◉2019年8月15日(木)の日誌

2019年8月15日
◉2019年8月15日(木)の日誌



ボザール・トリオのオリジナルメンバーが演奏した盤を聴いてみたいと思い、「ベートーヴェン: ピアノ三重奏曲第7番「大公」、第4番「街の歌」、第5番「幽霊」」と「ラフマニノフ:悲しみの三重奏曲」を文京区立図書館で検索し、千石図書館受け取りで予約したら午後には到着のメールがあった。パソコンを介した図書館利用を始めてみたら素晴らしく便利になっている。豊島区と北区の図書館カードもつくっておこう。

千石 2019

受け取った CD のラベルを見ると水道端と真砂町の図書館からやってきていた。夕食時にベートーベンを聴いたら素晴らしい。東京オリンピックがあった 1964 年の録音だった。メナヘム・プレスラーは高齢になった今はもちろんだけれど、若いころから角の丸まった柔らかいピアノを弾く人だったんだなぁと思う。そのくせ甘くない。ピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重奏は面白いと認識を新たにした。


千石図書館入口に 2010 年東京オリンピックの会場建設工事現場、現在の進捗状況を写真で紹介した館員手作りの展示パネルがあった。大河ドラマ『いだてん』の紹介と絡ませており、「来年にはこういう気象状況のもとでオリンピックが開かれるじゃんねえ」と阿部サダヲ風に思う。台風接近で気象状況が不安定で、ヴィヴァルディの『四季』を頭の中で再生しながら、借りた CD を濡らさないよう早歩きで戻った。

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六義園 2019

夏休みになると親たちに
「朝の涼しいうちに宿題を済ませてしまいなさい」
とよく言われた。未明に目が覚めたので読書会用の資料作りをした。台風が来ている。(6:00)

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本駒込 2019

妻の『カード式手回しオルゴール《オルガニート・20》小品集 −秋−』の発送作業が始まった。中学製時代、発売日朝に行列して買った記念切手シートを、清水の実家片付けで持ち帰ったので提供し、バラしてどんどん使ってもらっている。

 

本駒込 2019

台風上陸で夏の甲子園高校野球も日延べ順延。東京は静かな終戦の日になっている。

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◉Beaux-Arts(ボザール)

2019年8月14日
◉Beaux-Arts(ボザール)

 
 

「我が思ふほどは人はこまかに見ず」五代目 市川 團十郎(1741 - 1806)

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本駒込 2019

目が覚めた直後の頭は比較的しゃっきりしている方なので、そのまま起き出して今月 19 日の読書会用にレジュメをつくる。 範囲は『ショーペンハウアー 意志と表象としての世界Ⅱ』第 49 節から第 52 節まで。(2:25)

第 49 節から第 50 節までナメクジが行間を這うようにして読み終えたら、そこまでで「いしはらくんのせんもんぶんやだから、じかいもつづけてやっちゃってよ」と言われた造形芸術に関する部分は終わりなのでほっとした。明日は資料の図版を探しつつまとめをする。なんとかなりそうなので、安心してもう一度寝ることにした。

第 51 節から第 52 節までは「詩」についてであり、言葉の分野ならもう、出版社社長や、哲学者志望の内科医や、辣腕ライターや、聖書読みの女性クリスチャンがメンバーなので、教えを乞うように気軽な心境で、嫌いじゃない「詩」を愉しむ進行にすればいい、その資料を木金土日でのんびりやればオッケー、と気楽になった。ひとまかせは気楽の母である。ひとにまかせられる人間の人生はたいがい気楽である。

ラフマニノフ:悲しみの三重奏曲集
図書館に借り出し予約した 

「余談だけど…」とレジュメに書いたのだけど、メナヘム・プレスラーというひどくピアノのうまいお爺ちゃんがいて、彼が在籍したピアノ三重奏団『ボザール・トリオ』(1955−2005)は「Beaux Arts Trio」という。Académie des Beaux-Arts de l'Institut de France(フランス芸術アカデミー)の Beaux-Arts(ボザール)とは純粋芸術のことなので、ボザール・トリオは「イデアで演ずる純粋芸術三重奏団」という意味だったわけだ。にゃるほどニャンコ谷山浩子風。(4:40)

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◉ペトリ

2019年8月13日
◉ペトリ

 
 

昨夜はリコーダー奏者ミカラ・ペトリによるヴィヴァルディ『四季』を聴いた。これは面白い。すごくいい。偶然見つけた盤だけれど感動した。誰にというわけではないけれどおすすめしたい。

聴きながらまた余計なことを考えた。物心ついてからずっと電気器具を通じてスピーカーというものが発する音を聴いてきた。そして一貫して不思議で仕方ないのだけれど、電気的な信号を小さなスピーカーの振動に置き換えて再生するとき、人間はどうしてこの小さなスピーカーの振動の中からさまざまな楽器の音を分離して取り出すことができるのだろう。いま聴いている音楽で言えばスピーカーの重低音がつくる激しい振動の中からどうして高音域を奏でる流麗なリコーダーを一本の笛として取り出してして聴けるのだろう。〈同時に〉 鳴っている重低音の背景から、いくつもの楽器を聞き分けることもできてしまう。これはスピーカーだけでなくマイクロホンにも、電気信号にも、そして人の鼓膜自体にも敷延(ふえん)できる、小さな振動板の大きな不思議だ。(3:02)

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久しぶりに iPhone に新しいアプリを追加した。App Store のおすすめを見ていて見つけた。名前は Cheatsheet で直訳すればカンペだけど、画面のスクリーンショットを見たら、これは頻繁に参照すべき事項の備忘録的アンチョコだなと思う。使ってみたらとてもいいのですぐにレジストした。(4:10)

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赤羽 2019
 
昼食後、赤羽の『角上魚類』まで買い物に出た。うだるような暑さの中、元気で活動的でいるのも「おとうさんのしごと」である。マグロの山かけが食べたくて、近所のスーパーでまず大和芋だけを買っておいたが、角上魚類隣接の澤光青果の方が安くて失敗したなあと思う。買い物の節約ではおかあさんにかなわない。(14:37)

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◉筑波山トレイルマップ

2019年8月12日
◉筑波山トレイルマップ

 

夜中に目が覚めたので起きて本を読む。誤植のない本だなあと感心していたけれどとうとう一箇所発見。
(誤)「やはり何からの見直しが必要」
(正)「やはり何かしらの見直しが必要」
経済の入門書を一冊読み終えた。

本駒込 2019

天気予報にめずらしく傘マークが出ていて、午後お湿りの可能性があるらしい。

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近所の登山用品店に行ったら筑波山の美しいトレイルマップがあったのでもらってきた。こいうのは眺めているだけで楽しい。(10:19)

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六義園 2019

雨が降り出し、六義園内のカラスが嬉しそうに羽繕いしている。(11:15)

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◉おくわし

2019年8月11日
◉おくわし

 
 

このところ晩酌をしながらヴィヴァルディの『四季』をさまざまな演奏スタイルで聴いていて、昨夜はいよいよ美男子(妻談)カラヤン指揮のウィーンフィルなのでブロマイドのようなジャケット写真をスピーカーの真ん中に置いてやった。聴きながら妻が「喫茶店みたい」「聴きやすい」「映画のよう」「即興性は感じられない」などと呟くのを聞きながら、なるほどなあと思う。若いころからポールモーリアやレーモンルフェーブルやパーシーフェイスが嫌いではないので、こういうスタイルは趣味の違いによる好みが明瞭になるのだろう。

友人が書いているブログを読んでいたら見慣れた風景の写真があり、本州内陸部の高原を御同輩連れ立って旅していたはずが、一気に勢いよく太平洋岸まで南下して、なんと郷里清水で日本平に登っていた。古い蒲原時代の田中光顕の写真を見ていたら砕けた姿で大町桂月が写っていて驚いたのを思い出した。大町もざっくりと旅した勢いで光顕を訪ねたのだろう。団塊的に友人たちと連れ立って一泊二日駆け足の旅なので、清水市街地のひとり散策はできなかったらしい。残念。

本駒込 2019

ひとつの世界を生きていても世界中の 〈わたし〉 の数だけ異なった見方の 〈せかい〉 がある。自分が見慣れた町を他人がどう見たかを知ることは興味深く楽しい。歳をとると相対主義的なものの見方が自然にできるようになるのか、自分の好みに合わない見られ方に憤る傲慢な若さが失われ、みんな違うのがみんないいなあと思えるようになる。そいう意味でよいジジイになる。

ヴィヴァルディの『四季』にも演者の数だけ異なった解釈と演奏があるように、人生の『四季』にも人の数だけ異なった感じ方がある。違った四季を感じるから人それぞれが自分だけ一度限りの人生を生きる。一度限りだから人は大勢の中でも 〈ひとり〉 で、〈ひとり〉 が永遠の自由だからこそ涙も出ちゃうわけで、そういうふうにできている。それぞれの見方・感じ方があって、それぞれがみんないいなあと思えるジジイになっていく自分、それもいいかもしれないと思える今日この頃である。(4:09)

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注文した荷物が日本郵便で届くという。思ったより時間がかかるので追跡サービスで検索したら、DONGGUAN の国際交換局から昨日発送したという。DONGGUAN(ドォン グゥァン)とはどこだろうと調べたら広東省中部の東莞市だった。


 
買ったのは韓国サムスン電子製のタブレット用ケースで、999円(送料500円)だが、ずいぶん遠いところから届くのだなあと思う。(10:11)
 
   ***
 
「そのころの田端って、ちょうどひところの成城みたいな特殊なところだったからね」(中村真一郎)
 
「そしておくわしの中で一ばんチヨコレートがすきです」(父親の好きなものについて芥川比呂志)
 
  ――ブロックメモを整理して捨てていたら出てきたので転記。

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◉トレーシングペーパーとセルロイド

2019年8月10日
◉トレーシングペーパーとセルロイド

 
 

昨日、セルロイド製からプラスチック製に移行したピンポン球のことで、そもそもセルロイドはどうやって作るのだろうと調べていたら長年の謎が解けた。ざっくり言えば植物などのセルロース繊維を硝酸や硫酸などの強酸で溶解して原料を作るらしい。それで「あっそうか!」と思ったことがある。

郷里静岡県清水、稚児橋近くの巴川端に古びた倉庫のような建物があり、屋根に大きな換気塔がいくつか並んでいるので、あの建物は何なのだろうと子どもの頃から不思議だった。巴川製紙が所有する建物だけれど、何の用途に用いるのだろうと日記に書いたら、あの中には硝酸を入れるタンクがあって紙の材料を溶かしてトレーシングペーパーを作るのだと教えていただいた。ペーパーという名があるのに半分透けてちっとも紙らしくないトレーシングペーパーは、どうやらセルロイドと似た作られ方をするらしい。そうか繊維を溶かして高密度化しているのかと思う。仕事柄、ともにトレーシングペーパーの世話になった妻に話したら「なるほど!」と感心していた。(6:35)

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◉プラスチック球

2019年8月9日
◉プラスチック球

 
 

仕事場の打ち合わせテーブルで子どもの頃のように「下敷き」ピンポンがしたいと妻が言うので始めてひと月半になる。子どもの頃は駄菓子屋や文房具屋でセルロイドのピンポン玉が安く売られていたので、夏休みになると従兄相手にセルロイドの下敷きをラケットがわりにしてピンポンあそびをした。ピンポン玉も下敷きもセルロイド製なのでよくパキンと割れた。

大人の遊びで始めたピンポンごっこだが、なんでも熱中して過集中するタイプの夫婦なので毎日欠かさず続いている。安いオマケの球がなくなったので「ニッタク(Nittaku)卓球 ボール 国際公認球 プラ 3スター プレミアム」3個入りで 755 円という本式のを買ってみた。妻曰く、このボール「重い」「弾まない」「体に当たると痛い」「音が静か」「回転が見える」「つなぎ目がない」そうで、それがセルロイドではないプラスチック球の特徴らしい。素人ピンポンごっこの結論としては「ラリーが長く続くので上手くなった気がして楽しい」「もう以前のセルロイドには戻れない」という結論になっている。ペッコンポッコンと、のどかに打ち合いながら一応うるさいことを言い合う。(6:19)

   ***
 
猛暑の正午過ぎ、散歩に出たら、さすがにいつもの理容室も客がいなかったのでのんびり散髪してもらった。
 
 
向丘二丁目 2019
 
それから白山上『かみもと文具店』で買い物をし、大観音から駒込病院脇を通って帰ってきた。

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◉うわの空

2019年8月8日
◉うわの空

 
 

人が何かに過集中しているときはいくら話しかけても無駄で、言葉が右の耳から左の耳へ抜けてしまい相手の心に響かない。聖パウロの言葉より。

たとえばちょっと外出する用事ができて、妻に「ちょっと出かけてくる」と言っても、うわの空で「行ってらっしゃい」と空(から)返事しているのがわかる。念を押すようにしつこく言うと腹立たしげに「行ってらっしゃい!」と言う。ゲームなどに過集中しているとき声かけされると怒る子どもの反応と同じだ。

そういう時は「ちょっと出かけてくる」と告げずに黙ってちょっと出かける。そして用事を済ませて戻ると、亭主がいなかったことにすら気づかず時が経過したように、妻は過集中したまま作業を続けている。それほど集中できるのは素晴らしい能力なので、まあこれでいいやと思うことにしている。こちらから何もなかったことにしておけば、ふたりの間に気に入らないことなど何もない。

自分もまた異様に何かに集中して他人の言葉が耳に入らない時があるはずだ。自分の異様さに自分は気づかない。自分もそうなのだから「まあいいや」と思える者同士が、集中力を互いの長所と認め合い、短所と見える部分に目をつぶって共生する。おたがいさまであり、長所を認め合いながら短所に目をつぶり合うのは大切なことだ。無いことにできれば本当に無い、無いと思えないのは寛容力が無い、寛容力が無い状態は自縄自縛的にもったいない。人と人がそうであるように国と国もそうだろう。(4:37)

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◉時局匡救事業

2019年8月7日
◉時局匡救事業

 

織田純一郎を検索すると同姓同名の若い音楽家がいるようで、嘉永生まれの翻訳家に行き着かない。その名前を調べた人の検索条件記録を見ると「織田純一郎 明治」などと入力して工夫しているらしい。
このところ郷里の先輩が書いた経済の本を読んでいて、そもそも経済そのものが戦争なのだろうと思う。複雑な経済の仕組みが、物価や給与の上下に気を取られてインフレでもデフレでも自分の暮らし向きさえ上向けばいい、という群衆の心理に引っ張られて迷走しているのが実体的経済であるように見える。昨夕もニュースで米中、日韓、経済がらみの嫌なニュースを見ていてそう思う。経済がすでに戦争になっているから歴史の無限螺旋的繰り返しから抜け出せないように見える。

2 《「経国済民」「経世済民」の略》国を治め民を救済すること。政治。「事業を為して天下を―するは、豈に政府に立のみに止らんや」〈織田訳・花柳春話〉(デジタル大辞泉より)

そもそも蒲原の隧道を見て時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)について興味が湧き、郷里出身の経済学者が書いた経済史を読み始めたのだった。日曜日に見損ねるのを予想して録画しておいた NHK 大河ドラマ『いだてん』を昨夜観たが、まさに舞台はピンポイントでその時代に差し掛かっている。犬養も、浜口も、井上も、高橋も、やがて経済と戦争の濁流の渦に巻き込まれ凶弾に倒れていく。
戦争と経済について書かれた若い評論家の本を注文してみた。危なっかしいタイトルの著作が多くてネットでも叩かれているけれど、頭がいいことは確かなようなので、確からしい知識の上澄みだけでも学べればと思う。電子ではなく紙の本にした。

昨夜は録画しておいた『いだてん』を観たあと、米中、日韓、不穏な経済戦争ニュースを見て不快なので、小石川図書館で借りてきたイ・ムジチの『四季』を聴いた。定評通りの名盤で圧巻だった。(2:57)

   ***
 
彫刻家の雨宮敬子が亡くなられたと朝刊にあった。1931年2月3日(年齢 88歳)ということはわが亡き母と同学年になるのでびっくりした。学生時代、小学生だった息子さんの家庭教師をしていたので夕飯をご馳走になっていた。アトリエから戻り、さっきまでクレイをいじっていた手で作った食事かと思うと不思議な気がしたものだ。もっと若いと思っていたので意外だった。ご主人の政次さんには色彩学を教わり、先生はどうされただろうと各紙の訃報欄を見たら喪主になっていてご健在らしい。(11:45)
 
 ***
 
 
昨日、小石川図書館で借りた CD を千石図書館まで返却しに行ってきた。
 
 
8 月 25 日、千石図書館ではこんな映画の上映会がある。(13:23)

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◉呼吸(いき)すれば

2019年8月6日
◉呼吸(いき)すれば

 
 

昨日は四時半に仕事を終え、妻と「今日はひどく重そうな雲が浮かんでる日だね」という話をしながら、予約しておいた王子一丁目の『酒舗たのかん』へ。

保育の月刊誌を一緒につくっている女性編集者と今年前半のお疲れさま暑気払いをした。彼女は 8 月号が校了したので来週、お母さんが一人暮らししている鳥取の実家に帰るという。日本酒の店で日本酒ではなくビールを飲み続けて店を出ようとしたら、女性店員が「日本酒はお嫌いですか」と笑顔で聞くので「嫌いじゃないけど眠くなるから」と正直に答えた。外で長時間飲みたいときはビールだけで通すことにしている。

二軒目は女性編集者お気に入り、王子二丁目の『酒蔵やまに』へ。この店は王子小学校に通った頃からすでにあり、当時は道路の反対側で縄のれんの下がった大衆食堂だった。昼間から呑んで酔っ払っているオヤジたちがいて中華もメニューにあり、王子の名店『開楽』が行列で入れないときは母とこの店でラーメンを食べた。『開楽』も『ほりぶん』のある道の反対側にあった時代である。半世紀以上ぶりの再訪になる。ここでもビールだけで通したが、おひらきにしてタクシーに乗ったあとはほとんど記憶がない。今朝になってカメラの画像を見たら懐かしい店ののれんと、店の前で抱き合う女ふたりが写っていた。

   ***

 
猛暑のため製造が間に合わないらしく、清水の『櫻珈琲』に注文していた「水出し珈琲」20 パックが今朝届いた。このところ 2 リットル用 1 本、1 リットル用 2 本、計 4 リットル分の冷水筒が毎日フル稼働で、各 2 リットルの水出し珈琲と水出し緑茶をつくっている。紙パックに入れた緑茶用のカゴが、水出し珈琲の時は、浮き上がろうとする珈琲パックを沈めておくための抑えになる。微妙な蓋の締め方にも熟達してきた。緑茶の方も残り少なくなったので清水の茶園に注文しようと思っている。(10:25)
 
   ***
 
 

呼吸(いき)すれば、胸の中うちにて鳴る音あり。凩(こがらし)よりもさびしきその音(おと
眼閉づれど心にうかぶ何もなしさびしくもまた眼をあけるかな。

 
午後から石川啄木終焉の地脇にある小石川図書館に行き、ペトリ、クイケン、カラヤン、イ・ムジチの『四季』を借りてきた。さまざまな『四季』を聴いている。(16:10)
 
 

   ***

小石川図書館に行った帰りに久しぶりで三徳茗荷谷店で買い物をした。十数年ぶりだと思う。春日通りのハリエンジュが花びらを盛大に散らしており、例年こんな季節だったかなぁとちょっと首を傾げた。(16:44)

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◉何の音!

2019年8月5日
◉何の音!

 
 

ご近所さん飲み会中にスマートホンが異音を発して睨まれたら緊急地震速報だった。五人中四人がスマホ保有者で一人はアップルウォッチまでしていたけれど、緊急地震速報を受信したのは自分だけだった。「何の音!」と聞かれて「地震だ!」と言ったらゆさゆさと揺れが来た。面目躍如である、というか緊急地震速報の受信率の低さに驚いた。

震源が福島県沖で震度5弱だというので明日ミャンマーに帰国する友人がいわき市の実家に電話していた。東日本震災のときはどうだったのかと聞いたら、実家は津波で流されたけれど家族は避難できて無事だったという。緊急地震速報くらい受信できるようにしておけと言っておいた。聞けば彼女のご両親は自分と同年齢だった。

朝刊を読んでいたらタイでは昆虫食が広く行われているそうなので、ミャンマーではどうかと聞いたらやはりコオロギをよく食べるという。あなたは食べるのかと聞いたら、自分はダメだけれど四歳になる息子は平気で食べているという。ハチや川虫などの昆虫食をする信州出身の女性も、出されればコオロギくらい食べられるという。

飲み仲間の女性はベテランパーキンソン病者として名が売れていて取材申し込みが絶えない。パーキンソン病のリハビリに卓球が良いそうで、全国パーキンソン病友の会東京都支部が十条台の障害者総合スポーツセンターで卓球大会をやるという。パーキンソン病者でなくても参加可能だそうで参加申し込み用紙をもらってきた。(5:24)

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メモ帳として持ち歩く Android ファブレット(5.5 インチ以上 7 インチ未満のスマートフォン)からメール送信することはあっても着信があるのは煩わしいので、なにか捨てメールアカウントを設定しておこうと思い、取得したまま使っていないものを探したら、xxxx@hotmail.co.jp があった。これはマイクロソフトのメールアドレスで最近は見かけない。調べたら「2004年11月19日から日本国内専用ドメイン『hotmail.co.jp』が提供を開始された」とあるので、実母の介護中に必要があって取得したらしい。というわけでマイクロソフトの Outlook をインストールして xxxx@hotmail.co.jp をアカウントに設定してやったらちゃんと生きていた。当然、着信ゼロなのですっきりしている。(11:26)

 
 

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仕事で赤坂まで外出。竹内宏『昭和経済史』精読は昭和六年十二月十三日犬養内閣成立まできた。日本のケインズ、高橋是清財政が始まるところ。青山一丁目駅に向かう帰り道、高橋是清邸跡を抜けて帰ってきた。(16:18)

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◉正金銀行

2019年8月4日
◉正金銀行

 

『高橋是清・井上準之助 論争 昭和恐慌 金解禁・金輸出再禁止: 付・Q&A よくわかる金本位制 歴史に学ぶ金融と経済』は辞書引きしながら読むととてもいい。ようやく湾内にもやもやと立ち込めた霧のような疑問が晴れてきた。

正金銀行(しょうきんぎんこう)と為替手形の話を読んでいたら、そういえば清水にもかつて東京銀行があったことを思い出した。輸出入が行われる港町なので当然だろう。転校生同様にして郷里清水へ戻ったら、同様に同じ中学校へ入学してきた女子生徒がいて、父親が東京銀行の支店長として赴任してきたのだという。休み時間に裕福な家庭のクラスメイトに声掛けして「ホームパーティ」に誘っており、気取った嫌な女だなぁと思っていたけれど、単にお声がかからなかったことへの僻(ひが)みにすぎない。いまでは素直に懐かしい。長い髪と豊満な肢体の美人だった。田舎町に引っ越してきて自分が生まれついた生活の柄を忠実に演じていたのだろう。(5:41)

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1994 Paris

昨夜、録画した NHK『ららら♪クラシック』を観ながら、渡米したドボルザークのホームシックで思い出し、妻にホームシックになった経験があるかと聞いたらほとんど記憶にないと言う。ホームシックは恵まれなさの原風景を郷愁の底(てい)に持つ者が抱く感情であり、もしドボルザークがアメリカ人としてチェコを訪れたならホームシックになどならなかっただろうと言ったら、またよくわからない話を始めたという顔をされた。暴論だろうか。かもしれない。僻み根性の話で昨夜のことを思い出した。(5:52)

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今年も本郷通りに黄色いカンナが咲いている。「可憐ね」と言いながら「カンナは赤い方が好き」だと言う。なるほど。近所のローソンまで買い物に出たら、カトリック本郷教会裏手に、今年もまたオレンジで斑入りのカンナが咲いていた。オレンジといえば清水エスパルスが横浜 F・マリノスに完封勝ちしていた。プロ A 契約なった西澤と移籍初戦の吉本が輝いて良い流れになっている。(9:47)

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◉竹内宏の『昭和経済史』を読む

2019年8月3日
◉竹内宏の『昭和経済史』を読む

 
 

木曜日の夜はヴィヴァルディの『四季』の CD を 2 枚通して聴いた。演奏者それぞれの四季があった。その余韻が残っているうちにもう一枚クラシック全集に入っている盤があったので金曜日の昨夜はそれを聴いた。やはり、もう一つ別の四季があった。イ・ムジチ盤が聴いてみたくなった。文京区の図書館で探してみよう。

夜明けにドアチャイムがなるのでびっくりして飛び起きたら、新聞受けに差し込む際、朝刊の端がボタンに触れたらしい。「ああびっくりした!」と目を覚ました妻が「まだ頭の中でヴィヴァルディが鳴ってる」と言っていた。

竹内宏の『昭和経済史』を読んでいて朴烈(パク・ヨル)の大逆事件が出てきて気になっていたが、早朝ドアチャイムを鳴らして届いた朝日新聞折り込みの「be on Saturday」みちのものがたりに朴烈と金子文子の話が出ていてタイムリーだった。こちらも驚いた。(8:32)

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 Akabane 2019

ミャンマー駐在生活から一時帰国している友人母子を誘って明日の夕方から納涼会をするので、赤羽の角上魚類まで買い物に出た。猛暑なので蒲原で買った麦わら帽子をかぶった。ネット上でまとめ買いをすると、ひとつ二百円もしない帽子らしいけれど妙に気に入っている。


 Akabane 2019 

数ヶ月ぶりに来たので街の様子もちょっとだけ違う。不思議なもので小学生時代六年間を東京城北地区で過ごしただけで、北区はわが故郷という感じで何を見ても懐かしい。(15:43)

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引き続き竹内宏の『昭和経済史』を読んでいるけれど、興味を持って読み始めた金解禁と金本位制と昭和恐慌の部分が「わかりました」と言えるように理解できない、要するにわからない。検索したら『高橋是清・井上準之助 論争 昭和恐慌 金解禁・金輸出再禁止: 付・Q&A よくわかる金本位制 歴史に学ぶ金融と経済』という Kindle 版電子書籍を見つけたので買ってみた。350円。


 「金解禁と昭和恐慌がよくわからない」という高校生や受験生でも読め、国際金融と経済政策を学び、歴史の謎を解く知的エンターテインメントとしても楽しめる。(同書解説より)

これでもわからなかったら高校生や受験生以下ということになる。きびしいなあ。

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◉共鳴

2019年8月2日
◉共鳴

 
 

ジャニーヌ・ヤンセンの『四季』が届いた。1 パートひとりの 8 人編成で演奏されるおもしろい『四季』になっている。わが家にはもう本格的なオーディオ装置がないので、CD を買うと仕事場で iTunes にリッピングし、自宅に持ち帰った iPhone や iPad mini を BOSE のアンプ内蔵スピーカーに繋いで聴いている。それで十分な音質と音量だと満足している。家庭での音楽とはそういうライトな付き合いをし、親の介護が終わったので、あとは小さな劇場に足を運んでライブ演奏を聴きに行く。

妻と一杯やりながら聴こうとしたら、新しいアルバムのとなりにファビオ・ビオンディと エウローパ・ガランテの『四季』があったので二枚を続けて聴いてみた。演奏者と楽譜によってさまざまな『四季』があるなぁということ、そしてヴィヴァルディはすごい作品を残したんだなぁという、ふたつの至極あたりまえな感慨があった。四季のある国と時代に生まれてよかったと思う。(1:34)

   ***


妻が手づくりしている『カード式手回しオルゴール《オルガニート・20》小品集 』の CD をお送りしているおかげで、八王子の友人が寺でのライブ演奏を聴きに行っているマリンバ奏者新谷祥子さんのマリンバ弾き語り 1st Album「シンガーソング マリンバ」をいただいた。Amazon 通販サイトには次のような解説がある。

かつて人々はわずかな木片を抱き、打ち、月にうたっていたのだから... 新谷祥子全詞曲で綴る、マリンバ弾きうたい第一章! 〜木の響きにのせて生まれた言葉たち〜 初のマリンバ弾きがたりアルバム!(Amazon より)

ピアノを弾きながら歌うのだからマリンバでも歌えて当然と思いつつ感心してしまう。ピアノの鍵盤も叩くものだけれど、マリンバの打鍵感は身体の動きを誘う不思議な力を持っている。こちらも iTunes にリッピングして聴いている。ライブ会場で体をゆするような感覚になる大音量で聴きながら休憩時間に妻とピンポンをしたら、球の弾む音とマリンバと詩が共鳴するような感覚になり、聴きながら勝手に身体が動いて、追い風参考ながら過去最高のラリー回数を記録した。(2:14) 

   ***

血圧の薬とツムラの 68 番を出してもらいに近所の診療所に行ったら 11 日から 18 日まで連休になるという。お盆前にまとまった薬をもらっておこうという患者たちで、小さな診察室は混雑していた。玄関脇に段ボール箱が置かれて小さな手提げ紙袋がたくさん入れられ、「ご自由にお持ちください」と書かれている。薬を待っている間にやってくる患者たちの多くが紙製の菓子袋を持っており、この界隈はかかりつけ医へ盆暮れの付け届けが盛んらしい。宅配便の配送員が汗だくになって荷物の山を届けに来る。帰り道の調剤薬局も大混雑だった。

本郷通り街路樹のイチョウが一本撤去されるようでしばらく告知の張り紙が掲示されていた。今日が撤去日に決まっていたらしく、造園業者の作業車が来て仕事をしている。(11:29)

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◉声を聞く

2019年8月1日
◉声を聞く

 
 

いよいよ八月になった。「声を聞く」というのは近づく気配を感じるという意味なので、八月に入ってしまったらもう八月の声は聞けない。声が聞けなくなった八月もお盆を過ぎれば、やがて九月の声を聞くようになる。

iPad mini を A5 判 6 穴のバインダーに綴じ込めるパーツをおまけにもらった。A5 判 の紙のノートが iPad mini つき電子ノートになるわけで、面白いと思って試してみたらあまりよくない。重い。自分の度を過ぎた重さは面白くない。ただ初めて試した A5 判 6 穴のバインダーは悪くない。A4 判の書類を折って綴じて持ち運べるのが意外にいい。定型の「小」は「大」を兼ねる。(4:55)

   ***


『カード式手回しオルゴール《オルガニート・20》小品集 −秋−』の CD テスト版を焼いてみた。(9:43)

 

   ***

 

 
昼前に近所のスーパーまで買い物に出たら、店内放送で「夏休みといえばカレーです!」という。カレーの材料を集めた特別セール開催中で、なるほどうまいポイントに目をつけたと思う。夏といえばカレーなんかじゃなく冷たい流しそうめんだという人がいて、ホームセンターに行くと家庭用流しそうめんの道具がいろいろ売られているけれど、流しそうめんというイベントの楽しさがわからない。馬鹿馬鹿しいと思う。竹内宏『昭和経済史』を読み始めたけれど、この本は章ごとに筆者の言わんとすることを自分の言葉で要約しながら読み進めるという、ひとり読書会的な読み方に向かないようで、読んだことが次から次へとそうめんのように流れて行ってしまう。そういう語り口の人なのだろう。これではひと夏限りのはかない「流しそうめん経済学」になってしまうので、別のひとり読書会的盛り上げ方を工夫してみよう。(15:41)
 
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『カード式手回しオルゴール《オルガニート・20》小品集 −秋−』にヴィバルディが入るので、ちょっと気になった Janine Jansen(ジャニーヌ・ヤンセン)の『四季』を注文した。ポストをのぞいたらもう届いており、これから雷雨になるのか遠くで雷鳴が聞こえる。(16:44)

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