◉イカンとキノコ

2019年2月13日(水)
◉イカンとキノコ

軍に徴用されてシンガポールに滞在した井伏鱒二が戦地で釣りをする話があった。ケロンというのは、遠浅の海で四手網(よつであみ)を上下させて魚をとる海上の櫓(やぐら)、コヅキは小突きで、海に垂らした錘で海底をトントンと小突く釣り方をいう。三十尋の深さは十メートル前後。

私はケロンの漁師に酒瓶を手土産にして、涼しい海風に吹かれながら櫓の上からコヅキで釣をした。三十尋ぐらいの深さであった。グロテスクな色の、口の大きな魚が釣れた。ケロンの漁師に手真似できくと、イカンというのだと教えてくれた。辞書を見ると、イカンとは魚のことであった。(井伏鱒二『釣魚雑記』)

結婚前、中央線の高円寺に住んでいた頃、休みの日に、このまま電車を降りずに西へ行ったら甲府へ行けるのだなあと思い、そのまま普通列車を乗り継いで行ってみたことがある。高校教科書で初めて読んだ太宰治『新樹の言葉』に、「シルクハットを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。」(太宰治『新樹の言葉』)とあるように、甲府はハイカラで「きれいに文化の、しみとおっているまち」だった。

感心したので同じく太宰好きだった、のちに妻となる同級生を誘って後日再訪した。大きな「ほうとう料理」の店に入って生まれて初めて食べたそれはたいへんうまかった。ああ、あったまる、と思ったので晩秋だったかもしれない。珍しいキノコが入っているので年配の女店員に
「このキノコはなんという名ですか」
と聞いたら
「調理場で聞いてきましょう」
と言う。

そう言って引っ込んだままいくら待っても返事がない。だいぶ時間が経ってから忙しそうに通りかかったので
「キノコの名前はなんでしたか」
と聞いたら
「それはね、キノコですって」
と笑顔で答えて行ってしまった。

(2019/02/13)

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