電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【興津詣で】
【興津詣で】
2021 年 10 月 16 日、編集委員をしている郷土誌の取材で興津まで出かけた。緊急事態宣言解除後の週末で電車が混んでいる。必ず座れる小田急線に乗って小田原経由で行こうとしたら人身事故でダイヤが乱れているという。
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興津駅前で待ち合わせがあるので東海道本線に変更し、本を読みながらのんびり行こうと思ったけれど、新橋乗り換えでは混んでいて座れない。結局腰を下ろせたのは戸塚駅通過後だった。小田原駅で遅れている列車の通過待ちがあって発車が 4 分ほど遅れるという。
興津駅 15 時 37 分待ち合わせに間に合うためには熱海駅 14 時 37 分発の浜松行きに乗らなくてはならず、14 時 26 分着ということは 4 分の遅れがあっても 7 分の猶予があるわけで、安心して読書に戻る。
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残る問題は車窓を濡らす雨で、取材終了後は清見寺ライトアップを撮影するつもりでいるので困ったなあと思っていたら、鉄橋を渡って富士川駅に着く頃には雲が割れて青空がのぞいた。そういうことが多くて、あのあたりは気象の変わり目にあたっているようだ。
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【縄巻鮓(なわまきずし)】
【縄巻鮓(なわまきずし)】
10 歳年上の友人が郷里熊野の隠れた郷土料「縄巻鮓」(なわまきずし)を紹介してくれた。インターネット通販で取り寄せ可能とのことなにで早速教えてもらった URL にアクセスしてみた。
ごはんではなく自然薯をふかしてつぶした上に、鰆や鯖などをのせ、竹の皮で包んだものをいぐさの縄でキリキリと巻いて発酵させるという世にも珍しいお鮓です。なれずしの一種ですが、有名な鮒ずしのようなクセはありません。
元は和歌山の田辺附近のもので、昔は紀州の殿様しか食べることができず、“一子相伝”で伝えられていたとか。
現在は一時途絶えていたのを、私の祖父(田辺出身)が復活させ、今は祖母と母が細々と作っております。
あの博物学者・南方熊楠も絶賛したという、“まぼろしの鮓”。
量産はできませんが、ぜひまぐまぐの読者さまにご賞味いただきたいと存じます。
(サイト上の【商品説明】より)
カーボンコピーメールで食いしん坊仲間に届いた便りなので、本物を食する前に想像力を逞しくし、メールでの鮨談義を楽しむべきだったのだけれど、看護・介護に明け暮れる毎日の忙しさの中で、無粋を覚悟で即決注文してしまった。
10 月 2 日に注文して、一週間ほどで届く。
10 月 8 日に製造し、製造後 3 ~ 10 日が食べ頃だという。
8 日間ほど寝かして、親子 3 人の食卓にのせてみた。
感心するのは、いぐさの縄と笹の葉の香りが良いこと。
まず、その香りで食欲がそそられる。
縄を解き、くるまれている笹の葉を取り去って鑑賞し、良く切れる包丁で、年寄りも食べられる厚さに切り分ける。
ここで「しまった!」と思ったのは、笹の葉ごと切るようにという指示が、どこかにあったのを忘れていたこと。そうしないと、せっかく一体化していた鯖と自然薯が型くずれしてしまうのだ。
大皿に盛って、早速いただく。
絶句…。
美味しい!
やはり、ぎりぎりまで寝かせるのが正解のような気がする。
鯖のうま味と塩分が自然薯に染み込み、山羊乳のチーズのような舌触り。
とはいえ、発酵臭などもなく淡泊な味わいで、鯖のバッテラが食べられれば、何の抵抗もないと思う。
かつて、和歌山県新宮市に友人を訪ねた際、どの家庭でも朝は茶がゆが出るのに驚いた。
「紀州の茶がゆ」と言って、米作に適した土地が少ないこの地方では、ご飯を非常に尊んだと聞く。
ご飯の代用に自然薯を思いついたのかなと単純に思っていたけれど、魚と芋の相性が絶妙に良いことを知ったのも、今回の取り寄せによる収穫のひとつだった。
食いしん坊で好奇心旺盛な友人たちに感謝。
(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 10 月 17 日、19 年前の今日の日記より。)
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【カメムシ観察の意外な展開】
【カメムシ観察の意外な展開】
日が暮れたので観察をやめ、今朝窓を開けて見てみたら、排水ホースの裏側にしがみついたままだった。あんな場所で越冬するつもりだろうかと不思議な気持ちでときどきのぞいている。どうしてよりによって仲間の死骸がある場所を選んだのだろう。
と書いて閉じた 10 月 14 日のカメムシ観察メモ。
翌日になっても排水ホース裏にしがみついたカメムシはそのままだったので、早くも冬眠準備に入ったか、この秋で寿命が尽きたのかもしれないなと思った。それが、今朝もう一度見たら排水ホース裏のカメムシはいなくなっていた。
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ここまでなら驚くにはあたらないけれど、なんとそばで仰向けになって転がっていたカメムシの死骸まで消えていた。昆虫はそういう不思議な生き物で、仰向けになって長いことひっくり返って動かなければ死んだと思うのだけれど、突然むっくり起き上がって歩き去ったりする。再び生き返ったようで、そういう生死の境が不分明であるところが気味悪くて虫は好きになれない。
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【すいとずい】
【すいとずい】
朝日の土曜版『街の B 級言葉図鑑』に隧道を「ずいどう」と読む話が載っていた。
隧道を「すいどう」ではなく「ずいどう」読む自分は遂行を「すいこう」と読み、随行を「ずいこう」と読む。この「隧」も「遂」も「随」も字の形が似ていて、どれにも「すい」と「ずい」の読みがある。正式な漢字音(正音)とされて学者などに使われた漢音による読みが「すい」、漢音渡来前のなまった読みとされた呉音による読みが「ずい」で、自分が慣用する読みには漢音と呉音が混じっている。
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なぜそうなるかというと「すいこう」といったら遂行と随行が紛らわしく、「すいどう」と言ったら隧道と水道が紛らわしいからだ。では水の読みはというと漢音も呉音も「すい」であり、「ずい」と読むのは連濁だからだ。というわけで自分の場合は隧道(ずいどう)、水道(すいどう)、随行(ずいこう)、遂行(すいこう)と呉漢によって表記と読みが住み分けられている。
文学作品では隧道と書いて「すいどう」とルビがふれるけれど、話される言葉ではすいどうと言って(隧道)とただし書きができないからで、実用ゆえの B 級になっているのだ。
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【朝帰り】
【朝帰り】
自営業でしかも職住がきわめて近接しているので、朝夕のラッシュに揉まれての出勤と無縁になって久しい。
郷里静岡県清水から珈琲焙煎店店主の友人夫婦が朝一番の清水ライナーで到着するというので東京駅まで出迎えることになり、久しぶりに朝の通勤風景を眺めると妙に物めずらしい。
改札を抜ける通勤通学客にまじって赤い顔をして降りてくる男がいて、明らかに酒を飲んでの朝帰りとわかる。通勤通学ラッシュも久しぶりなら酒のにおいをさせての朝帰り姿を見るのも懐かしく、自分自身もう久しくそんなことをしたことがない。
▲友人夫婦の到着を待つ東京駅日本橋口スターバックスコーヒーより。
父親はよく朝帰りをして母親と喧嘩をしていた。
手を引かれて保育園に向かう道すがら、朝の町を皺だらけのコート姿で朝帰りしてくる父親の姿が朝日の中に見え、母親は
「よりによってこんな道を朝帰りされたらご近所に体裁が悪い」
と言って怒っていた。
父親も突然手に持っていた新聞をくしゃくしゃっと丸めて怒り、母に向かって何かどなるように言い返していたのだけれど、父親が何と言ったのかの記憶はない。
朝帰りは胸を張れるものでもなければ褒められたことでもないのに、父はなんであんなに真っ向むかって母親に怒っていたのだろう。
▲友人は「東京はなんて背広を着ている人が多いんだろう」と驚いていた。
実を言えば「江戸はなんて武士の多い町なんだろう」という歴史があるので、
江戸幕府開闢以来本質は変わっていないのかもしれない。
そのわけを母親に聞いてみたいと思っているうちに聞き忘れてしまったので心の片隅の小さな謎のままなのだけれど、先日仕事帰りの寄り道で懐かしいその道を通ってみたら、何となく答えはこれしかないかなと思える光景がそこにあった。
「よりによってこんな道を朝帰りされたらご近所に体裁が悪いからやめてよ!」
「なに言ってんだ、家に帰るのにこの道以外どの道があるんだ!」
おろおろする園児の脇で喧嘩をしていた両親は当時まだ二十代と若く、思い出すその光景に吹き出しをつけるとすればそんな他愛ないせりふなのかもしれない。
東名高速集中工事の影響で到着が遅れるかもしれないという電話があったので、東京駅日本橋口のスターバックスでコーヒーを飲みながらこんな日記を書いていたら友人夫婦はほぼ定時に到着した。
郷里静岡県清水を早朝 5 時 56 分の高速バスで発って午前 8 時前に到着したふたりは、夫婦で朝帰りしたようでもあり、実際よりはるかに仲むつまじく見えた。
(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 10 月 16 日、13 年前の今日の日記より。)
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【カラスの宝石】
【カラスの宝石】
毎日、夕暮れ近くになると六義園内にねぐら入りするカラスたちが集合してにぎわうマンション屋上がある。
雨が降る日にめずらしく屋上掃除をする人の姿があり、溜まった糞に驚いて洗い流しているらしい。掃除を終え、カラス除けになると思ったのか虹色に光る CD 盤を屋上手すりに紐でぶら下げているのが見えた。
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昨日は晴れて青空が広がり、CD 盤が風に揺れてピカピカ光っている。さてカラスたちはどんな反応を示すだろうと夕方の集合時刻に双眼鏡でのぞいたら、紐ごと引きちぎった CD 盤をくわえてぶら下げ、ちょんちょんはねて逃げるカラスを仲間が追いかけて奪い合いをしていた。大好評である。
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【カメムシ観察】
【カメムシ観察】
コロナウィルス騒動とは関係ないと思うけれど、去年に引き続き六義園界隈では今年もカメムシが多く発生しているようだ。飛来するのがみなクサギカメムシなので、彼らが好む樹木が六義園内にあるのかもしれない。
困るのは越冬場所を求めて室内に入り込もうとすることで、網戸などに数ミリの隙間があればやすやすと入り込んでしまう。油断がならないので網戸にとまって進入チャンスをうかがう姿を見つけると指で弾き飛ばしている。
何度弾き飛ばしても窓に向かって歩いてくるので、狙い定めた方向に関して鋭い感覚があるのだろう。そのくせベランダをよたよた歩く様子を見ていると、障害物に突き当たり遮られてはすごすご引き返しているので人間のものの見え方とはかなり違っているらしい。
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ベランダの端からすごすごと引き返してくる様子を眺めていたら、その先に同じクサギカメムシの死骸が転がっているので、どうするだろうと見ていたら死骸に突き当たったところでぎょっとしたように静止して動かなくなった。
しばらくフリーズして動かなかったが後ずさりして離れるので、不吉なものから遠ざかるのかと思ったら、そばにあるエアコン排水ホースの端にしがみつき、裏側に回って動かなくなった。
日が暮れたので観察をやめ、今朝窓を開けて見てみたら、排水ホースの裏側にしがみついたままだった。あんな場所で越冬するつもりだろうかと不思議な気持ちでときどきのぞいている。どうしてよりによって仲間の死骸がある場所、しかもあんな危なっかしいところを選んだのだろう…などといつの間にか人間の感じ方とカメムシの行動を同じステージの上において観察している、
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【年末に向かって走れ】
【年末に向かって走れ】
郵便局に珈琲豆代の払い込みに行き、ついでに 63 円と 84 円の切手を 4 シート買ったら女性局員がニヤ〜ッと笑いながら何かをくれるので、受け取ったらお年玉付き年賀はがきの購入申込書だった。
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ニヤ〜ッと笑いながら受け取って読んだら、郵便局の年賀状印刷によるダイレクトメールはお年玉付きだから捨てられにくいのが売りだそうで、9 月 1 日から始まった早期申し込みをすれば 15 %割引になると書いてある。みんなニヤ〜ッと笑いながら年末に向かって走っている。
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【偶然】
【偶然】
尾崎亜美最初期のシングル盤に『偶然』という曲があり、それが好きで学生時代によく聴いた。
学生時代に買ったシングル盤レコードが段ボール箱いっぱいあるので、時間の空いたときに少しずつパソコンに取り込んでデジタル化して聴いている。
尾崎亜美の『偶然』というシングル盤もあるはずなのに見つからないのでネット検索したら『旅』というシングル盤の B 面なのであり、『旅』という曲を全く覚えていないので、おそらく偶然 B 面にあった『偶然』の方が気に入ってそちらばかり聴いていたのだろう。
生きているということはすべてが偶然の連続とも言えるのだけれど、取り立ててこの一瞬こそが偶然と思える瞬間に出会うことはなかなかない、だから人はちいさな偶然との出会いに一喜一憂するのだろう。
10月13日の偶然。
10 月 13 日、本郷通りの坂道を登っていたら、ハローウィンの飾り付けをした花屋の店頭に、飾られたカボチャと同じ色の服を着た人がいるのでカメラのシャッターを押した。
そして今日 10 月 15 日、同じ坂道を登って花屋の前を通ったら赤紫の花を買おうとしている人がおり、やはり飾られた赤紫の花と同じ赤紫の服を着た人なのでよく見たら一昨日のカボチャ色の服の人なのだった。
10月15日の偶然。
久しぶりに遭遇した小さな偶然に「 ♪ 偶然……」でいきなり始まる尾崎亜美の『偶然』が聴きたくなった。
(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 10 月 15 日、13 年前の今日の日記より。)
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【落ち葉のコンチェルト】
【落ち葉のコンチェルト】
落ち葉散る季節になるとアルバート・ハモンドのヒット曲『落ち葉のコンチェルト』を思い出して口ずさんでしまう。1973 年だから高校時代のヒット曲で、曲調と発売時期とタイトルがうまくあって日本だけのシングルヒットになった。『落ち葉のコンチェルト』というタイトルは原題とまったく関係ない。好きでよく口ずさんだので今でも歌えるけれどレコードは買っていない。
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アルバート・ハモンドはアメリカに移住する前、1969年にイギリスのボーカルグループ The Family Dogg のメンバーとして『A Way of Life』というヒット曲を出している、日本版シングルのタイトルは『幸せは果てしなく』で、なんで知っているかというと中3のとき清水駅前銀座のレコード店『あかほり』で買ったのだ。それは今でも持っているけれど、のちに『落ち葉のコンチェルト』や『カリフォルニアの青い空』のヒットで知られるアルバート・ハモンドがメンバーだったことは、ついさっき知った。
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【ノベンバー・ステップス】
【ノベンバー・ステップス】
午前中経理事務所の担当者が来て打ち合わせ。11月は決算の月になる。
今日のように正午間近まで忙しくて昼ご飯を作る時間がないと近所でお弁当を買ってきて食べるのだけれど、一番ちいさなお弁当でも義母はおかずはぜんぶ食べ、ご飯が多かったと言って残す。お弁当や丼もののようにおかずがご飯の上に乗っている状態で、おかずだけ食べてご飯を残すことを、母は「追いはぎをする」と言っていた。
追いはぎされ身ぐるみ剥がれて残されたご飯というのはどことなく秋らしい。
駒込駅前の和菓子店にて
本郷通り沿いにある総菜店店頭に赤い幟(のぼり)が立ち、平仮名で大きく「おせち」と書かれていた。ハロウィンの飾り付けが目立つ町で、もうおせち料理の予約受付が始まっているのであり、ということはまだ眼にしていないけれどクリスマスケーキ予約受付もどこかで始まっているのかもしれない。
中学校の音楽室に「ステレオ」という名の音楽再生装置があり、まだオーディオブームが到来する前だったので、家庭向け家具調ステレオ本体を準備室に置き、床置き用スピーカーを無理矢理壁につるした無骨な装置だったけれど、家庭では考えられないような大音量で音楽が聴けたので今日はレコード観賞だと言われると嬉しかった。
駒込駅前の和菓子店にて
初めての授業の日にシューベルトの『魔王』を熱唱して生徒の度肝を抜く熱血音楽教師がいた。
来日したストラビンスキーに絶賛されることによって不遇の時代を脱し時代の寵児となった日本人作曲家がおり、彼がニューヨークフィルハーモニー管弦楽団の委嘱によって作曲した曲をこれからかけると興奮して話し、聴かせてくれたのが武満徹の『ノベンバー・ステップス』だった。
『ノベンバー・ステップス』は 1967 年の作品でそれは僕が中学校に入学した年だから、でき立ての作品をニューヨークフィルの演奏で聴いたのかもしれない。
まだオクトバーなのにノベンバーのことを思い出したのは決算と年末商戦の幟と NHK 学校音楽コンクールのせいであり、オクトバーに溢れ出す様々な情報が織りなすやるせない追想とせわしなさが、毎年この時期に聴く個人的な『ノベンバー・ステップス』になっている。
(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 10 月 14 日、13 年前の今日の日記より。)
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【ミンチャーとミキサー】
【ミンチャーとミキサー】
肉の塊をミンチ状にするミンチャーとコンクリートミキサー車はどこか似ているような気がしていたけれど、具体的にこういう光景を見るとドキッとする。
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びっくりしてしばらく見ていたら、フィルムを逆回しにするようにして、元気な人間がスルリと出てきたので安心した。
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【夜明けの読書メモ―「時間と時刻」】
【夜明けの読書メモ―「時間と時刻」】
時間と時刻ということばの使い方、その人それぞれの違いが面白い。
「待ち合わせの時間は興津駅前 15 時 20 分でいいですか」と「待ち合わせの時刻は興津駅前 15 時 20 分でいいですか」をくらべると違和感があるので僕はかならず「時刻」を使ってしまう。
「会議の時間を決めましょう」と「会議開始と終了の時刻を決めましょう」は等しいので違和感はない。
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「時間は流れるけれど時刻は停まっている」と言うのは違和感があって、時間と時刻は相互的なポンプのようだ。それは自分をしっぽから飲み込もうとするヘビに似ている。
自分のしっぽを飲み込もうとしてくるくる回るヘビの文字盤、「多」的な「時間」と「一」的な「時刻」の上で、「多」的な「私」と「一」的な「私」の無限追いかけっこ構造という世界の感じ方がしっくりくる。
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【柿と焼酎】
【柿と焼酎】
温暖な静岡県で生まれ育ったせいか果物の貰い物には不自由しなくて、買ってまでして食べたいと思わないものが多かった。
ミカンもナシもビワもモモもイチジクもイチゴもよくもらって食べた。郷里を離れても送ってくれる親戚や友人がいたけれど、しだいにありがたい貰い物も届かなくなり、買わなければ食べられない果物が増えていく。
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この時期になると柿が買いたくなる。買ってきて棚に並べておき、夕飯ができるのを待つあいだに熟したのを選んで剥き、皿に盛り付けておくと食卓の彩りが美しい。柿をつまみに焼酎お湯割りを飲むのが好きだ。
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【秋天のざくろ】
【秋天のざくろ】
祭日なのだけれど事務所でパソコンに向かっていると、なんやかやと仕事のメールや電話がある。
新刊書の題字を毛筆で書いてくださった方から電話があり、立派な字を書かれるのでてっきり年上かと思ったら11歳も年下の准教授で筑波大だという。その前身ともいえる東京教育大学在学時代、ベニヤ板一枚で仕切られた隣の部屋が書専攻の実習室で、教室内で飲んで騒いでずいぶんめいわくをかけた。当時、書は教育学部の中にあるひとつの専攻だったけれど筑波大に移ってからは人間学群内にある教育学類をはなれて芸術専門学群に含まれているらしく、芸術学群内のメールアドレスを教えてもらった。
昼食は義母の好きなつけ麺にしたけれど、増量セール中とのことで麺が多くてすこし持て余した。それでも完食してしまうので義母はよほど麺類が好きなのだろう。
午後から散歩をかねて買い物に出たら秋晴れとはいえ汗ばむほどの陽気だった。とはいえ日陰はやはり涼しくて、赤やオレンジ色を美しいと思う季節になった。
静岡県清水で母親が営んでいた飲み屋では、この季節になるとよく客がザクロをもって飲みに来た。もらったザクロを割って赤い宝石のような実を器の中にかきだし、客と一緒にスプーンですくって食べては酒のつまみにしていた。
「ううう、酸っぱい」
と客は言いながら種をぺっと吐き出し、母は
「おいしいもんじゃないねえ」
と言って種を吐き出しては口直しをするように酒を飲んでいた。
そして
「買ってまでして食べるもんじゃないねえ」
とも言っていた。
おいしいもんじゃない、買ってまでして食べるもんじゃないならよせばいいのに、眉をしかめて種をぺっと吐いて、また同じことを言いながら酒を飲む姿を、秋になるたびに一度は見るのがおかしくて、それは一種の風物詩のようになっていた。
豊島区駒込。立派に実ったザクロを見上げて、酒のつまみにザクロがあった郷里の秋を思い出した。
絞ったザクロの果汁で作ったグレナディンという飲物を使ったカクテルがあるくらいだから、じつはザクロの実を口に含んで種をぺっと出しては酒を飲むというのはおつな味だったのではないか、きわめて秋らしい渋い酒の飲み方だったのではないかと自分が酒飲みになってみて思うけれど、いちどもザクロをつまみに酒を飲んだことはない。
この季節になると果実店で売っていることがあるのだけれど、おいしいもんじゃない、買ってまでして食べるもんじゃないと言っていた母の苦笑いを一緒に思い出すので買う気がせず、民家の庭にたわわに実ったザクロを物欲しげに見上げてみるのだけれど、残念ながら
「ひとつさしあげましょうか」
と声をかけられたことはない。
(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 10 月 13 日、13 年前の今日の日記より。)
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