でぶち込まれた囚人だろう。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-WX300

囚人とはいえ、刑務所があるおかげで食べて寝て生きていけるわけで、刑務所が老朽化して機能を果たさなくならないよう、さまざまなお世話をするエッセンシャルワーカーでもある。エッセンシャルな仕事とはいえ、ときには手抜きしたり、休みをとったりの差配も自分でできるわけで、囚人でありながら同時に刑務所長であるとも言える。

そして刑務所が休んでいる時は、本を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりという自由がある。けれどその自由は刑務所の中庭における自由にすぎない。「絶対矛盾的自己同一」とは「この私は肉体と魂が相互に依存しなければ存在できない牢獄としてあるのでなければならない」というようなことだ。と、思う。

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【カボチャと枝豆】

【カボチャと枝豆】

午前中仕事をして近所で買い物の手伝いをし、日曜日なので義父母と一緒に食事をし、午後から散歩を兼ねてひとりぶらりと追加の買い物に出た。

この季節ハローウィンの飾り物と同じ色合いのカボチャが八百屋の店頭に華やぎを添えている。
昔は今のようにカットして切り口を見せた売り方は少なかったので、丸のままのカボチャを買って帰って切ってみたら「あまり美味しそうじゃない」などということもあったと思う。当時のカボチャの皮は固くて、よく煮えたカボチャの煮物でも皮を残して叱られたものだった。

子どもの頃は北海道産の野菜がまだ珍しくて、食べてみると本州産の野菜と一線を画する味がし、北海道産のカボチャを貰ったりすると「今まで食べていたカボチャは何だったのだろう」と思ったものだった。ジャガイモもトウモロコシも北海道産は何でもおいしかった。
 
今ではどこの産地のカボチャを買っても、皮が固くて水っぽくて甘みが少なくてスジの多いカボチャなどにあたることはなくなって、堂々と鮮やかな切り口を見せてラップフィルムをふんだんに使って売られているので、この季節の八百屋は秋色で華やいでいる。

カボチャには「ニッポンカボチャ」「セイヨウカボチャ」「ペポカボチャ」の三種類があるそうで、花屋の店頭で見かける奇妙な色やカタチのカボチャは「ペポカボチャ」であり別名「カザリカボチャ」とか「オモチャカボチャ」などと呼ばれている。この面白い色やカタチのカボチャが食べても面白い味だったらいいのに、と思うけれど「ペポカボチャ」は食べても美味しくないらしい。
 
新潟の友人からのメールで夕食に「金糸瓜(キンシウリ)」を食べたと書かれていた。じつは生まれて初めて「金糸瓜」を食べたのは新潟の朝市で買って当時富山に住んでいた両親への手みやげにしたのが最初で、もしかすると新潟という地域は「金糸瓜」をよく食べるのかもしれない。「金糸瓜」を切ると中から麺のようなものがたくさん出てきて、その形態から別名「ソウメンカボチャ」とも呼ばれ、これもペポカボチャの仲間なのだという。
 
カボチャが安くふんだんに店頭に並ぶと「ああ秋だな」と思うのだけれど、この時期になると急に郷里静岡県清水の枝豆「駒豆(こまめ)ちゃん」を店頭で見かけるようになる。初夏に店頭を賑わした「駒豆ちゃん」がふらりと舞い戻り季節が逆戻りしたような錯覚を一瞬覚える。他地域の枝豆が固くなったり虫がついたりして店頭から消えるのを待ちかねたように郷里の「駒豆ちゃん」が再び登場するのも、ハウス栽培ならではの特性を活かした戦略なのだろう。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 10 月 19 日、13 年前の今日の日記より。)

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【カメムシの歩行】

【カメムシの歩行】

二足歩行の人間や、四足歩行の動物がどうやって転ばずに歩くかは、手の指を使って説明することができる。人は時差的に、動物は即時的交互にひとつの三角形を作り、その中にうまく重心を移しながら移動する。

ベランダをヨタヨタ歩くカメムシはどうやって歩くかを見ながら走り書きしてみたけれど図に書くのは難しい。


DATA : iPone 5 SE

六足歩行の彼はふたつの三角形を即時的交互に作りながら重心を移動していく。頑張ると左右の手の指6本で昆虫の歩行は再現できるけれどかなりたいへんだ、いまショパン国際ピアノ・コンクール に出場中の人たちなら簡単にできるかもしれない。

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【さんすうのゆめ】

【さんすうのゆめ】

人生で出会った理系のともだち、エンジニアや工業デザイナーや医者までが一堂に会するへんな夢を見た。どうしてそんな人たちを夢に招聘したかというと「さんすう」の質問をしたかったからだ。

「しかく(長方形)のむきあったかどとかどをつなぐせん(対角線)でわけられるふたつのかたち(三角形)は、どうしておなじかたちとおおきさなんですか」

という質問に算数の用語を使わずかんたんな言葉で答えられますか、という質問を友人たちにしていた、


庵原川 DATA : LUMIX GX7 G 25mm F1.7

「ふたつのかたち(三角形)のみっつのへんのながさがおなじだから」と友人が言うので「みっつのへんのつなぎかたをかえると、うらおもてのようにふたつのちがうかたち(三角形)ができて、それはおなじとはいえないでしょう。おなじみっつのへんでできたかたち(三角形)をどうくみあわせても、しかく(長方形)にならないこともあります」などとくいさがっていた。

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【割り勘以前】

【割り勘以前】

新宿駅西口、『思い出横町』。
かつてはみんな『しょんべん横町』通称『しょんよこ』と呼んでおり、30 年近く通い慣れると『思い出横町』などという、気取った名前を口にするのが恥ずかしい。

急ぎの仕事で代々木に向かい、約束の時間には早すぎたので、遠回りして懐かしい露地を歩いてみる。

この場所で仲間たちと、よく割り勘をした。
飲み終えて店を出て、勘定を均等割りにして精算するような割り勘ではなく、飲む前に皆の手持ち金をすべて出して幹事に預け、有り金分だけ全員仲間で飲むのである。

ポケットの数だけそれぞれの事情があり、千円札が出れば歓声が上がり、小銭ばかりを恥ずかしそうに出す者もあった。
飲み物はチューハイだけ、つまみは白菜キムチのみで、持ち金を計算してぴったりになるまで飲んでも安心で、良心的な飲み屋があったのだ。

懐かしいなぁ、あんな仲間と、あんな飲み方をしてみたいなぁと思うけれど、飲み屋から出て「割り勘にしましょう」と言い、みんな1万円札を出してお釣りに困る中年仲間では、そんな楽しみ方には残念ながらもう縁がない。金と若さを引き替えにしたみたいで寂しい気持ちさえする。

貧しいことが輝くように楽しかった時代の残滓が、今もここにはある。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 10 月 18 日、19 年前の今日の日記より。)

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