電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉まつかさ奉納
2019年2月21日(木)
◉まつかさ奉納
北池袋の編集事務所で打ち合わせがあると、山手通り裏手の古道をたどって椎名町駅まで歩くのが好きだ。
*JUPITER-12 F2.8 35mm
かつてこの地域は池袋モンパルナスと呼ばれ芸術家のアトリエ村が集まっていた。古道は商店街と名が付いているものの、いまはひっそりとした落ち着きの中にある。しかし古びた家並みの細部にハイカラだった時代の面影を見ることもできる。かつて賑わった証拠に、昭和 23 年に起きた帝銀事件の椎名町支店もこの通り沿いにあった。
*JUPITER-12 F2.8 35mm
通りの名の由来と思われる地蔵堂があって出世子育地蔵大菩薩御堂という。猫の額のような、とたとえるにふさわしい敷地内に、馬頭観世音の碑があって松ぼっくりがひとつ供えられていた。
大龍寺にある正岡子規の墓に、小さなサボテンの鉢植えがひとつポツンと供えられているのを見つけたことがある。子規とサボテンにまつわる逸話でもあるのだろうかと本気で調べてしまった。
*JUPITER-12 F2.8 35mm
お地蔵さまにまつかさを奉納する習俗は各地にあるらしい。この地蔵堂にもそれが残っているのだろうかと一瞬思ってみたものの、忿怒の形相を刻した馬頭観世音の怒りを少しでも和らげようと、誰かが拾った松ぼっくりを置いてみたのだろう。いいなあと思う。
(2019/02/21)
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◉未明の行列と善の研究
2019年2月20日(水)
◉未明の行列と善の研究
雑誌や新聞を読んでいて気になったページをメモする代わりに紙面の写真を撮ることがたまにある。時間がなかったからだと思うけれど、無言のメモはあまり役に立たない。
山田太一がむかし新潮社の雑誌『考える人』に「日々の残像」と題して連載をしていた。その連載 31 回目に「絶対矛盾的自己同一」と題した原稿を書いており、その内容が気になったのか松林誠のエッッチングが気になったのか、多分両方が響き合ったのだと思うけれど、いずれにせよ、とりあえず写真を撮ったらしい。
31 号ということは 2012 年夏号なので引っ張り出して読んでみた。山田太一流の西田幾多郎解釈が読めるのかと思ったけれど、話の進路は本州を逸れ、別の方角に行ったまま温帯性低気圧として終わっている。
ただ学生に絶大な人気で読まれたという『善の研究』(1911)の新版が岩波書店から発売された 1923 年の初日は、夜明け前から買い求めようとする人たちで長い行列ができたという話が面白く、結果としてメモを撮っておいてよかった。
(2019/02/20)
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◉林間臨海
2019年2月20日(水)
◉林間臨海
六年間通った東京都北区の小学校では夏の林間学校と臨海学校が行われ、それぞれ飯能と鎌倉に区の施設があった。
二泊三日の合宿生活は大人が感じるよりはるかに長期間に思えた。あれは自分のように通信簿に「落ち着きがない」「協調性がない」と書かれ続けた者にとって、合宿による集団心理療法のようなものだったのではないかと今になって思う。
いつだったか北区の資料を調べたら飯能と鎌倉の合宿施設は売却したという記録があった。今でも夏合宿は行われているのだろうかと調べたら、千葉県の岩井海岸に施設があるらしい。岩井といえば館山の隣りで、わが夫婦が通った大学も山中湖畔と館山に合宿所があり、林間と臨海がセットになっていた。
鎌倉の古刹裏山にあった臨海学校の夕暮れ時、肉屋の荻野くんがぼんやり海を眺めていたので隣りに行き「うちに帰りたいな」と言ったら「ぼくも帰りたいよ」と言って声を震わせ、涙を拭くためポケットから取り出したハンカチはお母さんのアイロンが効いていて真っ白だったのを覚えている。子どもにとって二泊三日は長かった。
ネットで北区の臨海学校について、行かせるべきか行かせないべきか、悩んで質問しているお母さんがいた。子どもを愛するお母さんにとっても二泊三日は長いのかな、でもそういう母子ならなおさら行かせた方がいいんじゃないかな、と思う。
そう思いながら質問の日付を見たら、震災があった 2011 年の夏だった。それはお母さんも心配だったろうと思ったらやはり涙が出た。
(2019/02/20)
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◉森田正馬を読んで笑ったこと
2019年2月19日(火)
◉森田正馬を読んで笑ったこと
大好きな精神神経科医である森田正馬(もりたまさたけ、1874 - 1938)によると、病気をいたずらに気にしすぎるヒポコンドリー性基調の人は、自己内省が強く、心身の不快や異常など病的な兆候が細々と気になり、それに屈託するせいで卑屈になったり、陰鬱になったり、自己中心的になったりし、「ときには詩人や哲学者になる傾向がある」というので笑った。たしかに毎月哲学の読書会にやってくる仲間はみなヒポコンドリー性基調であるように見える。自分もそうだなあと可笑しい。
なぜ平気で可笑しいかと言うと、哲学好きの仲間はひどく陽気で楽しい仲間だからだ。「苦しみ」から目を離さず直視しようとする人たちには、心の底を割った底抜けの安寧があるので、同好の士ならすぐ仲良くなるし他人にやさしい。
ヒポコンドリー性基調の人に対して、陰気な話はよそう、楽しくやろう、人間いまが楽しければそれでいいではないかと、自分の望み通りになるようテーブルを叩いて働きかけるような人は、現実を追い、目的に向かって強引になり、軽率になってわれを忘れたりするので「軍人や政治家になる素質がある」というのでまた笑った。哲学好きの仲間がやっている読書会に通い始めたなどと言うと、面倒臭い人間を見るような目をして笑う友人たちは、たしかに軍人や政治家向きであるような気がする。
森田はもちろんヒポコンドリー性基調の人で、そういう人はときに精神神経科医になったりするのだろう。
(2019/02/19)
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◉行列
2019年2月19日(火)
◉行列
月に一度の読書会がやってきた。会が始まる19時ちょっと前に通りかかると、いつも長蛇の列ができているラーメン屋がある。長い蛇にたとえるにふさわしい列である。
親たちの世話が始まる前は、わが夫婦もよく行列に加わった。親たちに介護が必要になったのちは、「よし、並ぼう!」と思い切りのよい決断をする妻が、「やめよう、時間がもったいない!」と潔く断念するようになって、それ以来行列というものに縁がない。
行列というものに縁がなくなったもうひとつの理由は、行列のできるような客さばきをして、漱石風に言えば「行列をもって、行列に対して客を行列させる」という営業手法が多く見られるようになったからだ。物怖じしない友人が「ここのドーナツ、行列するほどうまいの?」と並んでいる若い女の子に聞くと「おいしいです。みんなが行列してるから」などと言うそれだ。
読書会からの帰り道、ライターの友人に「この店いつもすごい行列ですね」と言ったら、取材を商売にしているだけあって「並んで、待って、入ってみました」と答えた。さすがである。
(2019/02/18)
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◉日付変換学習記録のクリア
2019年2月18日(月)
◉日付変換学習記録のクリア
iPhone で文章を書いていると出てくる予測変換候補を、若者の場合、横から恋人に見られて決まりの悪い思いをするらしい。以前、どんな文章を書いて変換したかがばれてしまうそうで、もうそういう心配はないけれど、変換記録が邪魔で困ることはある。
こうして日記を書いていると「きょう」と打って「2019/02/18」や「2019年2月18日」と変換することが多い。そうすると日付がかわって、もう「きょう」でなくなっても、数日前の「きょう」が、正しい「きょう」に先回りして予測変換候補に出てきて困る。そのまま確定してしまい日付を間違えたメールを書いて相手を混乱させている。
仕方がないので、「設定」→「一般」→「リセット」→「キーボードの変換学習をリセット」で毎日クリアしているが、それもまた面倒なので予測変換自体をオフにしてみた。別段不自由を感じないので、最初からこうしておけばよかったのかもしれない、明日になってみないとわからないけれど。
「きょう」はたった一度だけの限定変換候補なのだから、OS 自体で「日付変換は学習しない」という設定が選べるプログラムは難しいだろうか。
(2019/02/18)
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◉ 千朶木書房開店
2019年2月18日(月)
◉ 千朶木書房開店
人間五十歳を過ぎると収集癖がつくという。そういう井伏鱒二がチラシを集めていると書いていた(井伏鱒二「引札」)。チラシのことを引札といい、江戸時代には配符といって蒐集家もいたらしい。
現在四十枚ほど集まったという引札を三枚ほど紹介しているけれど、森鴎外の三男森類(もりるい 1911ー1991)が団子坂上、旧居観潮楼跡の一角をつかって 1951 年に開いた古書店千朶木(せんだぎ)書房の開店告知があった。
観潮楼跡の斜め向かいに 9 年ほど住んでいたので、団子坂上にあったという古書店のことは知っていたけれど、その開店チラシが読めるとは思わなかった。千朶木書房の命名は斎藤茂吉だが、千朶万朶圧枝低(せんだばんだえだをおさへてたる)の千朶であり、千駄木はそちらの文字をあてるのが正しいのだろう。「愛情にあふれ、行文の妙を内輪に矯める程度にして、余裕のある堂々たる文章」と井伏が評する文章の書き手が誰かは知らない。森類の詩歌友だちと書いてある。
三枚目のチラシにある、鰻を焼いて昼の商売を始めるという「はせ川」は、京橋にあって井伏以外に坂口安吾や檀一雄など文士の溜まり場になっていた店のことだろう。と、思って目次を見たら「はせ川」と題した随筆があって、小林秀雄、大岡昇平、林芙美子、永井龍男など錚々たる面々が常連として登場する。引札は、しっかりもののおかみさんがいた様子がよくわかる秀逸な文章になっているけれど、どうやら久保田万太郎が書いたものらしい。
(2019/02/18)
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◉「虫の詩人の館」で探し物
2019年2月17日(日)
◉「虫の詩人の館」で探し物
千駄木五丁目にある『ファーブル昆虫館 「虫の詩人の館」』で探し物があるという妻に付き添って、散歩がてら行ってきた。
探し物といってもずいぶんむかし、一度写真に撮らせていただいた展示物で、それをもう一度見たいのだと言う。膨大な写真データの中にあるはずなのだけれど、それを妻にご覧いただくため隅から隅まで探すことは現実的でない。
もう一度写真に撮らせてもらおうとカメラをぶら下げて出かけてみたが、展示替えされていてもう見当たらない。学芸員の女性に聞いたら、その古い展示物の記憶がないと言う。ほら見たことか。
住所と名前と電話番号に用件を書き添えて芳名帳に一縷の望みを託してきた。また展示されることがあったら連絡をもらえるようお願いしてきたけれど、ちょっと望み薄かもしれないね、と話していた。
夕方になって見つかったと連絡があり、背後で男性の声が聞こえていたので、奥本大三郎さんが出てこられ、ちゃんと覚えておられたのだろうと妻が嬉しそうに言う。
同館は土日の午後だけ開館しているので、早速今日再訪することにした。運営は NPO 日本アンリ・ファーブル会、協力がファーブル昆虫塾、住所は文京区千駄木 5-46-6 で、土日の 13 時から 17 時まで無料公開されている。
(2019/02/17)
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◉夕日の温度
2019年2月16日(土)
◉将棋の駒
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◉将棋の駒
2019年2月15日(金)
◉将棋の駒
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◉粗忽長屋的な一周忌
2019年2月14日(木)
◉粗忽長屋的な一周忌
義母が他界してまだ三ヶ月も経たないのに郷里の寺で一周忌法要をする夢を見た。夫婦二人だけの家族葬的な法事である。
読経が始まり、妻がさっさと進み出て焼香するので、いいのかなと振り向いたら
「どうぞどうぞ雅彦さんお先に」
と喪服姿の義母が言う。
それではと会釈して進み出て焼香しながら、仏はたしかに義母だがさっき挨拶した義母は誰だろう、と思う。
(2019/02/14)
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◉西田幾多郎を未明に読んだメモ
2019年2月14日(木)
◉西田幾多郎を未明に読んだメモ
「日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無限を掴むにあるのである。」(西田幾多郎『国語の自在性』)
無限を掴む、は無を掴むに等しいので、
「日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無を掴むにあるのである。」
と言い換えてもいい。有に無を見るこっちの方がわかりやすい。それにしても、あるのである、という言い方は興味深い。
「間違っている」と言うかわりに「正しくない」と言うことを緩叙法(かんじょほう)という。逆に「正しい」と言うかわりに「正しいのである」という二重肯定は強化という面もある。あるけれど、強化したがることを自信のなさの現れととらえれば、それもまた緩叙法的かもしれない。強化としての緩叙法。強がりと保身。攻撃と見せかけての退却。文章の後駆(しんがり)にそれが出る。
(2019/02/14)
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◉木を回す
2019年2月13日(水)
◉木を回す
六義園のしだれ桜は南に向いて顔がある。春のしだれ桜見物にやってきた友人が
「この桜は羽子板みたいにうらおもてがある」
と痛いところをついてくる。うしろ側は刈り上げられた頭のように絶壁になっている。
枯れた苔玉から取り出して鉢植えした南天が立派に育っている。北向きのベランダという悪条件にもめげず、六義園に面した明るい北側は豊かに葉を茂らせ、苔玉だった頃の苔が生きていたのか、小さな鉢の地表を覆い始めている。なんの手入れもしていないけれど盆栽のようになってきた。
六義園に面した北側が豊かに育っている反面、室内に向いた南側は暗いので貧相になっている。それを見た妻が 180 度、鉢を回転させたらどうだろうという。六義園のしだれ桜を 180 度回転させて四方に花を咲かせようとしたら、きっと目を回して枯れてしまうだろう、そんなことをしてはいけないと言ってみた。
とはいえ気になるので盆栽の置き方で検索したら、陽の当たらない側がある場合はときどき動かして満遍なく日を当ててやると良い、という意味のことが書いてあった。そうか、木が目を回して枯れる心配はないのか、と勝手に解釈したので、今朝から180 度回してみた。
(2019/02/13)
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◉イカンとキノコ
2019年2月13日(水)
◉イカンとキノコ
軍に徴用されてシンガポールに滞在した井伏鱒二が戦地で釣りをする話があった。ケロンというのは、遠浅の海で四手網(よつであみ)を上下させて魚をとる海上の櫓(やぐら)、コヅキは小突きで、海に垂らした錘で海底をトントンと小突く釣り方をいう。三十尋の深さは十メートル前後。
私はケロンの漁師に酒瓶を手土産にして、涼しい海風に吹かれながら櫓の上からコヅキで釣をした。三十尋ぐらいの深さであった。グロテスクな色の、口の大きな魚が釣れた。ケロンの漁師に手真似できくと、イカンというのだと教えてくれた。辞書を見ると、イカンとは魚のことであった。(井伏鱒二『釣魚雑記』)
結婚前、中央線の高円寺に住んでいた頃、休みの日に、このまま電車を降りずに西へ行ったら甲府へ行けるのだなあと思い、そのまま普通列車を乗り継いで行ってみたことがある。高校教科書で初めて読んだ太宰治『新樹の言葉』に、「シルクハットを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。」(太宰治『新樹の言葉』)とあるように、甲府はハイカラで「きれいに文化の、しみとおっているまち」だった。
感心したので同じく太宰好きだった、のちに妻となる同級生を誘って後日再訪した。大きな「ほうとう料理」の店に入って生まれて初めて食べたそれはたいへんうまかった。ああ、あったまる、と思ったので晩秋だったかもしれない。珍しいキノコが入っているので年配の女店員に
「このキノコはなんという名ですか」
と聞いたら
「調理場で聞いてきましょう」
と言う。
そう言って引っ込んだままいくら待っても返事がない。だいぶ時間が経ってから忙しそうに通りかかったので
「キノコの名前はなんでしたか」
と聞いたら
「それはね、キノコですって」
と笑顔で答えて行ってしまった。
(2019/02/13)
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◉「たなばた空襲」と井伏鱒二
2019年2月12日(火)
◉「たなばた空襲」と井伏鱒二
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