コメント
 
 
 
昆虫うまい (いがり)
2019-08-05 10:18:37
昨晩の地震、久しぶりにビックリ。
腰痛の養生のため、畳に横になって読書してましたが、
飛び起きて、自室に行けるまで快復しております。
私の部屋でのみ数点落下物あり ...。震度4でした。

イナゴですが、母の実家(農家)の伯母が、よく佃煮にしたのを
大量にいただきました(40年以上前)。
高校生の時に、弁当にイナゴが入ってまして、ゲゲっ!
と思ったら隣の席の井澤くんにめざとく発見され、それが
きっかけにクラスの物好きが寄ってきて、全部食べられました。
やっぱりいわき市でも町の子たちは初めてのようでした。
 
 
 
いなご ()
2019-08-05 10:51:56
地震、大したことなくてよかったです。

戦後ですが叔父が叔母を嫁にもらうため静岡から山形に向かう途中、どこの駅か知りませんがスイッチバックになっていて、その駅では駅弁売りが酒のつまみにイナゴの佃煮を売っていたそうです。もちろん買ってそれで呑みながら山形へ向かい、「あの時のイナゴはうまかった」と言っていました。僕は一度だけイナゴを食事に出され、どうしても噛めずに丸呑みしました。酒のつまみならもうちょっと行けたかも。そういえば東京の惣菜店でもイナゴの佃煮を見かけなくなりました。
 
 
 
スイッチバック! (いがり)
2019-08-11 08:09:59
奥羽本線の峠駅(山形県米沢市)でしょうか?
1990年に山形新幹線化にともない、スイッチバックは廃止。
東京から、東北本線で福島駅まで来られたとすれば、奥羽本線に乗り換え、山形方面へ向かって5つめの駅のようです。でも、赤岩駅、板谷駅、峠駅、大沢駅と4つの元・スイッチバック駅が連続していて、その最高地点にあるのが峠駅だそうです。ということは、どの駅でイナゴを買われたのやら…。
乗りたくなってきました、奥羽本線。
 
 
 
思い出スイッチバック ()
2019-08-11 09:13:24
なるほど。どこかにスイッチバックはあったのだろうと思いましたが、連続しての峠越えだったのですね。意外でした。昭和30年代始め頃の話だと思います。叔母は山形から清水に列車を仕立ててやってくる就農支援の「みかん娘」でした。叔父や叔母や母親にもっとよく話を聞いておけばよかったと今になって思います。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。